低生産性というのはデフレのせいだったのかもしれない

UnsplashJoachim Schnürleが撮影した写真

価格と賃金の硬直性の変化

日本社会の低生産性については、何度もこのブログ内で触れてきた。

そして、その原因の1つとしてマネジメントがあるのではないかと僕は考えてきたし、それを変える為にこのブログを立ち上げた訳で、根幹にある想いはそんなに大きくは変わってはいない。

ただ、最近ちょっとその潮目が変わってきたのではないかと感じている。

そして、その要因として、経済がデフレからインフレに変わってきたことが関係しているのではないかと考えている。

「インフレによって、価格や賃金の硬直性が薄れてきた(結果、差を付けることが可能になった)」

これが今回僕が言いたいことである。

と言っても、これだけでは意味が分からないかもしれないので、以下もう少し詳しく書いていく。

デフレのヤバさ

デフレの何がマズいのか?

物価が変わらなくて、むしろ良いのではないのか?

インフレ化の現在の経済環境にいると、そんなことを思う方もいるかもしれない。

でも、デフレはマズいのだ。

それは価格(や賃金)の調整機能が働かなくなるからである。

価格に転嫁できないと、努力の甲斐がなくなる

価格が上がらないと(というかデフレであればむしろ下がってしまうと)、企業はどんなに良いものを作ったとしても、それを価格に転嫁することができず、他商品との差異化が難しくなる。

というのは、ちょっとでも値段を上げると、消費者は他の商品に目移りし(より安い商品を探し求め)、その商品を買わなくなってしまうからである(もちろん、わかり易く見分けがつくくらい大きな差異があるなら話は別だろう。また、この価格の上昇には、良い価格上昇と悪い価格上昇があって、僕がここで申し上げたいのは良い価格上昇までもがデフレ化では起こりにくいということについてである)。

となると、「企業努力して良い商品を作ろう!」という意欲は削がれ(どうせ価格転嫁できないし)、横並びの商品が横並びの価格で展開されることになる(もっと言えば、デフレ環境であれば、利益を維持する為に価格を変えることは難しいので、数量を調整したり、品質を下げたりしようというインセンティブが企業に働くことになる)。

インフレショックによる変化

これは賃金においても同様である。

労働者がどんなに生産性を上げようと努力したところで、またその結果実際に生産が上がったところで、賃金が上昇しないのであれば、その努力を続けるということは起こりにくいだろう。

むしろ、手を抜くことがそのコスパ上昇に資するのであれば、そのような働き方を選択するようになるかもしれない。

そうやってこの30年間停滞を続けてきたのが日本社会である。

その流れが最近変わってきたような気がしている。

それは主にインフレによるものだ。

そして、そのインフレはコロナ以降の世界的なサプライチェーンの混乱によって外的に(強制的に)もたらされたものだと思っている。

良い物価上昇が可能になった

あらゆるものの値段が上がっていることは皆さんも実感している通りである。

でも、あらゆるものの値段が上がったことによって、価格を上げることで他所に消費者が流れにくくなったというのがこの話のミソであるような気がしている。

従来のデフレ環境下においては、自社だけ価格を上げてしまうと、顧客が他社に流れてしまったけれど、現在のインフレ環境下においては、価格転嫁したところで他社も価格転嫁しているので、顧客が流れようがない。

なので、思い切って価格転嫁ができる(というかせざるを得なくなっている)。

そして、この価格転嫁には物価上昇の影響(悪い物価上昇)だけではなく、製品の改良であるとか、パフォーマンス向上であるとか、そういった良い物価上昇も織り込むことができるようになったのだ。

差を付けることが可能になった社会

経済学的に言うのであれば、期待インフレ率というか、インフレに対する感応度のようなものが大きく変わり、従来のような「どうせ物価なんて上がらなくね?」という考え方(総意)

ではなく、「あれ、本当に物価が上がるかもしれない…」という「期待」が醸成(合意)されたことが大きいように感じている。

結果、その物価上昇に追い付くための賃上げが行われることになる。

これもきっかけは官製賃上げであったものの、「名目インフレ率に追い付くべく(名目)賃金を上げないと実質賃金が下がるよね」ということが周知されたことにより広がったものだと思っている。

そのような物価の上昇と賃金の上昇によって、色々なものに差異を付けることができるようになった。

ゼロもしくはマイナスに張り付いていた物価と賃金がプラスに転じたことで、そこにバッファーが生まれ、差をつけることが可能になったのである。

これにより、もしかしたら「正直者が馬鹿を見る社会」からの脱却が可能になるかもしれない。

そんなことを僕は考えている。

マインドセットの変化を

努力すればするだけ、それが商品価格に反映されるなら、企業は思い切って設備投資を行うだろう。

また、そこに携わった従業員に賃金として報いるようになるだろう。

そうやって差がついていくことはおかしなことではないはずだ。

そして、我々マネージャーもそのようなマインドセットの転換が必要であるように思うのである。

何だか大きな話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

差がつかないこと。

それを打破する為の方法を僕は成果主義に置いてきました。

でも、インフレの経済状況になれば、それが自然と行われるようになるような気もしています。

それが今回の話です。

議論は稚拙ではありますが、言いたかったのは「流動性の罠」「そこからの脱却」です。

生産性を上げ、高い賃金を得ていきましょう。