飲み屋のマネジメント

新世代のマネージャー

かつて上司から言われた言葉の中で言い得て妙だと思ったのが「飲み屋にいるみたいだ」という言葉だ。

これは僕のマネジメントスタイルを的確に表現しているものだと思う。

僕は職場内においても、本音と建前を使い分けることはない(正確に言えば、本音は本音として、建前は建前としてわかるように話す)。

下らない話を大声で言ったり、どうしようもない冗談を飛ばしたり、そんなことばかりしている。

もちろんアルコールは一切入っていない。

でもとても楽しそうに、オープンに話をしている。

そういう意味において、(上司曰く)僕は「新しい世代のマネージャー」らしい。

「旧世代のマネージャー」は本音を隠し、人間性を排し、静かに「マネージャーらしく」働く。

どちらかというとしかめ面をしていて、時に怒鳴ったりする。

僕は正反対だ。

今日はそんなことを書いていく。

職場という建前と居酒屋という本音

「飲みニケーション」という言葉があるように、職場において話せないような「本音ベース」の話を飲み屋において行う、そこで腹を割って話す、それによって信頼関係を構築する、というのは典型的な日本のマネジメント手法だ。

職場というのは「建前」の世界で、職責に応じた役割を演じなければならないある種「舞台」なようなものである。

そこで僕たちは俳優として「上司部下ごっこ」を演じる

それが終わったら、打ち上げと称して飲み屋に出かける

飲み屋においては、上司部下という建前を少しだけ取っ払って、本音を開示し合う。

そこで「真のコミュニケーション」を行う。

上司が本当はどんな人物であるのか、人間性がどのようなものなのか、本当はあの時どのように考えていたのか、なんてことを話す。

そこで絆を深めていく

そして飲み屋で決められたことが翌日以降の主要な政策になったりする。

それを素知らぬ顔で演じていく。

日々それを繰り返していく。

飲みニケーションは閉鎖的なコミュニティ向けのマネジメント手法だ

僕自身がこうした「飲みニケーション」によって育てられてきた世代(たぶん最後の世代になるだろう)なので、このようなマネジメントスタイルはどちらかというと好きな部類だ。

でも、これは一部の社員にしか適用できない「昭和スタイル」のものであることも事実だ。

それは「男性・新卒・正社員・日本人」という内輪の共同体向けのマネジメントスタイルである。

それ以外の者はそこに加わることはない(少ない)。

現在は勤務形態も多様になり、参加したくともそこに参加をすることができない者も多い。

そして、飲み会のようなアンオフィシャルな場で決まったことがオフィシャルな場で行われる、というのはあまり望ましいこととは言えない。

さらにそこにコロナが襲い掛かり、飲みニケーションは死に絶えることとなった。

このような状況において、部下とのコミュニケーションに困難を覚えている上司もいるようだ。

主語を明確にする

そこでお勧めするのがこの「飲み屋のマネジメント」だ。

これは居酒屋で話しているような話を職場においても行う、という単純な手法である。

もちろん下品な話は抜きだ。

あくまでもTPOをわきまえた、職場仕様のものだ。

これを行う為には、「自分がどう考えているのか」を積極的に開示することが必要となる。

もう少しわかりやすく言うと、主語を明確にする、ということだ。

英語のように、「I think」ということを明確にして話すようにする。

「オレはこう思う」ということを折に触れて言う。

これだけだ。

滅私奉公

簡単なように見えると思う。

でも実際にこれを行っているマネージャーは少ない。

それは日本語という言語にまつわる癖みたいなもの(主語がないことが多い)でもあるし、ポジションを明確にするということは責任を取るということに繋がる(そしてそれは避けたい)からだと思う。

できるだけ境界を曖昧にしておくことが日本的な管理者の振る舞いとしては「適切」だし、責任という意味においては、個人よりも集団がそれを担うことが多いのが日本の特徴でもある。

「お上」みたいな実体のないものの命令に基づいて動いているロボットみたいに振舞うのが、日本的マネージャーとしては「正解」だ。

それを「忠実」と言ったりもする。

「官吏」として「管理」を遂行するのが役割として期待される。

そこには「I」は必要ない。

「滅私奉公」という言葉の通り、「私」を「滅する」ことが求められる。

こうして主語がなくなる。

誰がそう言っているのか、そう思っているのか、が分からない言葉が職場内において使われる。

仮にそれが失敗したとしても、責任を取る者が分からない言葉が蔓延する。

実態のない「空気」が職場を支配する。

そんなところで「I」を使うのは自殺行為だ(無理やり主語を使うとしたら「We」になるのだろうけれど「We」すら使われない)。

そのように「旧世代のマネージャー」は考えているようだ。

自分の言いたいことを言うという簡単なこと

僕は「I think」ということを明確にして話をする。

それは僕の言葉で、僕の意見であるからだ。

そしてその責任を取るという覚悟もしているからだ。

はっきり言って僕は今の立場に何の執着もない。

それよりは自分がやりたいことをやりたいようにやらせて欲しい

言いたいことを言わせてもらうし、楽しく仕事をさせてもらう。

それが僕の「飲み屋のマネジメント」だ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

社会も会社も(もっと言えば人生ですら)信じられないのに、私を滅することを必要以上に礼賛する風潮は僕にはよくわかりません。

たぶんそれで成功した時代(ジャパン・アズ・ナンバーワン)もあったのでしょう。

でもその栄光は遥か昔のことです。

現在の日本は先進国とすら言えないような状態であるのに(1人当たり名目GDPは25位)、その栄光の残滓に縋りついて、アップデートできないまま、もう30年も経ってしまいました。

「そうあるべきだ」という「べき論」では飯を食っていくことはできません。

なりふり構わず使えるものは使う、言いたいことを言い合って高い成果を上げる、そのような意味のある、実態のある仕事をしていきましょう。