原理原則を大切にする
判断をブラさない為に
マネージャーは日々判断を求められるものだ。
判断には大きなものもあれば、小さなものもあるが、その際に「拠り所」となるものがなければ、「判断がブレるマネージャー」という烙印を押されてしまう。
判断がブレると、マネージャーに対する信認はなくなってしまうし、それが行き過ぎると、そもそも相談すらされない状態になってしまう。
それを防ぐためにはどうするか?
原理原則を大切にする。
それが今日のテーマだ。
常識を大事にする
ここで言う原理原則を、常識、というものに近いニュアンスで僕は捉えている。
社会的な規範に合っている、というイメージで考えていると言い換えてもいい。
日本人的な言い方をするのであれば、「お天道様が見ているので、それに恥ずかしくない振る舞いをする」となるのかもしれない。
家族に話しても恥ずかしくない振る舞い、と言ってもいい。
大体のイメージは伝わっただろうか?
それを判断の軸にする。
それを忠実に守っていく。
この原理原則からはみ出さない。
これがマネージャーへの信頼に繋がっていく。
僕の判断は読み易い
以前にも書いたことであるが、僕は部下から「やっぱりそう言うと思いましたよ」と言われることが多い。
特に判断に迷う場面においては、部下は部下同士で事前に相談をしていることが多く、その際に「たぶん課長はこう言うと思うよ」ということを話しているようで、その通りに僕が言うと「やっぱり」と(答え合わせのように)なるようだ。
そのくらい僕の判断は「読み易い」。
それは僕が原理原則を大事にしているからだ。
そしてこれを徹底していると、部下が自発的に活動するようになるのだ。
どういうことか?
もう少し詳しく書いていく。
部下に仕事を任せられるマネージャーは(実際には)そんなにいない
マイクロマネジメントの難点は、部下の自発性を阻害することだ、と僕は考えている。
一挙手一投足を、それこそ箸の上げ下ろしまで、マネージャーが把握しようとすると、部下は自分で判断をしなくなってしまう。
全ての判断をマネージャーに委ねてしまう。
それではチームはマネージャーの器以上に成長することはない。
マネジメントの基本のキとして、「部下に仕事を任せなさい」ということがよく書いてあるけれど、これを実践できているマネージャーはそんなに多くない。
それは部下を信頼していないからだ。
仕事の主導権を部下に握らせる
では、なぜ部下を信頼できないのか?
それは部下の判断というものは、その時々によって、ブレると思っているからだ。
間違った判断をしてしまうことが多い、と考えているからだ。
ここで、マネージャーの判断が読み易い、ということが効いてくる。
部下が判断に迷った時に、たぶんマネージャーはこう言うだろうな、と思ってくれれば、そこで1つの判断が完結する。
いちいちマネージャーに聞いてきます、ということがなくなる。
それは仕事の主導権を部下が握る、ということでもある。
原理原則を元に仕事をしていれば大きな失敗は起こりづらい
僕は仕事は自分で主導権を握った方が面白いという考え方を持っている。
誰かに言われたことをやるより、自分で考えたことをやった方が絶対に良い。
ただ、同時に、部下がとんでもないことをやらかしてしまう、というリスク管理もしなければならないのも事実だ。
その着地点(折衷点)が、この原理原則を大切にする、ということになる。
もちろんそうは言っても部下の判断が間違っているということは起こりうる。
ただ、そうであっても、原理原則が守られていれば、大きく足を踏み外すことはないし、リカバリーは可能な範疇に収まる。
輪郭の濃淡バランス
上手く描写できているかわからないが、ぼんやりとした輪郭を持ちながら、仕事を進めていくことが大事なのだ。
その輪郭をきちんと描きすぎると、それはマイクロマネジメントに近づくし、部下が主体的に動くという可能性は少なくなっていく。
一方で、輪郭をあまりにも曖昧にしてしまうと、カオスに近いような感じになってしまう。
決め過ぎても、決めな過ぎてもいけない。
そのバランスをいかに保つか。
それがとても難しいのだ。
判断を自動化させていく
部下の仕事の大半は、マネージャーの目に見えないところで行われる。
その判断の精度を上げることが、仕事のパフォーマンスを上げることに繋がる。
もちろん最初の内は、ある程度マネージャーが関与していく必要はあるだろう。
ただ、時が経つにつれて、マネージャーとメンバーの間の意思疎通が図れていくにつれて、その判断はほぼ同一化していく。
いちいちマネージャーに聞かなくても、仕事が進んでいくようになる。
相談、という形でマネージャーが関与することはあっても、それは「確認」に近い意味合いのものになっていく。
かくして、チームは自動化していく。
マネージャーは不要となっていく。
その礎となるのが、原理原則である。
急がば回れ
言うは易く行うは難し。
時に悪魔が耳元で囁いてくることがある。
特に数字が上がっていない時には、その誘惑に屈してしまいそうになる。
でも、目の前の数字を捨ててでも、原理原則を貫かなければならない。
損して得取れ、ではないが、急がば回れ、ではないが、原理原則に基づいて仕事をしていれば、必ずその目の前の数字以上のものが返ってくる。
それを信じて、今日も当たり前の判断を行っていく。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
形式と本質、建前と本音、が世の中にはありますが、本質や本音というものが以前より重要視される時代になってきていると感じています。
それはコンプライアンスがどうだとかという話ではなく、情報の非対称性が薄れてきたこと(誰もがググれば大抵のことがわかる時代になってきたこと)がその背景にあるのだと思います。
そんな時に、原理原則から外れるのはリスクでしかありません。
自分でも納得できることを、納得できるやり方でやれば、仕事というのは面白いものです。
当たり前のことを当たり前にやっていきましょう。