AIと空論

UnsplashSteve Johnsonが撮影した写真

本質を突くことの重要性

スライド生成AIなるものを使ってみて、パワーポイントやそこで行われるプレゼンに対して感じていた違和感が言語化されたように思ったので、それを今回は書いてみようと考えている。

スライド生成AIというのは、文章を打ち込むと、それをパワポのスライドのような形に変えてくれるまさに魔法のようなシステムである。

もちろん、そこで書かれる内容には真偽のほどがあったり、重複した文言が何度も出てきてしまったりと、まだまだ発展途上の状態ではあるけれど、一からパワポ資料を作ることを考えると、とても画期的なものだと感じている。

そして、そこで改めて思ったのが、「パワポ資料の中身の薄さ」についてである。

僕はパワーポイントやそれを使ったプレゼンについて、昔から「中身薄いなあ…」と思っていたのだけれど、その正体が今回スライド生成AIを使ったことでわかった気がしている。

それは「本質のなさ」である。

というか、「本質を薄めて延ばす」ということなのかもしれない。

たぶん重要なことは立派な資料を作るまでもないことで、何なら一言で済んでしまうことで、それを永遠と引き延ばしてそれっぽく仕上げるのがパワポ資料なのだと改めて思うことになった。

そう考えると、このようなスライド生成AIや、まだ僕が知らないAIを活用することによって、色々な仕事(とそれを得意げにやっている人達)の化けの皮が剝がれていくのだろうなと思っている。

結果、やっぱり大事なことは本質を突くことなんだよな、というところに僕の考えは戻ってくる。

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

自己顕示ではなく、単純に本質がわからない人達

優秀な人達の会議に呼ばれることがあって、そこで優秀な人達の議論を拝聴することがある。

その度に「なかなか本質に辿り着かないなあ…」と思ってきた。

会議に出る回数が少ない頃(経験が浅い頃)は、その原因を(自己)顕示的なものだと思っていたのだけれど、どうやら本当に本質が何なのかわからないのだろうなあということが最近わかってきて、この種の会議に呼ばれるのが本当に嫌になってきている。

願望ベースの議論

パワーポイントのスライド資料や、そこで展開されるプレゼンは、僕からすればとても大仰で、空想的だといつも思う。

そこでは「そうなったらいいな」という願望的議論が行われる。

ここに僕は「神風が吹いたら」的な匂いを感じる。

もちろん、僕も「そうなったらいいな」とは思う。

色々な物事が全てこちら側にとって望ましい展開になれば、確かにそのような事態が実現するのかもしれない。

でも、それはサイコロの同じ目が出続けるくらい、確率の低いものだと僕は思う。

しかしながら、皆そのことを真剣に話している。

そして、僕のように「いやいや、それって机上の空論に過ぎませんよね。もう少し現実的なシナリオも考えませんか?」という者は、その議論に水を差す厄介者というように扱われる。

だったら、オレを会議に呼ぶなよ。

いつもそのように思うのだ。

空気によってどんどん浮世離れしていくあの感じ

僕はこのような「願望ありき」の議論が苦手である。

いや、別に悲観的である必要はないのだ。

ただ、現実的でありたいだけなのである。

そして、もし「願望ベース」の議論をするのであれば、それが願望ベースであることを会議の参加者が理解した上で展開すべきだと思うのだ。

そうではなく、皆がその空気に支配されて、願望的なことを言わないと村八分になりそうだから願望的な話をする、結果その会議の空気がどんどんと浮世離れしていく、ということにほとほと嫌気がさしているのである。

AIで代替しよう

このような「総体」を、僕はAIで代替してしまえばいいのではないかと最近は考えている。

はっきり言って、この会議は(僕からすれば)無駄だ。

何のバリューも生み出さない。

皆が机上の空論を展開し、熱に浮かされているだけである。

だったら、そんなものAIに任せて、僕はもっと現実的で成果の上がる仕事をしていたい。

そんな風に思ってしまう。

資料作りは成果に繋がらない(ことを誰もわかっていない)

僕がパワポ資料を作ることに情熱を傾けられないのは、作り込めば作り込むほどその資料の中身が薄くなっていくと感じるからである。

そして、このような話をすると、「(自称)パワポマスター」達は色々と講釈を垂れてくるのだけれど、何度その話を聞いても「中身ないなあ…」と感じてしまうのが実際のところである。

残念ながら、会議の資料を作ったとて、それがいかに素晴らしいものだとて、そこから成果が上がる訳ではない。

そんなものに何の価値もない。

でも、それが何の価値もないことであることに、誰もが気付かないでいる。

壮大な空騒ぎ。

それならAIの方がマシだぜ。

僕はそう思ってしまう。

仕事と仕事っぽいもの

たくさんの「仕事っぽいもの」。

それを大真面目に取り組んでいるたくさんの人達。

そういう人達のそれっぽいお話。

全てAIに代替してしまおうぜ。

そこから話を始めようぜ。

戦中みたいだ

お花畑的思考停止。

空想とそこで行われる空中戦。

素晴らしき日本社会。

そりゃ戦争にも負けるわな。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

空論を打破するためのAI。

そんなことを考えています。

本文中にも書きましたが、仕事の中には本質的なものそうでないものがあります。

そして、現代はどうやらそうでないものの方が覇権を握っているような気がします。

それをAIに代替してしまおうぜ?

物事の本質を見抜くことと、ガワを取り繕うことは大きく異なります。

見かけだけではなく、中身で勝負していきましょう。