コスパとAI

UnsplashShawn Dayが撮影した写真

予定調和なAI

生成AIが普及してきて、何か困ったことがあるとChatGPTやGeminiにとりあえずぶち込む人が増えたように思う。

でも、その回答には何となく納得感がないようにも感じている。

最初の頃は面白がって使っていた僕も、段々とその使い分けの仕方がわかってきて、最近は少しずつ距離を置き始めているというのが本当のところである。

もちろん、AIは便利ではある。

ただ、その回答があまりにも予定調和過ぎて面白くないのもまた事実である。

それをコスパという角度から書いてみようというのが今回の試みである。

どうなるか分からないけれど、とりあえず始めていこう。

間違ってはいないけれど、何か違う

僕が生成AIから距離を置き始めたきっかけに、自分の専門分野について尋ねた際の回答のレベルの低さがある。

といっても、明らかに間違っているとかそういうレベルではなく、たぶん一般の人が聞けば納得するであろう水準の回答ではあった。

でも、僕が求めていたのは対話相手というか、高いレベルで壁打ちができることであって、その程度の返しでは話にならないと思ったのもまた事実である。

もちろん、こうやって書いている瞬間にもAIのレベルは向上しており、僕が求めているような水準の対話ができるようになる日がすぐに訪れるのかもしれない。

しかしながら、現時点においてはそれはあまり役立たないというのが本音である。

思考ではなく編集

生成AIがやっていることは、結局のところ思考ではなく編集であるというのが僕の今のところの感覚である。

既存の文献を上手に編集し、求めている回答に近いものを「生成」することには長けてはいる。

でも、それはあくまでも既知のものを編集しただけであり、そこに違う方向性の議論が組み合わさることはない。

言わば、化学反応みたいなことは起きないのだ。

対話のコスパの悪さ

僕は対話において重要なことは、議論が発散してしまうということだと考えている。

違う思考を持った2人の話者がある物事について議論している際に、その話の延長線上ではなく、全く違う分野の話が飛び出してきて、それが実は当初議論していた物事において有用なアイディアに繋がっていくこと。

これこそが対話の意義である。

そこには「思いがけなさ(Serendipity)」が含まれている。

そして、それは狙って出せるものではない。

再現性もない。

そういう意味においては、対話というのはとてもコスパが悪いものである。

でも、そのコスパの悪さこそがアイディアに繋がり、ひいては指数関数的な成果に発展していくのではないかと僕は考えている。

意思ではなくアルゴリズム

フィルターバブルやエコーチェンバーの議論においてもそうだと思うのだけれど、生成AIと話をしていて僕が思うのは、僕が求めている(もしくは心地よいと感じる)回答をAIはしたがるということである。

そしてそれを僕たちは意思だと勘違いしている。

でも、それはただのアルゴリズムに過ぎない。

僕たち用にチューニングされたアルゴリズムなのだ。

そこには思考なんてないし、当然ながら欲望など存在しない。

ただ、膨大なデータを上手に編集し、アウトプットしているだけなのである。

それは対話とは大きく異なる。

僕が予定調和的だと思うのはこういう点である。

自分との対話に似ている

AIは求めている回答、80点の回答を出すことには非常に長けている。

でも、それなら一人で考えていることとあまり変わらないような気がする。

結局のところ、それは自分が考えていることを肯定する、もしくはその思考の近接領域から考えられる推論を出してくるだけなのである。

そこに僕はわくわく感を覚えない。

脳がドライブしていかない。

秘書と対話はしないはず

僕が面白いと思うのは、この先どう展開するかわからないけれど、何か素晴らしいアイディアに到達できるかもしれない予感が含まれているというその事実の中にある。

しかし、残念ながら、生成AIと話をしていてもそのような予感を覚えることはない。

「有能な秘書」なら務まるのかもしれない。

でも、それらと暖炉を囲みながらウイスキーを嗜むなんてことはしたくないと僕は思うのだ。

コスパではなく編集

若者たちはコスパに傾倒している。

ただ、僕からすればそれはコストパフォーマンスではなく、編集(edit)に過ぎない。

当然ながら、編集には創造性が含まれない。

というか、編集に創造性は求められない。

ショート動画も、切り抜き動画も、全ては編集だ。

コスト削減とパフォーマンス最大化

「要点は何?」

「大事なことだけ教えて?」

それがコストパフォーマンスだと彼(彼女)らは考えている。

そして、それを模倣し、最短距離で最適解を出し続けることが、自分のパフォーマンスを向上させる方法だと思っている。

確かに。

それをやればコストは削れるだろう。

でも、パフォーマンスはどうだろうか?

単線的な成果

誰にでも模倣可能な最適解を行い続ける人のパフォーマンスは単線的な成果しか生み出さない。

というか、それなら生成AIの方が何百倍も上手である。

僕が求めているのは指数関数的な成果なのだ。

パフォーマンスを指数関数的にすることで、仮に当初コストが多めにかかったとしても、結果としてコスト・パフォーマンスが最大化するならそれでいいじゃないか?

またおかしなことを言った。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「生成AIとは編集である」

それが僕が今考えていることです。

もちろん、編集はとても大事な仕事です。

でも、創造性はない。

というか、意思や思考は存在しない。

そこがあまり面白くないなと感じています。

そこには「快の感情」がない。

もっと言えば、「快の感情を欲望すること」がない。

そういうモノがいつか意思を持つことがあるのでしょうか?

僕にはそれがよくわかりません。

対話はコスパが悪い行為です。

でも、それが時に物凄い快の感情をもたらす(たぶんAIに脳汁は出ないでしょう)。

それが最終的なパフォーマンスを上げるのではないかと僕は考えています。

コストを最小化するのではなく、パフォーマンスを最大化していきましょう。