受け止め方はさまざま

UnsplashAndrew Mocaが撮影した写真

マネジメントという仕事の評価の難しさ

組織内の評価程移ろいやすいものはない。

そんなことを思う。

僕自身は何も変わらないのに、評価は大きく変化していく。

不思議なものだ。

もちろん、そこには僕自身の人間としての拙さがあることは大前提である。

それがもう少しだけでもマシであれば、このような変動はきっとないのだろう。

特にマネジメントという仕事においてはその傾向が顕著であると僕は思っている。

マネジメントは評価が難しい。

それは事実だ。

でも、そこには評価能力の低さ評価方法が定まっていないことも関係しているのでは?

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

評価の尺度がコロコロ変わる

マネジメントに必要なものは何か?

そのマネージャーが優れていると判断できる要素と何なのか?

この辺が全くもって定まっていないと日々仕事をしていて感じる。

評価者の感覚によってその基準は変動するし、何なら項目自体が変わったりもする。

それが当社の現状であると僕は感じている。

そして、それだけでは優秀なマネージャーは育たないし、マネジメントによって成果を恒常的に上げるという事態は起こり得ないだろうなと僕は思うのだ。

一定の統一的な基準があってもいいのでは?

もちろん、仕事の評価というのは定形ではなく不定形に行うべきだとは思う。

昨今の指標至上主義(KPIなど)に大きな違和感を覚えるのも事実である。

でも、だからと言って、それを感覚に委ねすぎるのもまた違うのかなと考えている。

アナログなもので構わないけれど、そこには一定の統一的な基準というか目安があるべきなのではないか?

そんなことを最近考えている。

というのも、それがなければ、「上司に阿る」というのがマネージャーの行動原理の最優先事項になってしまうからである。

「上司に阿る」一択

いや、組織内で働いている以上、上司の意向に沿うべく努力をするというのはとても大事なことである。

そこに異論はない。

でも、往々にして上司というのは間違えるものでもある。

それも全体の戦略や人事評価など、大きな影響を及ぼす分野で間違えることがある。

その際に、評価基準が曖昧であったり、感情が評価を決める際に大きな比重を占めたりするなら(そして被評価者がそう考えるなら)、上司の意向に沿うというのが行動原理の最優先事項となってしまう。

結果、イエスマンばかりが上位層に増えることになる。

繰り返すが、組織で働いている以上、一定程度そのような傾向を帯びることは仕方ないと思うし、ある意味ではそうあるべきだとも思う。

でも、それがあまりにも過大になってしまうと、それはそれで問題だと思うのだ。

上司ガチャ?

10年以上マネージャーをやってきて、本当に色々な人が好き勝手言うものだなと僕は感じている。

ある上司の下では良いと言われた行動が、別の上司の元では酷評されたり、またその逆であったり。

そのような毀誉褒貶が続き、結局のところ「運じゃね?」と思う時もある。

上司ガチャなる言葉が若者の間で一時期話題になったけれど、僕が感じてきたことも(そして今書いていることも)その類の話である。

上司との巡り合わせ次第。

それはあくまでもであって、自分自身で主体的にコントロールできるものではない。

いや、そんなこともない。

というか、受け止め方はさまざまであっても、自分の仕事をどのように捉えるかというのは変わらない。

時にはアピールも必要だけど…

表現が難しいけれど、見ている人は見ているものだし、見ていない人は全く見ていない。

だから、見ているか否かに重きを置くのはあまりお勧めできない。

それによって仕事の質が変わってしまうのでは本末転倒だからである。

もちろん、自分の仕事が見て貰えるように、最大限努力は続けるべきである。

そこにはそれなりのアピールは必要だし、「盛る」ことだってあっていい。

でも、それだけではダメだとやっぱり思うのだ。

評価は運だ。でもそれだけでもない。

たくさんの毀誉褒貶を経てきた僕が思うのは、マネジメントという仕事の評価は難しくても、計量化は困難でも、そこには確実な違いがあるし、その違いを継続することは全くの無駄ではない、というある種当たり前のことである。

だから、腐らずに仕事を続けることがとても大事なのだ。

確かにそれが評価されるかどうかというのは運の要素がある。

というか、強いとすら思う。

でも、運だけでもない。

もっと言えば、評価などそこまで重要ですらないのかもしれない。

自分が信じることを

会社という組織が求めるものは時代と共に変わっていく。

それによって、上司が自分に求めるものも移ろっていく。

それに振り回されるのも悪くないけれど、あまり振り回され過ぎずに自分が良いと思うやり方を続けることも悪くないと僕は考えている。

もちろん、意固地になってはいけない。

また、いじけるのもよくない。

あくまでも自然体で、フラットに、自分が信じるやり方をやっていく(必要があれば柔軟に修正していく)ことが重要なのだ。

だから、時には利己的でもいいのでは?

そんな自分へのアドバイスをして、本稿を終えようと思っている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

上司のアドバイスはありがたいのですが、それを受ける度に「そんなスーパーな人ってこの組織の中にいますかね?」ということを思います。

いもしない理想像を描いたとて、それに何の意味があるのか?

もちろん、僕は欠点の多い人間です。

その自覚はあります。

でも、欠点のない人などいるのでしょうか?

それがいつもよくわかりません。

たくさんの棚上げマンたち。

それを気にし過ぎる必要はきっとない。

僕が思うのはそんなことです。

そんな僕ですが引き続きよろしくお願い致します。