ソフト独裁制には限界がある

羊の皮をかぶった狼

パワハラが社会的にも認知されてきたことによって、権力は地下に潜るようになった

表立って権力を振りかざすことは減ったけれど、じわじわと真綿で首を締めるようにその力を行使する人が増えた。

羊の皮をかぶった狼というか。

こういうタイプの権力者が厄介なのは、その牙を見せることは滅多にない、ということだ。

表面的には温厚で、どちらかというと親身な雰囲気を醸し出していたりする。

気軽に話しかけられるような感じを装っていたりする。

ただそれが本当なのかは見極めた方がいい。

裏側の顔というのは様々だからだ。

もちろん権力の行使の仕方というのは、人によって様々であるけれど、今回は見えない部分で力を剝ぎ取っていく感じ、それによって決定権を自分に集めていくやり口について書いていく。

結論は、そのように権力を行使するのはやめた方が良い、というものになる。

それでは進めていこう。

(このブログはミドルマネジメントを主要な対象にしているが、今回はどちらかというとトップマネジメントに関する話題になると思う。ミドルマネジメントにもこの手のマネジメント手法を使うものはいるし、それはそれで厄介なのだけれど、トップマネジメントがこのタイプの人であると、それ以上にメンバーは混乱することが多いし、そのトップとの付き合い方みたいなものがミドルには必要なのだと思うからだ)

徐々にミドルの力を削いでいく

僕はこういうマネジメントのやり方を「ソフト独裁制」と名付けることにする。

それは元々パワハラ体質である人が現代に適応した姿であると考えるからだ。

現代においてパワーをそのままの形であからさまに使うことはなかなか難しい。

色々な人の目があるし、組織的にも監視されている場合が多い。

だから、これを上手に隠すために彼らは優しそうな外見を纏うことになる。

面談と称してメンバーとの1on1をやったり、職場で気さくに声がけをしたりして、ミドルマネジメントを「中抜き」していく。

現場の「生の情報」は自分が一番よくわかっている状態にしたがるので、ミドルの力を徐々に削いでいくことに注力していく。

でも表面的には「現場のことを知ろうとしている」ように見えるし、メンバーとの関係性を良好にしようとしているように見えるので、何も非がない。

人によってはとても素晴らしいと評することもあるだろう。

でも、待てよ、と僕は思う。

本当にそれでいいのだろうか? と。

実行ができないのに、責任は押し付けられる

こういうソフト独裁制を敷く人の問題点として、実行はできない、ということがある。

当たり前の話だけれど、現場のことはトップマネジメントよりはミドルマネジメントの方がよくわかっていることが多い。

そして、メンバーも実際に動くとなるとミドルマネジメントを頼ることになる。

ミドルとしては、直接やり取りをするのであればそれはそれで構わないけれど、それなら最後まで責任を取って欲しい、というのが本音だろう。

それはできないのに(そしてその経緯に噛み込むことはさせてもらえないのに)、実務を押し付けられてもなかなか厳しいのが現実だ。

もう少し言うと、トップの話は現実離れしていることが大半だ。

結果として上手くいかないことになる。

でもその責任はメンバーとミドルマネジメントに押し付けられる。

これがソフト独裁制の問題点だ。

メンバーがトップに本音を言うことはない

マネジメントの初歩的な教科書に書いてある話でもあるけれど、「いかにして下に仕事を任せるか」というのは、その人のマネジメント力を測る上でとても重要な尺度だと僕は思っている。

もちろん放任は論外だけれど、実務に近い仕事は任せられるものはできるだけ任せて、自分は「判断」という高度な仕事に従事することに特化する。

そうすることで、組織としての戦略が明確になっていく。

でもソフト独裁者はこの実務の部分も自分で把握しようとする。

実務ベースで仕入れた情報を戦略に上手く活かすことができるのであればそれは素晴らしいことだけれど、メンバーからの情報には多分に「忖度」が含まれている。

それは棘や毒が抜かれて、丸みを帯びた情報になっている(メンバーがトップに本音を言うことは殆どない)。

それを鵜呑みにして判断を行うことになるので、当然ながら失敗することになる。

ソフト独裁制は表面的には良く見えるけれど、成果が伴わない

もちろん全てを把握したいという気持ちは僕もよくわかる。

でもそれが行き過ぎてしまうと、組織は組織として機能しなくなる(一方で「全てお任せ」というのも問題ではあるが…)。

これはなかなか理解されにくいところだけれど、表面的には良く見える組織というのはたくさんある。

このソフト独裁制も表面からでは見分けがつかない。

ただ、実態は違うことが多い。

そしてそれに気づかないから、成果がある一定以上はいかないのだ。

フリーランチはないぜ?

言葉として書くのは難しいけれど、パワハラ傾向というものは隠そうとしても露見してしまうものであると僕は思っている。

表面上は親しげに接しているメンバーたちも、実はそれを嗅ぎ取っていて、ある一定以上の距離に詰めていくことはない。

その微妙な距離感が成果に蓋をしてしまう。

これは単純に、リスクとリターンが合っていないから生じるものなのだ。

批判される(嫌われる)リスクを負わないで、上手くやろうというリターンだけを得ようとするからダメなのだ。

フリーランチはない。

それをマネジメントを行うものは肝に銘じておく必要がある。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

僕は「いい人戦略」と呼んでいますが、このように「いい人」を演じるのが最近の流行りのようです。

ソフト独裁制もその変種の1つです。

「いい人戦略」が上手くいかないのは(表面的には上手くいっているように見えますし、本人もそう思っているのでしょうけれど、成果はパッとしない)、本音が見えないから部下が心から信頼できない、ということが原因だと僕は思っています。

人間というのは不思議なもので、本能的にその人が本当にいいひとなのかそうでないのか、を嗅ぎ分けています。

そして残念ながら本当にはいい人でないことが多い。

マネジメントを行う人間にとって大事なのは、いい人であるかどうかでなく、信頼できるかどうかということなのだと僕は思っています。

もちろん最終的には成果がそれを端的に示してくれます。

僕はこれからも「嫌われ者戦略」で成果を出していくつもりです。

成果を出す為に、嫌わることを恐れずに、仕事をしていきましょう。