正しいかどうかよりも役に立つかどうか(市井のマネジメント)

不完全で感情的な人間達

論理的に正しいからと言って腹落ちをするとは限らない。

このニュアンスがわかるかどうかで、マネジメントとしての力量がわかるような気がしている。

もちろん腹落ちをする為には論理的に正しい必要があるかもしれない。

でも逆はそうではない。

人間は不完全で感情的な生き物であるからだ。

その例証は行動経済学の教科書を見れば腐るほど出てくる。

いわゆるエリートと呼ばれる人たちが、論理的整合性を振りかざして、人を動かそうとするたびに、僕は違和感を覚えることになる。

そこには「市井」の感覚が欠如しているように感じるからだ。

今日はそんな話をしていこうと思う。

慣性の法則には抗えない

チームマネジメントにおいて、特に変化が必要だと感じられる場面において、そこにいるメンバーの行動を変えていくのはなかなか難しいことである。

それは人の行動には慣性の法則があって、昨日までやっていたことを習慣的に繰り返すという習性みたいなものがあるからだ。

そしてその習性に反することは、反発を招く。

これはその新しい行動様式が正しいとか間違っているとかということではなくて、「昨日までと異なる」というその事実のみをもって生じるのだ。

だから「この方が正しいのだから行動を変えろ」と言ったって、メンバーが納得する訳ではないし、その論理的整合性を説くことが効果的であるとは限らないのだ。

行動を変えることが大事(論理的に納得させることではなく)

僕がエリートと呼ばれる人達を見て思うのは、「なぜ正しいのにやらないのか」→「正しいのにやらないこいつらはバカである」みたいな論理の筋道を辿る傾向がある、ということである。

そしてその正しさを理解させることに力を注ぎがちである、ということである。

大事なのは、行動を変えることであって、論理的に納得させることではない。

これを履き違えてはいけないと思う。

大切なことは、目的を達成することであって、その筋道の正しさではないのだ。

上手く伝わっているだろうか?

もう少し詳しく書いていく。

論理性では文化を変えることはできない

組織には歴史的文脈がある。

過去からの経緯みたいなものが、その組織の行動様式を決定していたりする。

時にそれを文化と呼んだりもする。

その固着した行動を変えるのはとても骨が折れる。

正面から「論理性」というものを掲げてぶつかったとしても、玉砕するのがオチだ。

理解できないあいつらが悪い、という何の意味もない「いじけ」に繋がるだけだ。

実際的であり効果的であること

僕のアプローチは異なる。

「この方がいいじゃん?」「得じゃん?」というような接近の仕方をする。

「得ならやった方が良くない?(別にやらなくてもいいけど)」という仕掛けを行う。

この違いがわかるだろうか?

僕のやり方は格好良くないし、ベタである。

論理的にピタッとはまる訳ではない場合もある。

でも、実際的であるのだ。

これを僕は「市井のマネジメント」と名付けたいと思う。

点々と餌を撒いて、目的地まで誘導していく、みたいなセコさがある。

ただ効果的なのだ。

強化と弱化

学術的に言うのであれば、強化と弱化、という概念になるのかもしれない。

強化、というのは、望ましい結果を伴う行動は繰り返される、ということだ(弱化はその逆だ)。

「騙された気持ちでやってみたけれど、確かに上手くいった、じゃあ次回もやってみるか」

これが行動を強化していく。

役に立つならやればいい

でもこんなのは後付けだ。

僕は物事をシンプルに考える。

「役に立つならやればいいじゃん?」というある種乱暴な考え方を持っている。

そして同時に「やらなくても別にオレは困らない」という冷めた目も持っている。

「使役」的な概念は僕にはないのだ。

やるかどうかを選ぶのはあくまでもメンバーである。

「~させよう」とか「~変えよう」とか、そういう考えがないのだ。

ただ、「アホだな」とは思う。

「もったいないな」とは思う。

でも最終的に選ぶのは相手であり、それに伴う結果を受け止めるのも相手なのだ。

僕ではない。

なぜハードモードを選ぶのか?

これは営業にも通じるものであると僕は考えている。

営業の究極の形は「売らない」ということである、というように僕は考えているが、それはこのような価値観みたいなものが僕にあるからなのかもしれない。

営業というのは、「こうした方が良いと思います(知らんけど)」というような、ある種の「お節介」に過ぎなくて、絶対にそうすべきである、とは僕は思っていない。

選ぶのは相手であり、それによって得にならないというのは相手の問題であるからだ。

ハードモードを選ぶなら好きにすればいい、あなたの人生だ(私の人生ではない)、というのが僕のスタンスである。

でも、一応こういうやり方もありますよ、という提示はしておく、という感じだ。

イージーモードを選ばせる為に

冒頭の話に戻ると、メンバーに対するアプローチもこれがベースになっていて、選ぶも選ばないもメンバーの自由である。

ただ、選んだ方がイージーだと僕は思う、というだけだ。

そして「ハードモードを選んだとしても、成果が出ているのであれば、それはそれでいいんじゃない?」ときちんと公平な評価を行うだけだ。

全員の行動を変える必要はない。

目ざとい奴の行動を変えれば、自然とそれがチームにも広がっていく。

気が付けばチーム全体の行動が変わっているはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

イージーモードとハードモードを選ぶのは個人の自由ですが、イージーモードを提示すらしないのはフェアでない、と僕は考えています。

それと同時に、他人の人生は他人の人生に過ぎないので、その責をこちらが負うつもりはない、というドライさも僕は兼ね備えています。

マネージャーとして大事なことは、論理的整合性を保つことではありませんし、論争でメンバーに勝つことでもありません。

メンバーと共に成果を出すことです。

もし、現状におけるメンバーの行動に不満があるのであれば、それを変える方法を実際的に考えるべきです。

そしてその時に役に立つ尺度が「役に立つかどうか」です。

難しいことを考えずに、役に立つことを訴求していきましょう。