政府の方針にがっかりしているならその逆をやる
お上は我々庶民のことをまるでわかっていない、という話型
タイトルに「政府の方針」なんて書いてしまったけれど、別に政治的な話をしたい訳ではない。
思想信条ははっきり言ってどうでもいい。
単純に下から見た時に、上の仕事というのはどのように見えるのか、ということがわかりやすくなるのではないかと思って、このようなタイトルにしてみたのである。
お上は我々庶民のことをまるでわかっていない、というのは日本人が昔から語ってきた一つの話型であると思う。
そしてそれはマネジメントにも当てはまる(はずだ)。
どのような言動や行動を取ると、部下は上司に対してがっかりするのか、それをある種の反面教師として考えて、明日からのマネジメント業務に活かしていく、そんな感じで今日は書いてみたいと思っている。
論理過程が示されないと不信感に繋がる
僕たちが政府の方針に対してがっかりするのは、その論理過程が示されることがない、もしくは殆どないからである、と僕は考えている。
なぜそのように考えたのか、そのような結論に至ったのか、というのは政府側からしたら別に示す必要のない事柄であるけれど、僕らからすると、その過程を含めて言ってくれれば、「ああ、そういう考えなのですね」と得心することはできるように思う。
その結論に対して納得するかどうかは別として、考え方の方向性と筋道がわかるので、「まあ確かにそういう考え方はあるかもしれないな(納得はしないけれど)」というように議論が一つ進んだところに落ち着く。
ただ、その過程が示されないと、そもそもの真意が測りづらいので、単純に「何も考えていないのではないか」と思ってしまうことになる(もちろん、本当に何も考えていない場合があるとすると、この議論は成り立たなくなってしまうのであるが…)。
結論だけを述べるリスク
皆さんもマネジメント業務に携わっていると思うので、意思決定の際には取捨選択しなければならない、というのは分かっていると思う。
全ての人の願いを叶えるのは不可能なことだ。
皆が納得するような素晴らしい答えはない。
それはその通りである。
ただ、その過程をすっ飛ばして、結論だけを述べてしまうと、「上司は何も現場のことを分かっていない」となってしまうのだ。
部下の視点は低い
上司もアホではないので、現場の様々な問題や軋轢についてはわかっている。
もちろん現場の人達と同程度に体感しているとまではいかないだろうけれど、その問題がどのくらいのレベルであるのか、考慮に値すべき事象なのか、ということはわかっているはずだ。
その中で、優先順位をつけて、結論を下している。
一方、往々にして、部下というのは視点が低くなりがちだ。
自分の周囲のことが一番大事で、大所高所から物事を捉えることができない、というのも事実であると思う。
厳しい言い方をすると、大したことでなくとも大げさに騒ぐこともある。
その辺の性格やパーソナリティを勘案して、調整つまみを回しながら、どのくらいの深刻さであるかを測って、マネージャーは最終的な判断を下すことになる。
マネージャーが現場とどのくらい関わっているかによって開示度合いを変える
この時にマネージャーの「現場度」に合わせて、思考プロセスの開示度合いを変えることが重要だ。
メンバーの数が少なくて、マネージャーもある程度現場仕事をしているのであれば、大体の思考プロセスをメンバーもわかっているはずなので、一から十まで話す必要はない。
ただある程度以上のメンバー数であったり、マネージャーがマネジメント業務に特化していたりすると、この思考プロセスの開示はできるだけ多めに行った方がいい。
本当は現場のことがわかっていたとしても、「あいつは何もわかっていない」という評価を下されてしまうからだ。
発言に人間性を付与する
オフィシャルな決定と、プライベートな過程は異なるものだ。
マネージャーは時に建前を言わなければならないことがある。
本部の決定や、上司の方針によって、自分の意に沿わない仕事もやらなければならないことだってある。
そんな時、ただオウムのようにそれを繰り返すのではなく、「こういう話があって、自分はどう思ったか、そう考えた上でどのように判断したのか」ということをプロセスを含めて話すことが重要である。
そこにマネージャーのキャラクターが反映されるからだ。
人間性が立ち現れるからだ。
「人間臭さ」を消すことのリスク
「人間臭さ」を消すことは確かに組織に属している上で必要なことではある。
でもそれがなければ、部下は付いて来ない。
マネージャーをやっている意味がない。
もう少し詳しく言うと、マネージャーという仕事とマネージャー個人のパーソナリティというものは異なる、ということをきちんとメンバーに伝えないと、彼らはそれを同一のものと見なしてしまいがちである、ということになるのかもしれない。
マネージャーというのは一つの擬制に過ぎない
当たり前の話であるが、マネージャーというのは一つの擬制に過ぎない。
役割として演じているのに過ぎない。
仕事であるので組織の意向に沿った振る舞いをしている訳なのだけれど、メンバーとの関係性が希薄であると、そもそもがそういう人間である、と思われかねないので注意が必要である。
僕らはそれを当たり前だと思っているけれど、メンバーはそうは思っていないことがある。
それを把握しておくことはとても大事なことだ。
恥ずかしがらずに自分の意見を混ぜ込むこと。
カッコつけずに、生身の自分を曝け出すこと。
そこにリーダーシップは立ち上がってくる。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
マネージャーも同じ(苦悩したり葛藤したりする)人間なのだ、ということを感じてもらうことは、単純ですが結構見落としがちである(でもすごく大事)、と僕は考えています。
そこをすっ飛ばしてしまうと、簡単に足をすくわれてしまいます。
普段から同じ職場内で仕事をしていると、当然自分もメンバーの仲間に入っていると思いがちですが、案外そうでもない、というのが僕がマネージャーを数年やってきたことから言える実感です。
彼らからすると、マネージャーも「体制側の人間」なわけです。
「自分達に厄介なことをもたらす人間」であるわけです。
その壁を取っ払う(壊す)には、時間もスキルも必要です。
まずはできるだけプロセスも開示するところから始めていきましょう。