マイクロマネジメントは有害だ
マイクロマネジメントはマネージャーの言い訳に過ぎない
結果が出ていないと、得てして管理職はマイクロマネジメントを行いがちになる。
マイクロマネジメントをしていると、仕事をしている気になるからだ。
こういう書き出し方からもわかる通り、僕はマイクロマネジメントには否定的だ。
強い言葉で言うと、それはマネージャーのエゴを満たすだけの手法だと思うからだ。
そして、マネージャーが自分を守るためのパフォーマンスだと思うからだ。
チームの結果が出ていない時、マネージャーは当然ながらその改善を求められる。
下手をすると、自分の上司から無能扱いされるから、「いやいや、私はこれだけやっているのに、あいつらが動かないから(能力が低いから、使えないから、等どんな言葉でも良い)、成績が上がらないんですよ」という言い訳を用意しておく、といったら言い過ぎだろうか。
正直、チームのパフォーマンスについてマネージャーが及ぼせるものはごく僅かだと僕は考えている。
現実的なことを言うと、良いメンバーがいれば、マネージャーが誰であれ、結果は出る。
時に、それを自分の手柄だと言うマネージャーもいるけれど、僕は懐疑的だ。
(まあその線引きは微妙であることも事実なのだけれど…)
管理職の仕事は「管理する」ことではない
上司からの低評価から自分を守るために、管理の度合いを強めるマネージャーはびっくりするくらい多い。
たぶん適当に石を投げたら、そういう管理職に当たる。
というか、「管理職」という名称からして、「管理する」のが仕事であると考えられているのだから、それも当然なのかもしれない。
「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」という言葉が悪いのかもしれないけれど、これを部下にさせることが行き過ぎると、マイクロマネジメントになる。
そして本人もそれを悪いと思っていないことが多い。
というか、「できる」と社内で言われるような人達は管理していることを誇らしげに言うので、大多数はそれがマネージャーの本流の仕事と思うのかもしれない。
僕自身は自分のキャラクターもあるけれど、「ほうれんそう」はあまり気にしていない。
というか、理想はそんなものなくても勝手に部下が判断してくれるのが良いと考えている。
時々「相談」してくれると嬉しいけれど、正直それがなくて怒るようなことは僕はない。
むしろ、そんなこと聞くなよな、と思うことの方が多い。
「ほうれんそう」が行き過ぎるとマイクロマネジメントになる
今日は何件電話したのか、何件訪問したのか、アポは何件取れたのか、どういう話になったのか、明日はどうするんだ、どこに行くんだ、何をするんだ、来週は…
なんか仕事している「風」になりますよね。
マネージャーっぽいというか。
僕は自分が担当時代にそうだったからかもしれないけれど、こういうマネージャーを小馬鹿にしていて、報告を求められた時にはテキトーに報告していた。
当たり前だけど、毎日案件が生まれる訳ではないし、その報告で自分の数字が上がるわけでもないので、できるだけこの無駄な時間を少なくすることに精力を注いでいた。
生意気な言い方をすると、「ほうれんそう」を求められないくらいに数字を出していると、だんだんとマネージャーも口を出さなくなってくるので、こうなるように仕向けていた、という感じだ。
子ども扱いすんじゃねえよ、お前より営業できるわ、見ろよこの数字、という感じだ(若気の至りで恥ずかしくなりますね…)。
子ども扱いはやめよう
まあでも自分がマネージャーの立場になってみると、管理したいという気持ちもわからなくはない。
いつまで経っても数字が上がらない営業マンは腐るほどいるし、本当に日中に何やってんだろう、と思うこともあるし。
(家帰って寝てんじゃないか、と思うくらいのこともある)
なので、数値化したりすると、マネージャー側が安心するのもよくわかる。
そして仕事をやった感じになるというのもよくわかる。
これは担当者も同じで、件数で仕事を管理すると、仕事をしている雰囲気を出せるのだ。
「こんなに電話したのに(訪問したのに)成果が上がらない」と言えば、数字が上がっていない理由は他の要因にあると、少なくとも自分は一生懸命努力しているという証明になる、というのもとてもよくわかる。
管理者もそれを管理しているのに成果が上がらないというのは…、以下繰り返し。
僕は極端なことを言えば、仮に毎日家で寝ている営業マンがいたとして、そいつが最終的に営業としての帳尻が合わせられるのであれば、あまり気にすることはない。
