守るべき社員を守ろう

UnsplashMarek Studzinskiが撮影した写真

選択と淘汰

経済がインフレ傾向になると、選択を迫られる場面が増えると思う。

というか、デフレ時代には決定しなくても良かったことを決定しなければならない局面が出てくるのがインフレ時代である。

そして、選択には当然ながらリスクが含まれる。

多くの日本企業がここ数十年リスクを取る経験を殆どしていなかったこともあり、ここから先においては、選択の巧拙によってかなりの差が生まれてくると僕は考えている。

それ自体は穏当というか、むしろポジティブなことであるはずだ。

何もせずとも生き永らえられる時代ではなく、淘汰の時代が始まること。

それはインフレの長所であるとも言える。

しかしながら、その選択眼については注視しておく必要がある。

碌に選択をしてこなかった人たちが選択を行うことに僕は不安を持っている。

そして、その選択の範囲には社員も含まれている。

どのような社員を大事だと考えるのか?

それは守るべき社員をきちんと守る選択なのか?

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

メンバーの質が大事

マネージャーという仕事を10年やって、その間に複数のチームを担当してきた。

そのような経験を踏まえると、マネジメントというのはメンバーの質に大きくその方向性が左右されることが実感を伴ってわかってくる。

要は、メンバーの質が高ければ仕事の難易度は大きく下がるし、成果は大きく上がる。

そこにマネジメントの巧拙はあまり関係ない。

そんなことを思う。

平等の思想

一方で、メンバーの質を担保するようなことが会社として行われているかというとそんなこともないように感じている。

それはあくまでも偶然の産物であって、メンバーの質を恒常的に上げるような施策や、人事制度の刷新などが行われているようには思えないのが実情である。

そこに底流しているのは、平等の思想というか、差を付けることは悪だという考え方である。

守るべき社員もそうでない社員も十把一絡げにして、同じような評価を付けることが罷り通ってしまっている。

もちろん、多少の差はある。

でも、僕からすればそれはどんぐりの背比べみたいなもので、そのくらいの小さな差によって頑張ろうとする社員は殆どいないはずだ。

だからこそ、「頑張っても無駄」みたいなある種の諦めムードが蔓延しているのだろう。

そこをそろそろ変えないか?

というのが今日の話なのだ。

「毅然とした対応」という死語

「毅然とした対応」というのがそのキーワードだと僕は考えている。

ダメなものはダメなのである。

それをしっかりと明示すること。

そして、そこから逸脱する者にはそれなりのペナルティを与えること。

それを恐れずに行い、行う者を糾弾しないこと。

それが必要なことだと思う。

ハラスメント恐怖症

どうにもハラスメントだと訴えられることを恐れ過ぎて、なあなあにして誤魔化そうとする傾向があるけれど、それをやめる。

声の大きい社員や、面倒な社員の言うことなど聞かず、まともに働いている社員の意見をきちんと取り入れ、問題がある社員に対しては毅然とした対応をすること。

それだけで社内の空気は大きく変わるような気がしている。

選択を行うことに日和ってはいけない

ただ、ここには冒頭にも書いたように選択眼(審美眼)が求められる。

盲目的にそれを行ってしまうのは論外であり、きちんとした論理や理路がそこには必要となるのは言うまでもない。

また、そのような処分に対して様々な反論も出てくるだろうけれど、そこで日和ることなく、信念を曲げずに立ち向かっていくこと。

それが必要なのではないか?

そして、それを行えるのは我々管理職ではないのだろうか?

一致団結してやろうよ

僕たちは一致団結して、守るべき社員を守る必要がある。

リスクを適切に取り、批判も正面から受け止め、適切な処置をする必要がある。

もちろん、そこには会社の絶対的な後ろ盾が不可欠であるのは言うまでもない。

個人単位で行うと、下手をすればハラスメントだと処分されてしまうリスクが残存するから。

でも、それを意思統一し、やっぱり守るべき社員を守らなければならないよねという合意形成ができるなら、それを成し遂げることは不可能はないと僕は考えている。

そして、それは必ず会社の繁栄に資するはずだ。

もっと言えば、より良い社員が集まってくるようにもなるはずなのである。

冷笑と嘲笑の時代に

また、それを自社だけでなく、多くの企業で行うとするなら、日本という国においてもポジティブな影響が出てくるはずだと僕は考えている。

「やってもやらなくても同じ」

「頑張るだけ無駄」

そのような冷笑や嘲笑が世間には溢れている。

それに対して僕は共感を覚えるし、言っていることは間違っていないよなと首肯する。

でも、それは良くないことであるのも事実だ。

それを少しでも変えていかないか?

評価に差をつけよう

僕たちにできることは目の前の社員の評価を付けるというミクロなことだ。

でも、そこに少しでも差異を生むことを恐れずにやれば、それが多くの人数になれば、それなりのインパクトになるはずだとも思うのだ。

そういうリスクを負っていくこと。

それが僕たちの社会をもう少し良いものに変えていく方法の1つだと僕は思うのである。

大きなことを言った。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「現在の社会がこのような状況にあることの責任の一端は自分にある」

僕はそのような考え方を持っています。

そして、現在の社会の在り方に問題を感じるなら、行動を変える必要があるとも。

僕たちにできることは僅かなことです。

でも、それが積み重なれば、もしかしたら大きなものになるのかもしれません。

批判を恐れず、守るべき社員を守っていきましょう。