種を蒔こう

新しいことをやろうとすることは無駄ではない
昔蒔いた種がようやく芽吹こうとしている。
そんなことが最近立て続けにあったので、今日はそれをテーマに書いていこうと考えている。
マネジメントを行う上で、「戦略策定が大事である」ということをこのブログでは口酸っぱく言ってきた。
でも、その戦略が新奇であったり、前例がなかったりすると、なかなか即採用!とはならず、残念に思うというか、不満に感じるというか、そんなことを繰り返してきたのもまた事実である。
ただ、そのような行為は無駄ではなく、いつかそのことが思い起こされ「やっぱりウエノが言っていたことは正しかったな」と言われることに繋がったりもする。
だから、何かを発案したり、それを主張したりすることは大事だよ、というのが今日の結論となる。
もう言いたいことは言ってしまったような気もするけれど、以下もう少し詳しく書いていく。
言わないことが大人?
「アイディアが採用されなかったり、否定されたりすると、その行為自体が無駄だったのではないかと思うようになり、いつしか発案したり、プレゼンしたりすることすらしなくなってしまう」
そんなことを思う。
多くの大人達は皆僕からすればそんな感じである。
それも「その方が望ましい」というか、「大人の振る舞いである」と肯定的に捉えているような気がしている。
「大人」になる人たち
まあ気持ちはわかる。
誰だって否定されたくないし、嫌われたくもない。
また、できれば昇進だってしたいだろう。
そのような変遷を経て、多くの人たちは「大人」になっていく。
めげずにアイディアを出す
不満があっても主張せず、アイディアがあってもそれを外に出さず、会議室を出た後や居酒屋でそれを得意げに披露する。
そんな人ばかりである。
繰り返すが、その気持ちはよくわかる。
そして、僕自身そのようなことをやってしまうことがあるのも事実だ。
でも、少なくとも僕はそういう人よりもたくさんのアイディアを出し、それを外に出すことを続けているとは思う。
その多くは採用されることはない戦略ばかりである。
ただ、時間を経て、時代が少しずつ変わってくると、そのことが思い起こされ、今頃になって採用されるということが起こる、だからそれをやめてはいけないよ、というのが今日の話である。
日本社会は新しいことをすると疎まれる
出る杭は打たれる。
和を乱す者は糾弾される。
それが日本社会のデフォルトだ。
そして、新しいことをやろうとすることは、このカテゴリーに入る行動のようである。
僕からすれば、別に目立とうとか、和を乱そうとか、そんなことは露程も考えてはいない。
ただ単純に今のままではジリ貧になるというか、このままでは負けてしまうというか、そのような思いからアイディアを出しているだけなのだ。
訳知り顔の人たちの言説は概ね正しい。が…
でも、そういう行為自体が気に食わない人はたくさんいる。
「そんなことせずに上の言うことだけ聞いていればいいんだよ」
そういう訳知り顔の人たちにたくさん諭されてきた。
そして、その言い分も実際に正当であると僕も思うし、その方がいいのかもしれないなと自信を失うことだって多々あるのも事実だ。
ただたとえそれがほぼほぼ正しくても、残りの数%の世界においては正しくなかったりもするし、その数%がその後の仕事のやり方を変え、成果を大きく変えるというのが起こり得るというのが今日の話だと僕は思うのだ。
現場に近い言葉は視座が低いのと同義ではない
経営的な立場にいる人たちには現場は見えない。
そして、現場にいる僕のような者の主張は、視座が低く、現場偏重になっていると捉えられがちである。
このようなことを上申する時によく感じてきた。
だからこそ、そうならないように最大限気を付けながら話をしてきたつもりである。
それでも、伝わらないものは伝わらないし、仮に伝わったとしても、そこにある質量というか、実感を伴った話にはなりづらいと思ってきた。
ただ、だからといって旗を降ろしてはいけないとも思うのだ。
前例踏襲主義者たちは新しいことを考えられない
僕の言うことは、どちらかというと児戯に近いというか、経営を分かっていない奴の戯言というように捉えられていたように思うけれど、実際に成果を出し、チームのメンバーの成長が見られるようになると、その捉え方が少しずつ変わってくる。
もちろん、そこには経営環境の変化という追い風があるのも事実だ。
デフレ環境とは違いインフレ環境においては、何もしないということは死に近づくことを意味する。
でも、新しいことを考えてこなかったり、前例踏襲が最善だと思ってきた人達は、「何かを始める」ということがあまり得意ではない。
そんな時に、僕が過去言っていたことが頭によぎるようなのだ。
そして、僕が呼ばれる。
「おいウエノ、昔お前が言っていたことってこんなことじゃなかったか?」
白眼視されたとしても
もしかしたら、僕が考えることは早過ぎるのかもしれない。
時代に対して前のめりになり過ぎているというか、時期尚早というか、機を見るのが下手というか、そういうことなのかもしれない。
でも、そこにあるエッセンスや本質的なものは、きっとそこまでおかしなものではないのだ。
だから、仮に白い目で見られたとしても、種を蒔くことを恐れてはいけないし、それをやり続けなければいけない。
改めてそんなことを僕は思ったのである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「長い物には巻かれろ」
「余計なことはするな」
会社という組織の中で働いていると、そのような空気や圧力を折に触れて感じることになります。
そして、それは一定程度妥当であると僕自身も思いますし、大抵の場合はご多分に漏れず、そのように振舞ってもいるような気もします。
でも、アイディアを考えたり、それを表に出したりすることはやめてはいけないのかなとも思っています。
それはその時に花開かなくても、いつかどこかのタイミングで機が向いてきた時に、芽が出る可能性があるから。
そんなことを最近は感じています。
否定されても、めげずにアイディアを出していきましょう。