やり方は問わない。
というか、僕の経験から言えば、営業には自分に合ったやり方があるので、あんまり型にはめない方がいいと考えている。
別に1件も電話しない日があったっていいし、外でブラブラする時間があったっていいし、いい大人なのだから好きにしろよ、というのが僕のスタンスだ。
子供じゃねえんだから、それぞれが上手くやればいいと思っている。
ただ、プロとして給料を貰っているので、成果には拘ろうという感じだろうか。
成果はマネージャーのものじゃない。部下のものだ。
こんな感じなので、マイクロマネージャーを僕は軽蔑すらしている。
自分の奴隷か召使のように、自分の手足かのように顎で部下を使っているマネージャーが偉そうにしていると、虫唾が走る。
お前の力じゃねえぞ、と僕は思う。
部下が頑張っているから、成果が出ているのだ。
お前は関係ねえぞ、と。
もちろん、できない担当者にはケアが必要だと僕は思う。
でもそれは少なくともマネージャーが上で、担当者が下、という関係性ではないと僕は考えている。
手取り足取りでもそこに尊厳があれば僕はマイクロマネジメントでも構わないと思うけれど、どちらかというと、「支配」したい人が多いという感じがするので、僕は嫌いなのかもしれない。
「ほうれんそう」を強要するのはマネージャーのエゴだ
僕は部下から数字が上がらない理由を聞かれた時に、「件数が少ないからだ。もっと電話をかけろよ」と答えるのはちょっと乱暴だと思っている。
ニュアンスが難しいのだけれど、確かに数をこなさないと数字は上がらないのだけれど、件数をやれば数字が上がるわけでもないのだ。
だから、どちらかというと、電話をかけている部下の話の仕方の中で気になる部分を指摘することの方が多い気がする。
それも「オレは気になるけど、まあオレが正解でもないので…」というスタンスで話すことが多い。
もし部下が本当に数字が上がらないことに悩んでいるのであれば、そういうちょっとしたことでも試してみるようになる。
これは「数字を上げる」という同じ目的ではあるもののアプローチの仕方が全然違うと僕は考えている。
「増やした電話の件数を管理する」のがマイクロマネジメントで、「違う話し方をしてみての感想を聞く」のがマネジメントと言ったら言い過ぎだろうか。
部下に注意を向けるのはとても大切なことで、僕は彼らの癖や躓きの理由が手に取るようにわかる。
なぜなら、それはかつて自分が経験したことばかりだからだ。
だから、彼らが相談してきた時にある程度適切に応える(答えるではなく)ことができる。
「ほうれんそうの強制」がマイクロマネジメントで、「自発的なほうれんそう」がマネジメント、と言ったらかっこつけすぎだろうか。
予想外の結果を出すためにはマイクロマネジメントは不要(むしろ有害)
結局、人は自分で変わろうとしなければ変わらないと僕は考えている。
だから、そういう状態になるまでほっておく、待つ、というのが僕のスタンスだ。
そういう意味では僕は冷たい人間だと思うし、面倒見が悪いのだとも思う。
でも、彼らが必要としてきた時には全力でそれに応えたいと思う。
正解は出せなくても、一緒に悩むことはできると僕は考えている。
それはマネージャーとしてはやや女々しすぎるのかもしれないけれど。
自分が安心したいのであれば、マイクロマネジメントは有効な手法だ。
でも、たぶん結果は出ない。
というか、予想外の結果は出ない。
むしろ有害ですらあると思う。
僕は予想外の結果が出た時に、マネージャーとしてのやりがいを感じる。
ただの価値観の違いなのかもしれないけれど、それを願って今日も僕は仕事をしている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
編集後記
マイクロマネジメントまでいかなくとも部下の行動を管理したいというマネージャーは多いです。
そしてそれは善意に基づいていることが多いので、余計にたちが悪い。
放任と過干渉のバランスはとても難しいのですが、結局は部下を信頼するかどうかということに集約されるのかなと僕は思います。
性善説か性悪説か、みたいな難しい話ではなく、大人として尊重するのか子供として接するのか、そんなニュアンスです。
広い牧場に囲いの柵はあるのだけれど、それはだいぶ遠い所にあって普段は意識されない、そんな感じかもしれません。
結果が出ていないと「管理をしたい」という誘惑はどんどん強まっていきます。
それを乗り越えた先に予想外の成果があります。
それを信じて待ちましょう。