結論ありきはもうやめよう

壮大な言い訳づくり

日本の低生産性の要因の1つとして、「結論ありき型の思考方法」がある、と僕は考えている。

そして、それを巧妙に隠そうとすることに無意味性を感じる。

僕らがする仕事の多くはただの「回り道」に過ぎなくて、その「回り道」をいくら工夫して走ったところで、タイムは変わらない(もうすでにゴールタイムは策定済であるから)、そんな気がしている。

でもそのゴールタイムを先に提示してしまうと合意形成ができないから、何となく「みんなで試行錯誤して頑張った風」に見せる。

そうやって「空気」を醸成する。

結論に適合するエビデンスだけが集められているのに、さも自然とそのような結論が導かれたように装われる。

本当はゴールから逆算しているのに、スタートからゴールに辿り着いたように集団で演じようとする。

それならば初めからその無為な時間を取り除いてしまえばいいのに、それを行うことはない。

責任の所在を不明確にしたいから。

集団でその責任を共有化することで、個人としての責任が生じないようにしたいから。

壮大な言い訳づくり。

そりゃ生産性なんて上がらないよな。

ゴールから逆算して最短距離を駆け抜けることで僕たちは成功してきた

不確実な世界においては「正解」なんてものはない。

ゴールから逆算してアプローチを行う方法によって、過去日本は大きな成功を収めることができたのは事実であるだろう。

あるロールモデルがあって、それを内部に取り込んで、改善と最適化を行い、最短距離を駆け抜けていく。

異論を唱えることは許されないし、ただひたすらに目的に向かって邁進する。

そして実際にそれが最適解であったのだ。

言葉が主体を乗っ取り、妄念が僕らを支配する

でも現代は違う。

合意形成を装った「正解」が、そもそも「間違っている」ことなんて日常茶飯事だ。

多大な努力を費やして、僕らはその「正解」に合うエビデンスをひたすら探し続ける。

その間にも世界はどんどんと変わっていっているのに。

いや、僕たちだって馬鹿じゃないから、その正解と世界の乖離には、本当は気付いているのだ。

でもそれを声高に言うことはできない。

「空気」に押しつぶされてしまうから。

異端だと石を投げられてしまうから。

村八分にされてしまうから。

だから、その「物語」に合うことばかり言うようになる。

その「神話」とも言えるような、荒唐無稽な物語に合う言葉だけを使うようになる。

そしていつしかその言葉は僕らの信念となる。

言葉が主体を乗っ取る。

必ずそうなるのだ、という妄念が僕たちを支配し始める。

きっといつか神風が吹くのだろう。

それを僕たちはいつまでも待ち続けるのだろう。

そうやって没落していくのだろう。

「王様は裸ではない」というエビデンスを探すだけの簡単なお仕事

「裸の王様」という物語がある。

僕はその童話を笑うことができない。

それはあまりにも戯画的だから。

それはあまりにも僕たちの姿を正確に表しているから。

僕たちは「王様は裸ではない」というエビデンスを探すことを仕事と称している。

そういった無駄な行為を繰り返している。

でも王様は裸なのだ。

そこから出発すべきなのだ。

ないものはない。

それが現実なのだ。

そこからどうやって進んでいくのかわからない状態でも前に進むこと。

足りない持ち合わせを組み合わせて、何とか進んでいくこと。

それがきっと僕たちには必要なのだ。

集団浅慮

上手く言えないのだけれど、個々人としては無駄だと思っているのに、集団となるとそれをやることが当たり前となってしまうことが、僕にはどうにも解せないのだ。

それこそが同調圧力と呼ばれるものなのかもしれないけれど、この「どう考えても無駄」なものをやめることで、僕たちは前に進むことができるのではないかと僕は考えている。

漸進的な改善というのが僕たちはどうしてか苦手で、誰もが不毛だと思いながらもそのままの状態で突き進んでしまう。

カタストロフィが訪れるまで。

いや、たぶん僕たちは無意識にカタストロフィを願ってすらいるのだ。

全てを0に戻すことに快感を覚える民族なのだ。

0か100の議論。

それはもうやめにしないか。

王様は裸だと言える環境を

不確実な世界では、間違えるという行為は悪いことではない。

以前にも書いたように、それは「データ採取」の1つに過ぎないのだ。

そこからピボットを行って、違う方向に踏み出していけばいい。

そうやって、ノロノロと試行錯誤を重ねながら前に進んでいく。

時に後戻りしながらもヨタヨタと進んでいく。

「王様は裸じゃないと思っていたけれど、どうやら服を着ていないみたいです」と誰にも糾弾されることなく自然と言えるような状況を作ること。

無理やり「そんなはずはない! 何とか裸じゃないエビデンスを見つけ出せ!」という類の命令を行わないこと。

その命令を不可能だと思いながら、黙って従わないこと。

「どうせ責任を取るのはオレじゃないし」と「誰か」のせいにしないこと。

目を瞑らないこと。

芽を摘まないこと。

見たいものだけを見ないこと。

そのままありのままの世界を見ること。

バックフォワードではなく、フォワードに考えること。

異論を面白がること。

あなたは裸の王様になっていないか?

上司が答えを知っている時代は終わったのだ。

知っているように装わなければならない時代は終わったのだ。

それによって権力を維持することができなくなったのが現代なのだ。

そのような状態であなたはどうやって権威を維持する?

どうやってチームのメンバーに話を聞いてもらう?

あなたが王様なのだ。

あなたは裸なのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

拙い文章ではありますし、手前味噌になってしまいますが、今回の話は普段考えていることを比較的上手く言語化できたのではないかと思っています。

「生産性向上の為に働き方を改革しよう!」という議論が表面的に映ってしまうのは、働き方を変えても生産性は向上しない、ということを本当は僕たちは既にわかっているからなのではないか、と僕は考えています。

既知のものに対して気付かない振りをすること。

それを大人の所作だと称すること。

仕事だと名付けること。

そこには虚しさが伴っています。

それをまず変えなくては生産性の向上はない。

僕はそう考えています。

もう少し言うと、生産性向上なんて本当はどうでもよくて、目の前の仕事に虚しさを感じずに、ただ面白いからやる(どう転んでいくからわからないから)、みたいに思えるようになることがとても大事だと思っています。

攻略本を読み込んでからロールプレイングゲームをやるのは2週目以降でいいんじゃないか?

出来レースに無垢を装うのはやめにしないか?

そんなことが今回言いたかったことです。

何かの発想の示唆になれば幸いです。