ニーバーの祈りとマネジメント
勇敢と無謀は違う
僕には大切にしている言葉がある。
それがニーバーの祈りだ。
以下、引用する。
「神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」
(カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』伊藤典夫訳、早川書房(ハヤカワ文庫SF)、1978年)
これはマネジメントにも当てはまる話だ。
特に、「変えることのできない物事を受け入れる」ことと「その違いを見分ける知恵」というのは、組織で働いている場合においてもとても重要なことであるように思う。
勇敢と無謀は違う。
今日はそんな話をしていく。
受け入れることを出発点とすることでしか得られないものがある
組織には変えられないことがある。
それを前に「変えない」という決断をすると、ある種の人達は「妥協だ!」と批難を浴びせてくる。
改革や変革という言葉は勇ましいけれど、どうやったって変えられない物事というものは存在する。
それに対して、「変えられないのはおかしい!」「変えるべきだ!」と大きな声を上げるのは簡単だけれど、叫んだからと言って変わらないものは変わらない。
理想主義者たちは、とかく「べき論」で話をする傾向があるが、僕は「話はわかるけどさ、取り敢えずできることからやっていこうよ」というスタンスを取ることが多いし、その方が効果的であると思っている。
子供のように駄々を捏ねている時間があるのであれば、まず手近にあることを変えていく方が建設的である。
そのような態度を、「諦め」だとか「妥協」だとか名付けることは簡単だ。
そしてそのような言葉遣いができる人(無自覚な人)は、自分はリスクを負って決断をしたことがない人であるということを証言しているのと同義である、と僕は考えている。
受け入れることから始めなければならないことがあるのだ。
そこを出発点とすることでしか得られないものがあるのだ。
そのような態度を取れる人を僕は大人と呼びたいと思う。
大事なのはルートではなく、目的地に近づくこと
知的遊戯と実践は異なる。
もちろん理想は大事である。
ただ、同時に地に足が着いていることも大事だ。
最短距離を走ろうとすると、障害物が多いなんてことはよくあることだ。
それなら迂回すればいい。
大事なのはルートではなくて、目的地に近づくことだ。
その差異がわからない人が多すぎる。
そうでなかったことに思いを馳せて何の意味がある?
プロセスは確かに大事だ。
でも成果の方がもっと大事だ。
そうだろう?
僕は打算であっても、妥協であっても、成果を出すことを優先させる。
まず現状の姿を計量的に把握して、それをデフォルトとして物事を始めていく。
もちろん、こうであったらよかったのに、と思うことはたくさんある。
でも、現実はそうではないのだ。
そんな時に、そうでなかったことに思いを馳せて何の意味があるというのだろうか。
望みは尽きない
メンバーがもっと優秀であったらいいのに。
上司がもっと物分かりが良かったらいいのに。
組織がもっと柔軟であったらいいのに。
その通りだ。
僕もそう思う。
でも、そう思っていても、現状はそのままである。
それなら、まずできることから始めるべきだ。
方向よりも近づくことを優先させよう
大風呂敷を広げたくなる気持ちもわかる。
あるべき理想から、現状までの乖離を逆算して、その為にはこうすべきだ、という概念を持ちたくなる気持ちにも共感する。
それが合理的であることにも賛成の意を表する。
立ち上がって拍手さえ送ろう。
でも、現実は現実だ。
それ通りに進むことができないチームがあなたのチームなのだ。
それなら、まず一歩踏み出すことから始めたらどうだろうか?
その進んだ方向が、真っすぐ目的地に向かう方向とは違っていても、斜め方向であったとしても、それでも近づいていることには違いないのだ。
I know. I know. So what?
理想とは違う。
わかっている。
やりたいこととは違う。
わかっている。
でも仕方がないじゃないか?
取り敢えず進もう。
そしたらきっと違う展開が見えてくるはずだ。
妥協?
わかっている。
譲歩?
わかっている。
外野は好きなことばかり言ってくるものだ。
放っておけばいい。
好きなように言わせておけばいい。
どうせ彼らは何もできないのだ。
カッコいいことだけ言って、決断もできない卑怯者でしかないのだ。
嘆くだけならサルでもできる
リスクを負わなければリターンはない。
ポジションを取っていない者の発言なんてものは聞くに値しない。
まずはポジションを取れよ。
話はそれからだ。
妥協だとか後退だとか、そんなことは百も承知なのだ。
そびえたつ壁を目の前にして、「壁がなくなればいいのに」と思うことは簡単だ。
「そうしたら真っすぐ進めるのに」なんてことは誰にだって言えることだ。
でもそこには壁があるのだ。
それがどうしようもない現実なのだ。
そこでいつまでも文句だけ言っていろよ
僕にはそれを受け入れられる落ち着きがある。
壁があるということを認められない人だってたくさんいるのに関わらず。
彼らはそこに佇んだまま、壁が壊れることを心待ちにしている。
きっと日が暮れるまでそこにいて、いつか彼らは餓死するのだろう。
僕は取り敢えず歩き出す。
迂回路を探す為に。
たとえそれが妥協だとしても、変えられるものを変えることだって勇気がいることなのだ。
そしてそれを変えられるものだと判断するには知恵が必要なのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
僕は「小賢しい人」が苦手です。
体感していないのに知った風な口を利く人が嫌いでなりません。
そういう「ダサい人」を尻目に、僕はこれからも体当たりをしながらできることをやっていくつもりです。
共感して頂ける人がいたら幸いです。