ゼネラリストの悲哀
スペシャルじゃない自分
ゼネラリストは時代遅れだ、という話をよく聞く。
スペシャリティがない自分には耳が痛い言説だ。
そして的を射ていると思う。
これからの時代においては、専門性が何よりも大事で、「尖った」であることが不可欠で、そうでないものはどんどん淘汰されていく、それは事実だろう。
自分のことに置き換えても、僕はこれといったものを持ち合わせていないし、履歴書に書けるような経歴もない。
たぶん転職するのは不可能に近いだろう。
何とか絞り出して上げるとすれば、営業スキルということになるのだろうけれど、営業スキルなんてありふれているし、それもずば抜けている訳でもないし、と考えていくと、どんどん暗い気持ちになっていく。
でも一方で、「本当にそうなのか?」という気持ちもある。
それはスペシャリストというのは本当にスペシャルなのか、という疑問でもあるし、スペシャリストであり続けることは可能なのか(そして幸福なのか)、という持続性や幸福性に対する疑念でもあるし、そういったスペシャリスト達を纏める人も必要なのではないか、という問題提起でもある。
往々にしてスペシャリストはチームで働くことが不得手だ。
そして(スペシャルと言っても)個人個人の力なんてタガがしれている。
それについて今回は書いていこうと思う。
スペシャリストの道は険しい
スペシャリストがもてはやされるのは、そこに物語性があるからだ。
誰もが自分はスペシャルでないという自覚があるから、その物語には高い需要が生じる。
ゴリアテに挑むダビデのような、爽快感・ドラマ性がそこには生じる。
それを見た僕らは、そのようなスペシャリストになりたいと思う。
または、そうでない自分を顧みて、人知れず落ち込んだりもする。
でも僕が思うのは、「その道は険しいぞ」ということだ。
スペシャルな人材はスペシャルな人材間の苛烈な競争がある。
その相手はグローバルに果てしなく広がっている。
そして一者総取りの世界でもある。
それをずっと維持していくことには非常な困難がある。
それでもあなたはスペシャリストを目指しますか?
血で血を洗うような戦い
僕が不思議なのは、多くの人が簡単にプロフェッショナルになれると思っていることだ。
スポーツの世界であれだけプロとアマチュアの差があるというのに、ビジネスの世界ではそれが実現できると思っていることだ。
僕は自分がサッカーをやっていたので、体感として思うことだけれど、プロになれる選手とそうでない選手(アマチュア)には圧倒的な差がある。
それは努力とかそういうもので埋め合わせられるようなものではない。
秒でこれは無理だ、と思うような格差がそこには存在する。
そして僕が知っているのはあくまでも国内の話に過ぎない。
世界に目を転じたら、それこそ目も眩むような違いがあるのだろう(さらにプロの中でも大きな格差がある)。
スペシャリストというのはそういう種類の人間だという考えが僕にはある。
そもそもの出自が違うのだ。
そこで血で血を洗うような競争を繰り広げているのだ。
僕には到底無理だ。
かなうはずもない。
スペシャリスト達を纏める力
でもゼネラリストとしてなら戦うことができる。
そういう人達の力を引き出しながら、纏めていくこと、チームとしてより大きな力を出していくこと、それがゼネラリストの仕事だ。
僕は自虐的に自分のことを「総務課長」と呼んでいるけれど、本当に色々なことをしている(させられている)。
自分ではあまり実感がなかったけれど、僕はどんな事象に対しても平均点以上の結果を出すことができる。
新しい仕事であっても好奇心を持って臨むことができるし、まさにマルチプレイヤー的な動きをすることができる。
エースにはなれないけれど、ユーティリティープレイヤーにはなれる。
僕は方々にパスを散らしながら、チームの体温を上げていく。
性格的に問題が多い(?)ことの多いスペシャリスト達の結節点として僕はチームの速度を上げることができる。
それは言葉では表しにくいことだ。
そして数値的な計測もしづらい。
でも僕のチームは高い成果を上げることができている。
それを履歴書に載せることは難しいのかもしれない。
でもそこには明らかな違いがある(と僕は思っている)。
オーガナイザーやアレンジャーとしてのゼネラリスト
ゼネラリストと書くと、「何事も半端な奴」というようなやや侮蔑的な意味合いを帯びるけれど、僕のイメージはオーガナイザーやアレンジャーに近いものだ。
サッカーチームの監督のように、我儘なスペシャリスト達の能力を引き出して、チームとしての方向性を持たせていく。
僕はトレーニングメニューを明確にして、戦術をロッカールームで指示して、試合に臨む。
それを毎週繰り返していく。
試合で起こることは完全にはコントロールできないけれど、ある程度の範囲内に収めることはできる。
そうやって勝率を上げていく。
それが僕の仕事だ。
マネジメントは一種のアートだ
形として差し出すことはできないけれど、そこには秘伝のレシピみたいなものがある。
ある種アートの世界ですらある。
そのバランスを維持しながら、僕はシーズンを戦っていく。
不定形の不完全性を楽しみながら、僕は今日も試合に臨む。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
持続性、というのは僕の中で大事なテーマの1つです。
瞬間的に高い成果を出すことは誰にでもできるけれど、それを続けること(10年単位で)はとても難しい。
そしてもう少し現代風にアレンジして言うのであれば、これだけ不確かで変化の速い(VUCA的な)世の中においては、スペシャリティというのはすぐに陳腐化してしまうものですよ、ということにも繋がってきます。
そのような状況において、ゼネラリストという言葉を前向きに捉えるのであれば、それは汎用性がある、状況適応的である、ということになるのだと思います。
僕自身は凡庸ですが、チームの能力を上げることは比較的得意なようです。
そして、スペシャルな人達を上手にオーガナイズすることもできるようです。
スペシャルティがないことを嘆くのではなく、ゼネラルであることを楽しんでいきましょう。