目標がお題目になっていないか点検しよう
目的のお題目化
今日は当たり前の話をする。
組織が大きくなればなるほど、目的は「お題目化」する。
そしてバックフォワード的に考え過ぎるようになる。
ビジネスを行っている以上、期限があるのは当たり前で、それを成し遂げる為に組織が動いていくというのは変な話ではない。
ただ、諸事情によって、どう考えても実現不可能な目標が掲げられたりすることが時にある。
この時に、「いやいや、社長、それはどう考えても無理ですよ」ということが普通に言えるような職場環境であれば、建設的な議論を重ねることで、目的がお題目化することを防ぐことができる。
目標自体の適切性を議論することはタブー視される
ただ、それが言えないような状況が往々にしてある。
目標がぶちあがり、その達成期限が定められ、「必達」という言葉が社内を駆け巡る。
その目標は「なぜそれをやらなければならないのか」の後に来るものであるはずなのに、主客が転倒して、目標をやること自体が目標となる。
目標自体が適切であるかどうかを議論することはタブーとなり、そのような発言をすると反体制派だとなじられるようになる。
そうこうしているうちに期限が迫ってくる。
どうやっても残された時間では達成不可能なのに、「やる」ということ自体が決定事項であるから、それはどうやっても曲げることはできない。
結果として、「やった感じ」というような中途半端な状況まで何とか持っていくことで、体裁を整えることになる。
そして社長には「間に合いました!」と報告する。
でも実態は空洞だ。
中身が伴わない張りぼてだ。
やれと言われることをやることだけに意味がある状態
当たり前の話だけれど、このような状態で走り始めた目標(お題目)が成果を伴う可能性はとても低い。
それは誰も「自分事」としてこの目標を捉えていないということもあるし、そもそもの制度設計に無理があるので、ハナから達成不可能な状況になっているからだ。
そして誰も責任を取らない。
空疎なお題目だけが宙に浮いて、上手くいかない状態が続いても、そんなことは関係ない。
やれと言われることをやることに意味があって、その後のことは関係ない。
それでは何の意味もない。
面従腹背ではなく換骨奪胎にできるか?
これはマネージャークラスでも当てはまる事象だと思う。
上司から落ちてきた目標を、ただその上司の言うままに部下に割り振っていないだろうか?
そしてその目標はどうやっても達成不可能ではないだろうか?
もちろんミドルクラスにできることなんてたかが知れているのかもしれない。
それでも、その中で少しでも現実的な形に置き換えていくことが大事なのではないかと僕は考えている。
バックフォワードで考えられた頭でっかちの理想的なお題目を、現場感覚を取り入れた現実的かつ実現可能な目標に置き換えていく作業。
そして具体的にどのように行動すればその目標が達成できるかということを、部下にわかりやすく示すこと。
それがミドルマネージャーの仕事であると思う。
これを「面従腹背」でなく「換骨奪胎」の形でやることができるか。
もう少し詳しく説明する。
エッセンスを抽出して、現実的なものに咀嚼する
明らかに無理なお題目を、「無理です!」と言うことは簡単だ。
でも組織人としては不合格である。
一方、「わかりました!」と受け入れることも簡単である。
この後にそれをそのまま部下にぶん投げるバージョンと、言うことを聞くふりをして全然違うことをするバージョンに分かれていくけれど、どちらもミドルマネジメントとしては適切ではない。
ではどうするか?
それが換骨奪胎なのだと僕は思う。
お題目のエッセンス、なぜそれをやらなければならないのか、ということを抽出して、そこに現実的な状況を加味する。
自分達のチームの実情に合わせた目標として掲げる。
そうやって業務を進めていく。
この微妙な落としどころを探していく。
お題目のお題目性を理解しながらも結果を出す
これは対上司にも大事だし、対部下にも大事なことだ。
上司の言うことをあからさまに無視することはできないし、かといって丸飲みすると、部下からの反発を買うからだ。
ちょうどいい塩梅を探っていく。
そして淡々と成果を出していく。
成果が出れば、やり方なんていうものは問われないし、お題目のエッセンスは継承しているので、上司にも「(組織の)言う通りにやったらうまくいきました!」みたいな形で報告できる。
当たり前の話だけれど、上司にもその上の上司がいるので、こういった報告を上げることは、彼にとってもありがたいこととなる。
その上司がある程度現場の状況を分かっている人間であればあるほど、お題目がいかにお題目であるかがわかっているからだ。
そんな状況で結果を出してくれるミドルが軽んじられるはずがない。
あなたはオウムに成り下がっていないか?
そうやって組織における「形式的な及第点」を取り敢えず取っておいて、本当にやりたいことをやりたい形で進めていく。
その為には、(何度も言っていることだけれど)お題目を地に足の着いた言葉に変換できるかどうかがとても大事となる。
部下がどのように行動すればいいのか。
今日はどのように行動すべきなのか。
そういったことに置き換えられるかどうかが勝敗を分ける。
あなたの言うことは空疎に響いていないだろうか?
お題目を反復するだけのオウムになっていないだろうか?
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
組織の言うことに唯々諾々(今回は四字熟語ばかりですね…)と従うことが大人の振る舞いであると考える人は多いように思います。
もちろん全てに対して反発するというのは論外ですが、かといって全てに従うというのもどうなのかな、と僕は思っています(そしてそういう人に限って、居酒屋で自分のことは棚に上げて組織の愚痴ばかり言っていたりします)。
僕自身も完全に出来ているとは言い難いですが、そのせめぎ合いの中で自分なりのエッセンス(抵抗)みたいなものを混ぜ込むことに意味があるように僕は思っていて、そういう状況下の中で高い成果を出すことが大事なのではないか、と考えています(単なる美学の問題と言われてしまえばその通りなのですが…)。
0か100かの議論ではなく、その間の道を何とかして探ること、仕事をどうにかして面白くしようとすること、はミドルマネジメントにおいても重要な考え方です。
組織の歯車になり過ぎないように、働いていきましょう。