マネジメントとは削減することだ
「加算」ではなく「減算」
マネジメントを「加算」のイメージで捉えている人は多い。
少なくともかつての僕はそうだった。
「足りない現状」があって、そこに「プラス」することで、成果を上げていく。
「付加する」ことがマネージャーの力量の証明方法である。
そんな風に考えていた。
でも、最近はそうじゃないんじゃないかと思い始めてきている。
マネジメントとは「減算」すること。
やらなくていいことをやらないようにすること。
そんなイメージの方が適切ではないかと思っている。
今日はそんな話だ。
「加算」はコスパが悪い
「間」があれば埋めたくなるのが人間の性だ。
マネージャーもそれは同様で、空いている時間があれば、何かをしたくなる。
例えば勉強会と称して部下のトレーニングを行ったり、ブレストと称して会議を行ったり、計数管理の為の新しいツールを導入したり、とにかく色々な「新しいこと」をやりたくなる。
特に僕の場合は、どちらかというと「立て直し」的なミッションを与えられることが多かったので、スキルがないメンバーに対して「足す」ことばかりを意識して仕事をしていた。
何かをしなければならないという焦燥感もあって、できるだけ暇な時間がないようにスケジュールを「埋めて」いた。
それはそれで間違いという訳ではない。
でも現在の僕が過去を振り返った時に思うのは、「加算」は「減算」に比べてコスパが悪い、ということだ。
「自分のやり方」への固執がパフォーマンスの低下を招く
かつての自分もそうであったように、駆け出しのマネージャーは「自分の色」を出したがる。
「自分がチームを変える!」みたいな変な意気込みがあって、肩に力が入り過ぎてしまう。
「独自のやり方」を新しく付け加えたくなってしまう。
結果として、部下達のタスクは増えていく。
新しいことを覚えなくてはならないし、そのやり方を深化させなければならないし、今までやっていたこともあるし、で徐々に仕事が積み重なり、かつ内向きになっていく。
でもマネージャーにはその実感はあまりない。
実感もないし、成果も上がらないから、そのやり方ののめり込み具合が足りないんじゃないかと思ったり、また新しいことを付け加えたくなったりしてくる。
新しいルールを作ったり、新しい制度を導入したり、とにかく「何かを変えなくては!」というイメージに憑りつかれてしまう。
たちが悪いことに、それを「良いものだ」「正しいものだ」とマネージャーも思っているので、成果が上がらないと、それを部下のやり方の問題にしてしまうようになる。
悪循環が続く。
出来るだけやらない方がいい、というマネジメント
今となっては、それが適切なアプローチではないことがわかるけれど、当時はそんなことは考えもしなかった。
部下にはやるべきことがあった方が良いし、それも自分が良いものだと思っている方法なので、それをひたすらやっていけば自ずと成果も上がる、そんな感じでマネジメントを行っていた。
今は違う。
出来るだけやらない方がいい、というのが僕のマネジメント手法だ。
課長が出しゃばるとロクなことはない。
「課長は暇そうでいい(同名のブログ記事参照)」のだ。
そしてできることなら、やらないことを増やしてあげること。
無駄な業務を減らしていくこと。
部下の余白を増やして、そこで自由連想ができるようにすること。
それがとても大事だ。
「問いに答える」のではなく「問いを作る」のが現代の仕事だ
少し真面目な話をすると、現代においてタスクをこなすことは仕事ではない。
「問いに答える」ことは仕事ではない。
「問いを作る」ことが仕事だ。
仕事は与えられるものではなくて、自分で自分に与えるものだ。
今回の話に適用すると、マネージャーは問いを作って、それを部下にやらそうとする。
タスクを与えて、その答え方が(自分にとって)100点に近ければ近い程良いものだと考える。
確かにそういう時代もあったのだろう。
でも現在はそうじゃない。
マネージャーの問いが「正解」ではないし、それぞれのメンバーにはそれぞれのメンバーに合ったやり方があるからだ。
「答える」よりも「問い」や「仮説」に価値を置く
確かに「マネジメント」という言葉には、「手取り足取り」というか、とにかく部下に構っていることが良いことだ、みたいな響きが混ざっている。
その方が仕事をしている「雰囲気」が出せる。
でも、現在の僕が思うのは、その必要はない、ということだ。
工業化時代のように、成果が比例関係にある訳じゃないのが現代という時代だ。
現代における成果は指数関数的だ。
そして不連続でもある。
そういう非線形な世界では、メンバーの他愛のない発想が「大化け」したりする。
その為には、できるだけ部下に自由に活動させる時間、ぼーっとさせる時間、下らないことを言わせる時間が必要だ。
マネージャーの仕事は余計なタスクを除いてあげることで、彼らの発想を一緒に面白がってあげることで、そういう雰囲気をチームに作ることだ。
「答える」よりも「問い」や「仮説」に価値を置くこと。
それを僕はマネジメントと呼びたいと思う。
チート的な仕事を
「速さ」や「正確さ」や「真面目さ」を否定するつもりはないけれど、それはあくまでも線形な世界での戦い方であって、それだけでは圧倒的な成果を望むことはできない。
もちろんただ遊んでいるだけではダメなのだけれど、ある種の「余白」がなければ、非線形な世界に移ることは難しい。
勤勉は必ずしも美徳ではない。
チートというか、ズルをしながら、僕は違う道を進んでいく。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
何かをやめることには責任が付きまといます。
それをやめたという事実によって成績が下がれば、それはマネージャーの責任とされます。
そして実際問題として、何かをやめた当初は成績が下がるということがしばしば起こります。
だから多くのマネージャーは「減算」よりも「加算」に力点を置きます。
今あるものに付加していけば、直接的にその責任を問われることがない(それがマネージャーの責任であるとは分かりづらい)し、上手くいけばその手柄を得ることができるからです。
そういう意味ではリスクが少ない戦略だと言えるでしょう。
でもそれが繰り返されたことによって、屋上屋を重ねまくったよくわからない建築物のようになってしまっているチームは腐るほどあります。
そこから少しでも「重り」を取ってあげると、見違えるようにチームは変わっていきます。
責任を取ることを恐れずに、タスクをどんどん減らしていきましょう。