角を立てたくないなら、改善もないよな

陰湿な職場
いつの頃からか、職場から議論が消えた。
そんなことを思う。
罵声や怒声が消えたことは本当に喜ばしいことであるけれど、熱い議論も同時に消えてしまったことには未だに違和感を覚えている。
もちろん、できるなら対立は少ない方がいい。
でも、言わなければならないことはどうしたってあるし、その結果多少の軋轢が生じることはやむを得ないことだと僕は思っている。
ただ、昨今の風潮として、そのような「議論」ですらも避ける傾向があると僕は思っている。
しかしだからと言って、言いたいことがなくなった訳ではないし、不満は不満として持ち続けている。
そして、それを陰口として拡散させようとしている。
こういう傾向は総じて「陰湿だな」と僕は思う。
また、それで状況が改善することはないよなとも思う。
今日はそんな話だ。
輪郭と規律の喪失
「言うべきことすら言わない」
それが当たり前になったのが現代の職場である。
そこにはハラスメントへの恐怖が潜んでいるのは間違いないと思う。
何かを言えば、それがハラスメント認定され、下手をすれば職を失う可能性がある状況の中で、誰がそんなリスクを冒すのか?
まあそれは確かにそうだろう。
でも、そのような状態が常態化した結果、職場には輪郭がなくなり、規律も同時に失われて行った、そんなことを思う。
野放し状態の職場
もちろん、ハラスメントは論外である。
ただ、もう少し穏当な所に着地する道があっても良かったのではないかとは思っている。
現在の職場は野放し状態だ。
そして、それを誰も咎めようとしない。
しかしながら、そこには不満が確実に渦巻いている。
さて、どうしたものだろうか?
「上手くやること」の意味とは?
僕自身はこのような状況に対して、きちんと言うべきことを言ってきたつもりである。
そこにはそれなりに軋轢が生じた。
でも、そのような態度はあまり歓迎されないようでもある。
「うまくやれよ」
上司からは何度もそのような言葉をかけられた。
確かにそこには僕の実力不足があるだろう。
でも、同時に何もせず、我関せず、で過ごしていていいのですか、とも思う。
そして、その責任は僕だけではなく、あなたにもあるんですけどね、と思うのだ。
人間は弱い生き物だ
僕は基本的に人間は善であると考えている(性善説)。
ただ、マネジメントという仕事をやってみて、どうやらそうでもなさそうだぞ、とは思っている。
というのは、多くの人は出来るだけ自分に都合が良いように解釈したり、行動したりしてしまう生き物であるということが、10年以上の経験を通じてわかってきたからである。
そういう意味では、最近よく言われる「性弱説」というのが正しいのかもしれない。
人間は弱い生き物である。
安きに流されてしまう。
だからそれをどうにか保つ為にルールや規範を定め、運用していかなければならない。
でも、先述したようにハラスメント警察があちこちにいて、ちょっとした注意でさえも難しいのが現代社会である。
さて、ではどうしたらいいのだろうか?
自治の概念
僕が考えるのは「自治」の概念である。
というか、これしかないとすら思っている。
そして、これは別に今思いついた訳ではなく、昔から言っていることでもある。
そこにいる成員たちが、自分たちが過ごしやすいように、自らルールを定め、自らを治めていくこと。
ただ、このような考え方は、日本社会には馴染みづらいのだろうなとも思っている。
というのも、日本社会においては、どうしても父権的というか、「上の人が物事を定め、下の人がそれに従う」という形がデフォルトであると思っている人が大半であるからだ。
それは職場においても同様である。
上司であるマネージャーがチームのルールを定め、そこに規律をもたらすべきだ、というような考え方。
何か問題が生じれば、それを解決すべきなのはそこを治めている上司である、というような考え方。
まあ言いたいことはわからなくはない。
そして、一理あるとも思う。
ただ、一方で、そこにいる成員たちは何もしなくていいのだろうか、とは思ってしまう。
子どもばかりの職場
自分たちは安全地帯にいて、不満だけを並べていれば、状況が改善するなんてことは残念ながら起こり得ない。
それが許されるのは子供だけである。
権利には義務が伴う。
職場を良好な環境にしたいのであれば、それぞれが何らかの義務を果たす必要がある。
僕はそう考える。
でも、そのような考えは少数派のようである。
上手にケンカすること
健全な議論。
人間が集まる限り、それは避けて通れない。
それなくして改善することはない。
でも、そのような経験をしたことがない人が圧倒的多数であるとも思っている。
相手を攻撃するのではなく、両者の落としどころを探る行為というのはそれなりのスキルが必要となる。
そして、それは経験を通じてしか身に付けられないものだとも思うのだ。
それはそう
角を立てないで済むならそれに越したことはない。
それはそうだろう。
でも、そうせざるを得ない時だってあるし、それなくして改善もまたないのである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「声のデカい奴が有利」
皆が皆角を立てることを避けた結果、しょうもない奴が得をするような社会になってしまったような気がしています。
こちらが何も言わないことを良いことに、ズカズカと踏み込んでくる人たち。
そういう人たちをのさばらせているのは我々皆なのかもしれませんよ?
僕が思うのはそういうことです。
言うべきことを言って嫌われていきましょう。