部下を頼る力(おじさん力)
自意識の鈍麻
自分自身が若者から中年になるにつれて、ポジティブな側面を1つ挙げるとするなら、「おじさん力」がついてきた、ということである。
「おじさん力」とは、図々しさのことであり、自意識の鈍麻、みたいな感じでここでは捉えて頂けると、これから言う話のイメージが掴みやすくなると思う。
とかく若者は自分の力を誇示したがる。
僕自身もかつてそうだったけれど、わからないことをわからないと言うことに対して抵抗があったし、自分ができる人物であることを示すことに対して意欲的でもあった。
今はそうではない。
できないことはできないと言うし、わからないことはわからないと言う。
そしてそれに対する恥ずかしさみたいなものがない。
開き直っている訳ではないけれど、何というか、自然体でいられるというような感じ。
鎧を着なくてもいい、というような感じ。
今日はそんなことを話していく。
自分がヒーローになる必要はない
以前「弱みを見せる」の項目でも書いたことであるけれど、マネージャーが不完全であることがチームにとってはプラスである、ということがある、ということがようやくわかってきた。
そういう意味では、僕はマネージャーは何でも知っていなければならない、何でもできなければならない、という概念に縛られていた、とも言える。
当たり前の話であるが、マネージャーも人間であって、得意なことと不得意なことがある。
それは別に隠すことではない。
もっと言うと、部下の中には自分よりも能力の高いもの、いや、全能力において自分よりも上回っている者だっているので、それならそれを受容して、その部下に活躍してもらえばいいんじゃない? ということである。
自分がヒーローになる必要はないのだ。
暖炉の火を見守る好々爺
これに気づくのに僕は結構時間がかかってしまった。
自称「スーパー営業マン」であった僕は、同じように「スーパーマネージャー」でなければならない、と思い過ぎていた。
そんな必要はないのだ。
適材適所という言葉があるように、それぞれの場面でその場面に合う部下を頼っていけばチームとしてのパフォーマンスが上がる、そんな簡単なことが、歳を重ねるにつれて自然とできるようになってきた。
好々爺になるにはだいぶ早いけれど、気持ちとしてはそんな感じだ。
みんな活躍すればいい。
私が見守っているから。
そういうスタンスがチームにも好影響を与えるのだ。
優秀な営業マンには優秀なマネージャーが少ない
営業マンというのは自意識の塊みたいな生き物である。
逆説的には、オレがオレが、みたいな意識がなければ、営業マンは務まらないとも言える。
だからこそ、優秀な営業マンに優秀なマネージャーが少ないのかもしれない。
最近はそんなことを考えている。
無刀の境地
現在の僕は、必要な時に刀を抜けばいい、という感覚で現場にいる。
「オレは強いんだ!」ということを声高に言う必要はない。
それはある種の自信の裏返し、とも言えるのかもしれない。
大抵の問題に対処することができるという「腕力」が自分にはあるのだな、ということがわかってきたし、それを無理に誇示する必要はないのだな、ということがわかってきたからだ。
むしろ、刀すらいらない、みたいな境地に今はいる。
刀がない方が部下は寄ってくるし、余計な覇気みたいなものを纏っていない方が自然体で向こうも話してくれるのだ。
そうやって、気のいい「おじさん」を演じながら、僕は部下を頼っている。
うまく表現できているかわからないけれど、部下の方も僕の本当の実力はわかっているので、それが仕事を投げている感じにはならない、ということも合わせて重要なのだと思っている。
双方向の敬意、というか。
マウントを取らなくてもいい状態、というか。
わからないなりに前向きに対処する
わからないことをわからないと言うことと、わからないままにしておく、ということは大きく異なる。
僕はわからないとは言うものの、それに対して前向きに対処しようとはする。
それも部下と共に。
初速は部下の方が速い方が多いけれど、ちょっと時間があれば僕はすぐに追いつくことができる。
それをたぶん部下もわかっている。
僕が積んでいるエンジンがそこそこのものであることは部下もわかっているし、それを吹かした時にどのくらいのスピードが出るのか、ということもわかっている。
でもマネージャーは敢えてそれを踏んでいないのだ、ということが認識されている、そんな感じだ。
鎧を脱ぐ
上手く言えないけれど、物事の本質というのはそんなに変わらない。
未知の出来事であったとしても、コアの部分は似通っていたりする。
僕はその本質を見抜く力がたぶんあるのだと思う。
外形的なことは部下の方が詳しいし、実務ベースでは全く敵わないけれど、それがどんな意味を持つものなのか、ということを想像することができる。
そしてそれを言い当てると、驚かれることになる。
そういう意味では僕は部下を頼りながら、まだまだ自己顕示をし続けていると言えるのかもしれない。
もう少し歳を重ねたら、それすらも必要でなくなる日が来るのだろう。
それをワクワクしながら待っていようと思う。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
弱い犬ほどよく吠える、ではないですが、己の力を誇示しようとしているマネージャーほど滑稽なものはありません。
僕はそれに気づくのに時間がかかってしまいました。
能ある鷹は爪を隠す、というスタンス、いや、隠しているという意図性すらもなく、ただそこに佇んでいる、という感じが最近はうまくハマっているような気がしています。
上手に部下を頼りながら、彼らの力を引き出していきましょう。