「部下を育てる」という概念が時代にそぐわなくなってきているのかも

会社と社員の関係性の変化
タイトルのようなことをぼんやりと考えている。
というのは、会社の社員に対する考え方が変わってきたことをひしひしと感じるからだ。
表現が難しいけれど、「社員が自由に働くことを求め、それに会社が対応した結果、両者の関係はビジネスライクになっていった(ならざるを得なくなった)」ということなのだろう。
これは自然な論理的帰結だと思う。
社員が自由に働くことを願うなら、会社の社員への接し方もある種淡白にならざるを得ない。
というのも、簡単に離職したり転職したり、時間や空間の制約(フレックスタイムやリモートワークなど)もなくなったりするなら、物理的に会社は社員と「接する」時間が減るからである。
「こちらも自由を認めるので、その分成果で応えてね」
このような互恵的関係。
それは従前の家族的関係とは大きく異なるものだ。
そして、そのような考え方が一般的になっていった結果、部下を育てるという概念も時代にそぐわなくなってきているように思うのである。
結果、マネージャーの働き方も変わってくるはずだ。
何だか言いたいことは言ってしまったような気もするけれど、今日はそんな話である。
それでは始めていこう。
この10年でも大きく変わった
マネージャーとして10年くらい働いている。
その短いキャリアの中でも、10年前と今とでは部下育成に対する考え方が変わってきたように思う。
いや、それは特に明確に口に出されている訳ではない。
でも、気配のようなものをひしひしと感じるのだ。
良し悪しではなく
それは冒頭にも書いたように、会社と社員それぞれが望んだ結果訪れた未来(現在)であるとは思う。
社員は自由を求め、会社はそれに対応していった、その結果がこの今である。
そういう意味では、それは良いとか悪いとか、そういう範疇の話ではないのだろう。
ただ一方で、マネージャーとして働く僕たちは、そのような現実に対応していかなければならないのもまた事実である。
さて、どうしたものだろうか、というのが今日の話である。
「部下を育てることはいいことだ」という暗黙の了解
マネージャーに成り立ての頃の僕は、もう少し部下を育てることに熱意を持っていたように思う。
それは僕が若かったとかそういう理由だけではなく、会社や社会が部下育成に対して意味を求めていたということが大きいような気がする。
言ってみれば、年功序列というか終身雇用というか、そのような日本的雇用制度の残像みたいなものがまだそこには(微かに)存在していて、暗黙の内に「部下を育てることはいいことだ」というような考え方があったように思う。
そして、部下は部下でそのような状態を求めていた、というか。
自由を求めながらも、自発的な努力はしない
翻って現在。
現代の部下の多くは、自由というものに対して、非常に大きな価値を置いているように僕には映る。
そして、そのような考え方に対して、基本的に僕は賛成である。
少なくとも、僕は旧来の日本的雇用制度やウェットな人間関係に対して良い感情を抱いたことはないし、ドライでビジネスライクなものの方が性に合っているのも事実だ。
でも、現代の部下は一方で自由を求めながらも、自己成長の為に自発的な努力をする訳ではなく、教育は所与で与えられるもの(与えられるべきもの)だと考えているようにも見える。
ただ、それは不可能だ。
二兎を追う者は一兎をも得ず
というか、部下育成には自由を制約する要素が(それなりに多く)含まれている。
二兎を追う者は一兎をも得ず、である。
自由に働きたいのなら、そこで出会うであろうリスクも、自分で負わなければならない。
リスクとリターンは等価だ。
リターンだけを享受することはできない。
でも、多くの部下達はそのような覚悟など一切なく、甘えたことを言っているだけであるように僕には見えるのだ。
OJTとOff-JT
仕事に必要なもの、例えば知識やスキルというものは、以前はOJTを通じて身に付けていったのが日本社会(日本的雇用制度)である。
そこには面倒な人付き合い(先輩後輩関係・上司部下関係)が多分に含まれていた。
また、時間的拘束が所与のものであった。
それが嫌なら(自由を求めるなら)、知識やスキルをOff-JTによって身に付けるしかないのだけれど、彼(彼女)らはそのような自助努力をすることができない。
ここに僕は大きな矛盾を感じる。
というか、その責任をマネージャーが負うのはちょっと違うのではないか、と僕は思うのである。
部下には成長して欲しい。がしかし…
もちろん、僕は部下に成長して欲しいと願っている。
ドライに見える僕も、部下に対しての熱意は人一倍ある、そう自負している。
でも、それにはそれ相応の努力が彼(彼女)らにも必要であるのも事実である。
それなくして、部下育成など不可能では?
フリーランチはない
権利の主張は結構なことである。
いくらでも存分にすればいい。
ただ、権利には義務が伴う。
フリーランチはないのだ。
そして、そのランチの提供をマネージャーが必ずしもする必要はないのでは?
無料食堂とそれを当然だと思う客
僕は無料食堂をちょっと前までは開いていたような気がする。
でも、客がその無料さを当然なものと思うなら、そんなバカな話はないとも最近は思うのだ。
批判を呼びそうな話になった。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
自由には責任が伴います。
でも、責任を取るという覚悟がないまま、自由だけを謳歌しようとする人ばかりです。
それは不可能では?
「部下を育てる」ことが以前に比べボランティア化しているように感じるのは僕だけでしょうか?
会社が部下の長期的な成長を願わないなら、というか、それを前提として社員と接しないのであれば、その責任を管理者が負うのはちょっとお門違いであるように思います。
ドライならドライに徹していきましょう。
