文句は放っておく
不満はなくならない。絶対に。
人間は不平を言う生き物である。
そして完全に満足することはない。
それを押さえておくことはマネジメントにおいても重要だ。
どんなに素晴らしい環境を作り上げたとしても、彼らはその細部に対して、それこそ微に入り細を穿つように文句を言ってくる。
それを解決したとしても、更に細かい所に対して不平不満を言ってくる。
エンドレスだ。
「もう言うことはありません!」ということは絶対に起きない。
絶対に。
今日はそういう話をする。
不満を言うことに情熱を傾ける人達
管理するメンバーの数が多くなれば多くなるほど、不平の種類は多くなってくる。
でも、かと言って、メンバーの数が少なければ不平がなくなるかというと、そんなこともない。
どこにだって、どのような状況だって、彼らは不満の種を見つけてくる。
その熱意には本当に頭が下がるくらいに。
よくここまで不満が思いつくな、そんな風に生きていたらさぞ人生はつまらないだろうな、と思うのだけれど、その価値観は彼らの価値観であって、僕とは異なるし、それを変えることはできないので、それを前提にしてチームを作っていくしかない、というのが僕の考え方である。
そしてその対処の仕方としては、「放っておく」ということになる。
もう少し詳しく書いていこう。
ひろゆき的不満
個人的な考え方として、「声のデカい奴の意見が通る」という状況が僕は好きではない。
もちろん、その意見に納得性があったり、筋が通っていたりすれば、それを受け入れることはあるけれど、往々にしてそういう奴の意見は、「それってあなたの感想ですよね」的なことが多いので、話は聞くけれど、それに対してどうこうしようという気持ちは僕にはない。
そしてそういう人に限って、対案を出すことはないのだ。
「じゃあ、どうすればいいと思う?」と聞いても、「それを考えるのがマネージャーの仕事でしょ?」という謎の論法に入り込んでいくので、ハナから相手にしないことが得策である、というのが僕の結論になる。
もう少し偏見の混じったことを言わせてもらうなら、大抵の人達の不満というのは「条件反射」みたいなもので、色々なことを熟慮して、様々な可能性を勘案して言っている訳ではないので、「明日には別のことを言っている」というような類の話であることが殆どである。
それに対しての現実的な対処方法というのは、「話は聞くけれど、放っておく」ということになる。
幼児的であることが有効戦略である残念な社会
これには僕の人間観・社会観みたいなものもたぶん関係している。
僕は現代日本においては、「幼児的であること」が有効な戦略であると考えている。
自分の欲求が満たされない状況に対して、幼児のように泣き叫べば誰かが助けてくれる、というようなスタンスが支配戦略である、と考えている人が多いように僕は感じている(意識しているか、無意識であるかは別として)。
モンスター・カスタマーも、モンスター・ペアレントも、モンスター社員そうだけれど、「自分は無垢で弱い立場であり、あなたはそうではない、そしてその格差が生じているのはあなたに責任があって、あなたがその差を埋めるべく努力すべきである」というような振る舞いが、残念ながら「有効」なのだ。
これは「消費者的な振る舞い」と言い換えてもいい。
「自分は正しく遇されるだけの人間である」というような立場表明をすれば、相手は困ると思っているのだ。
そして相手が困れば、自分は優位に立てると思っているのだ。
僕はドライでサイコパスでAI的だからこそ優秀なマネージャーなのだろう
僕はこの立場に与することはない。
僕は彼らの親ではないし、教育者でも、神様でもないからだ。
冷たい言い方にはなるが、僕とメンバーの関係はビジネス上の付き合いに過ぎない。
僕は仕事としてマネジメントを行っているだけであって、それ以上のことは正直言ってどうでもいい。
別料金が発生するなら考えないこともないけれど(冗談だ)、そのくらい僕はドライな人間である。
あくまでも大事なのはチームのパフォーマンスを上げることであって、それに対して有効でない不平不満は聞き流すのが一番だ。
仮に対処したところで、モグラたたきのように新しい不満が出てくるだけだから。
僕は冷酷な機械のように、感情のないAIのように、ただ任務を遂行していく。
きっと僕はサイコパスなのだ。
だからこそ僕はマネージャーとして優秀なのだろう、きっと。
大人と子供(幼児)
僕は大人同士の関係をメンバーと築きたいと思っている。
日本においては、それは「ビジネスライク」というように捉えられてしまうようだけれど、別に趣味で集まっている訳ではないし、仲良しクラブでもないし、ただそこにある仕事を高い生産性を持って進めていく、その為にはチームである方が効率的だよね、というようにすれば、もう少しこの面倒くさい状況を変えられるのではないか、と僕は考えている。
それに資する文句であれば、僕はいくらでも聞くし、それに対するアイディアも出す。
それ以外の話は、申し訳ないけれど、そういうことを聞くことが大好きな人に聞いてもらえばいいと思う。
幼児同士で遊んでいればいいと思う。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
不満を言えば、誰かが何かをしてくれる、構ってくれる、と思っている人が世の中にはたくさんいます。
そしてそれが残念ながら現代日本においては有効な戦略である。
これは水準を下げていくということと同義で、僕たちは自分達で自分達の社会を未成熟な状態にし続けています。
永遠の悪循環。
僕はここから脱して、少数でもいいから、「大人たち」が集うコミュニティの中で働きたいと思っていきます。
「子供入店禁止」の閉鎖的な環境が良いとは全く思いませんが、もう我慢の限界でもあります。
哺乳瓶を捨てて、泣き叫びを排して、働いてきましょう。