前例踏襲でいいのか?
それっぽいだけのマネージャー
偽物は見分けづらい。
マネジメントにおいて贋作はたくさんある。
それはたぶん日本においてマネジメントというものが大して重要視されていないからだろう。
マネージャーを見る判断軸が確立されていないからだろう。
何となくその席に座っているだけでマネージャーはマネージャーとして認識される。
前例踏襲を続けていれば、「それっぽく」見えるから。
そして本人もそれでいいと思っているから。
今日はそんなテーマについて書いてみる。
ポリシーを感じないからネガティブに捉えられる
前例踏襲というのはどちらかというとネガティブなワードとして用いられる。
でも、字面だけで言うと、それはフラットなものだ。
「前からやっていることを継続する」それだけの意味だ。
でもこの言葉がネガティブに捉えられるのは、そこにポリシーを感じないからだ。
「前からやっていることを(ただ何となく)継続している」ように見えるからだ。
無意識にやっている業務を点検する
僕自身、前任のやり方をそのまま適用することは多くある。
それは単純に僕がそのやり方を「良い」と思っているからだ。
でもここで大事になるのは、そこに「吟味」という要素が入っているかどうかだ。
僕は新しいチームを率いる時、そのチームでなされている「日常業務」に「メスを入れる」ことが多い。
ここで言う「日常業務」というのは、メンバーが無意識的にやっている仕事のことで、「メスを入れる」というのは、「これってそもそもどういう意味を持ってやっているんだっけ?」ということを問うことだ。
率直にメンバーに対して、「これって意味があると思う?」「これってなんでやっているんだけ?」と聞く。
「なぜなぜ坊や」のように。
それに対するレスポンスが真っ当なものであれば続けるし、そうでなければ変えることを検討する。
そのようにして一連の「日常業務」を点検する。
同じことをやっていても魂が失われればチームは停滞する
でも多くのニセモノのマネージャー達はこの作業を行わない。
ただ何となく、惰性のまま、「日常業務」を続けさせる。
僕にはとても不思議なことだけれど、本当にそういうマネージャーは多い。
悪い言葉で言うのであれば、「何も考えていないんだろうな」と思えるマネージャーは腐るほどいる。
当たり前の話だけれど、こういうマネージャーに率いられたチームは停滞していく。
前任のマネージャーと同じことをやっていたとしても下降線を辿る。
それはそこにポリシーがなくなるからだ。
魂が失われるからだ。
その残り香が消えた時に、遺産を食い潰した時に、確実にチームは悪い状態になる。
でも本人はその原因がわからない。
周りの人間もわからない。
なぜ同じことをやっているのに、結果が出ないのか。
そんなの当たり前じゃないか、と僕は思うのだけれど、どうもそういう人は少数派であるようだ。
同じ入力=同じ出力ではない
こういう時に僕はマネジメントに対する理解不足を感じる。
マネジメントというのは「手法」だけが重要なのではない。
マネージャーのキャラクターと合っているかが重要なのだ。
そしてそれは外形的にはわからないものなのだ。
「体温」や「息遣い」のような、その人にしかないものとフィットしているからこそ、その手法は効果を発揮する。
それを点検することなく、漫然とやっているだけ(席に座っているだけ)のマネージャーにはこれが本当にわからないようだ。
官僚的に、同じことをやれば同じアウトプットが出ると思っている。
論理的に説明できる仕事だけをする
僕らは工業製品ではない。
だからマネジメントは面白いし、難しいのだ。
形骸化された業務ほど意味がないものはない。
でもそれを「形骸化している!」と指摘するのはパワーがいる。
人間というのは変化を好まないからだ。
ここでハレーションが生じる。
必要以上のハレーションは起こさない方が良いのはもちろんだけれど、「意味のない仕事」についてのハレーションは起こすべきだと僕は思う。
というか、着任してすぐにそれをやらなければその難易度は上がっていくだけだ。
その「意味のなさ」をメンバーに説いて、直ちにそれをやめるべきだ。
そして自分仕様のチーム作りをする。
ある程度納得性のあるチーム運営を行う。
少なくとも、自分に対して今やっていることを論理的に説明できるようなものだけをやるようにする。
これは単純に業務をシンプルにしたいからだ。
意味のない仕事をやめるという簡単なことなのに…
官僚主義と同じように、仕事というのは放っておくと、無限に増殖していく。
やっている本人たちも無意味だと思っているけれどやっている仕事がなんと多いことか。
それをやめるだけで、チームというのは確実に向上する。
それがなぜわからないのだろうか?
僕には不思議でならない。
わかりやすく糾弾の対象とはなりたくないのだろうけれど
これはたぶん「リスクを負いたくない」という心情に起因するのだろう。
今までやっていたことをやめたことによってチームが停滞する責任を負いたくないのだろう。
やめることは勇気のいる行為だ。
誰だって糾弾されたくない。
わかりやすく自分のせいにしたくない。
とても下らない、と僕は思う。
でも、本当にこんなマネージャーばかりだ。
そういうニセモノたちがマネージャー然としている。
だから生産性など上がらないのだろう。
無駄な残業ばかりしているのだろう。
忙しい振りをしながら。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
自己保身をしないようにするだけでチームのパフォーマンスは向上します。
仕事において邪魔になるのは「良く思われたい」とか「リスクを負いたくない」のような実に下らない感情であることが多いからです。
それを取っ払うことができれば、ある種「無敵」になれます。
出世を諦めた窓際社員の扱いがとても面倒であるのは、この種の開き直りが悪い方向に出ているからなのですが、僕はある種彼らのような心境で働くことでマネジメントを効率的に行っています。
意味のない仕事をやめるという簡単なことさえ、自己保身に塗れたマネージャーには難しい。
僕は批判も非難もどこ吹く風、という感じで働くことで、皮肉にも高い成果を出すことができています。
前例踏襲を排して、良いものだけ残していきましょう。