責任回避的マネジメントへの違和感

責任回避的マネージャー

愚痴めいた話になってしまうかもしれないけれど、今日は「責任回避的マネージャー」についての話をしていこうと思う。

ご時世柄、このような態度になってしまいがちであるというのは理解できる。

自己防衛的にならざるを得ない、ということもよくわかる。

そして自分が全くそうじゃないかと問われると、「そうじゃない!」と力強く言い切れる自信もなく、過去に責任回避的な行動を取ってしまったことがある、というのも事実である。

それでも、相対的にはマシな方なのではないか(もちろんここに自己弁護的な評価の上乗せがあることは承知している)、と僕は考えている。

というのは、僕自身もそういう責任回避的マネージャーと仕事をしてうんざりすることが今尚多いからだ。

結論がある話にはならないとは思うけれど、今日はそんなことを書いていこうと思う。

相互の信頼関係が保たれているかによって成果は大きく変わってくる

組織でも、チームでも、目に見えない財産として重要なものに、相互の信頼関係が保たれているかどうか、があると僕は考えている。

それはリスクアペタイトに関わるもので、信頼関係があればそこにいるメンバーは進んでリスクを取ることができるし、リスクを取ることによってビジネス上の見返りも大きくなるからだ。

これは心理的安全感と言い換えても良い。

間違ったことをしてしまったり、言ってしまったりしても、糾弾されることはないだろう、という安心感。

これがあるかないかで、チームの長期的な成果は大きく変わってくる。

「個人の責任」と「個人だけの責任」

仕事をしていると、人間なので間違えてしまうことはある。

そういう事態になった時に、上手くいっていない集団では「個人の責任」とされることが多い。

もちろん人為的なミスというものには、個人の責任の要素が全くない、ということはないだろう。

一方で、それが完全に「個人だけの責任」ということもないだろう。

個人の責任と組織の責任が両方混在する、というのが通常の失敗に関する考え方である、と僕は思う。

どちらにも責任がある、というか。

個人の責任にすることで自分を守ろうとするマネージャー

でも、過度にリスク回避的なマネージャーは、この失敗の責任を個人に押し付けて、集団(というか、集団を束ねる自分)を守ろうとする。

生贄というか、磔の刑というか、とにかくスケープゴートを作って「そいつ」のせいにすることで、自分の責任を回避しようとする。

これは事後的なものに限ったことではない。

できるだけ自分の責任の範囲を狭めて、火の粉が降りかかってこないように仕事を進めていく。

そして利益だけは自分のものにしようとする。

ノーリスク・ハイリターンの戦略。

それは一見有効であるように見える。

賢いやり方であるように見える。

でも僕はそういうマネージャーが大嫌いだ。

責任を取るということ込みの給料

もちろん、自分が善人であるとか、聖人であるとか、言うつもりはさらさらない。

僕自身はとても冷たい人間で、はっきり言って他人がどうなろうと関係ない、とすら考えているようなどうしようもないマネージャーである。

それでも管理職という役責上、そういったものも受け入れるのも自分の仕事である、という自覚はある。

部下の失敗はマネージャーの失敗である、というくらいの矜持はある。

僕自身はクソみたいな人間であるけれど、仕事の上ではそういった職責があることは理解しているし、その責任を負わなければならない(それ込みの給与である)と考えている。

だからこそ、そういった振る舞いをしているマネージャーを許すことができない。

もちろん、他人は他人であり、他のチームは他のチームであるので、関係ないと言えば関係ないし、勝手にやってくれれば構わないのだけれど、それが自分のチームに関わってくるとなると話は別だ。

自分の狡さを他人に擦り付けようとする奴には断固として僕は立ち向かう。

同じ言語で話すことは難しくなってきてしまったけれど…

何度も言うように、それは僕個人の正義感ということではない。

それが単純に仕事の範疇に含まれていると思っているからだ。

ただ、こういった「当たり前の話」が通じることが少なくなってきてしまった。

こういう話を「同じ言語」で話すことが困難になってきてしまった。

だからこそ僕はたぶん憤っているのだろう。

そして寂しさを勝手に感じているのだろう。

結局はただの愚痴なのか?

長期的には、こういった手合いは淘汰されていくのがわかっているので、気にしないでいられる部分もある。

ただ、日々の短期的な仕事では付き合わなければならないので、疲れてしまうのも事実だ。

そしてそれを改善するような、打開するような、方策はないということもわかっている。

だからこそ、今回の論考は「ただの愚痴」に堕してしまうものであるということも理解している。

でももしそこに希望を付け加えるとするなら、進んでリスクを負おうとしているマネージャーがいるチームの方が、成果が上がる可能性が高い、ということだ。

それは先述した、心理的安全感リスク選好から生じるものだ。

僕はそうやって仕事をしていく。

そうやって成果を出していく。

ただの愚痴とただの価値観の相違。

わかっている。

次回はもう少し明るい話をしたいと思う。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

回避率だけ上げても、防御力を上げなければ、一撃を食らったらおしまい、というような感じで、僕はこの責任回避マネージャーたちを捉えています。

上手く言えないのですが、責任を取るという経験値は蓄積されていくもので、それはできるだけ責任の度合いが低いうちにたくさん経験しておいた方が良い、というように僕は考えています。

そこから逃げてばかりいると、途中までは良い感じで行けるのですが、いざ本当に責任を取らなければならない場面での受け身が全く取れなくなる(がっつりダメージを食らう)ので、気付けばいなくなっているようなことが起きているような気がします。

もちろんそれは個人の考え方なので、別に関係ないと言えばそうなのですが、マネジメントとして長くやっていきたいと考えているのであれば、小さな責任を数多く取っておいた方が良いですよ、という親心的な考えで僕はこれを書いています。

擦り傷、切り傷は確かに痛いですが、致命傷にはなりません。

逃げたくなる気持ちを抑えて、立ち向かっていきましょう。