恐怖政治型マネジメント

恐怖政治という成功体験
世の中の大半のマネジメント手法は恐怖政治型だ、と言ったら言い過ぎだろうか?
そんなこともないような気がしている。
チームが上手くいっていない時に、マネージャーは何らかのテコ入れを図る。
僕が考えるマネジメントというのは、このテコ入れの際に「具体的な手法を提示すること」であるのだけれど、世の中の殆どのマネージャーはこれができないので、「怒鳴る」「威圧する」「怖がらせる」という形を取ることが多い。
たちが悪いのは、この「恐怖政治」によって実際に成果が上がることにより、マネージャーにとってこれが「成功体験」化してしまうこと、それによってこの行動が強化されてしまうこと、である。
もう少し言うと、この恐怖政治に適応できたものだけが生き残り(そうでないものは淘汰され)、その人がマネージャーに昇格し、同じ作法を繰り返す、ということが問題である、と僕は考えている。
前回の内容とも重複する部分があるかもしれないけれど、今日はそんなことを書いていく。
インテンシティの源は?
チームが高い成果を出す為には、確かに高いインテンシティが求められる。
インテンシティというのは、(サッカー用語なのかもしれないけれど)プレー強度(激しさや熱心さ、強さ、ひたむきさみたいなもの)を表す。
ビジネスにおいても、これは重要である。
全員がひたむきに仕事をしているチームとそうでないチームでは、成果の度合いが全く違ってくるからだ。
ただ、このひたむきさがどのようなものから生じているか、ということについてはよくよく注視しておいた方がいい。
罰を恐れてプレー強度を上げているのか否か、というのはチームを評価する上で線引きが必要となる。
マネージャーに怒鳴られたくないからとか、みんなの前で罵倒されたくないから、というのがインテンシティの源になっているのであれば、チームが健康的とは言えないからだ。
ただ、僕の経験では、現状において高いインテンシティを誇る大抵のチームはこの手の手法を取っている。
そしてマネージャーもそれを誇らしく思っていたりする。
僕はこのマネジメント手法に懐疑的だ。
そういう意味では僕は(圧倒的)マイノリティなのかもしれない。
日本のマネジメント不全の原因は精神至上主義だ
チームが上手くいかない原因を、メンバーの精神面に求める風潮、というのは日本企業によく見られる光景である。
そしてその精神面について、怠けているとか頑張っていない、と捉える(頑張らないのは個人に責がある)のが一般的である。
その流れを受けて、マネージャーの仕事というのは、個人のケツを叩くこと(個人に頑張らせること)である、と考える人が大半だ。
僕はこの風潮が全く好きではない。
精神主義、気合い至上主義、みたいなものが日本のマネジメント不全の原因である、とすら思っている。
マネージャーにマネジメント能力がないからマネジメントが上手くいかない。簡単だろ?
厳しい言い方になるけれど、チームが上手くいかない理由の大半はマネジメントが上手くいっていないからである。
そしてマネジメントが上手くいっていない原因は、マネージャーにマネジメント能力がないからである。
この自覚があるマネージャーは(マジで)少ない。
自分にマネジメント能力がないことは棚に上げて、怒鳴り散らすことしかできないのは、僕からしたら「私は無能だ!」と叫んでいるのに等しい行為であると思うのだけれど、どうやら大抵の人はそうは思わないようだ。
むしろ、熱心なマネージャーである、というように捉える人すらいるくらいだ。
吐き気がする。
反吐が出る。
でもこれが現実である。
恫喝と幼児性
恫喝、威圧、脅迫、言葉は何でもいいけれど、とにかく相手に恐怖を与えて服従させることがマネジメントである、と考えている(というかそんなことすらこの手の人は考えていないのだろう)マネージャーは、履いて捨てるほどいる。
というか、これしかたぶん彼らはできないのだろう。
具体的な方策を示すことができないから、幼児のように怒りを露わにする、そうすれば、自分の思い通りになる、そう考えているマネージャーばかりである。
これが本当にたちが悪いのは、このような恐怖政治型マネジメント下において生き延びられるのは、耐性がある人だけである、という事実である。
耐性がある人が生き延び、マネージャーとなり、同じ手法を繰り返す。
そりゃ日本にマネジメントが根付くわけがないよな。
いっそのこと禁止にしてみたら?
(圧倒的)少数派のマネージャーとしての提案になるけれど、一旦この手法を完全に禁止してみたらどうだろうか?
ビジネスのみならず、教育現場でも、とにかくこの手のマネジメント手法を取ったら「即退場」にしてみたらどうだろうか?
僕は本気でそう思っている。
本物の経営人材がいない、であるとか、きちんとしたマネージャーが不足している、であるとか、そんなのは僕からしたら当然の帰結であるのに、その原因には目を向けないでいる現状が僕にはよくわからない。
マネージャーはマネジメント力で勝負すべきである。
恐怖政治型を上回る成果で証明するしかない
「いや、恐怖で人を動かすのだって、実際にそれで人は動く場合があるし、成果だって出るんじゃないの?」
「サッカーの監督だって色々なタイプがいるでしょう?」
「それにあなたはいつも成果が大事だって言っているじゃない?」
そのような声は、確かに一理あると思う。
ただ、本当にそれで長期的な成果が出るのか僕には疑問である。
そしてマイナス面を捨象すること(プラス面のみに光を当てること)に僕は納得がいかない。
ただ、現実にはこの恐怖政治型マネジメントが圧倒的大多数であるし、僕のやり方が明らかに少数派であることは否めない。
だからこそ僕は高い成果に拘るのだ。
彼らの行う恐怖政治型マネジメントを軽々と超える成果を出す為に、僕はこれからもマネジメントを真剣に考えていくつもりだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
マネジメントはマネジメントを通してしか上達しません。
こんな当たり前のことが全然浸透しません。
野球でもサッカーでも、自分がプレイするとなると多大な練習が必要であるということが体感としてわかるはずなのに、ことマネジメントとなると「余裕!」と思ってしまうのが、僕には不思議でなりません。
マネジメントは片手間で身に付くほど甘いものではありません。
本気でそれだけに取り組んでみましょう。