「褒める」と「認める」
ルック・アット・ミー
人は誰しも認められたいのだな、とマネジメントをやっているとよく思う。
どんなにそっぽを向いているように見える人間も、定年間近でやる気がないように見える人間も、認められることを心のどこかで願っている。
そしてそれは「褒める」とは違う種類のものなのである。
どちらかというと「尊重する」というニュアンスに近い。
それぞれのメンバーにはそれぞれのメンバーなりの仕事のやり方がある。
客観的には「どうかな…」と思うようなことであっても、何らかの過去の成功体験や思い入れなどによって、固執とは言わないまでも、拘りみたいなものがある。
それを頭ごなしに否定しても、ただ反発を食らうだけである。
かといって、手放しに何でも褒めればいいということでもない。
今日はそういう話をしていく。
褒めるは上から、認めるは横から
褒めるも認めるも、気付きから発動する。
ただそのスタンス(立ち位置)が微妙に異なる。
褒めるは上から、認めるは横から。
そんなイメージで僕は仕事をすることが良いのではないかと最近思い始めた。
褒めなくても認めればいい。
それは年齢や性別、国籍を問わない。
そのままの状態をただ認めればいい。
話はそこからである。
人には誰しも「生活」がある
マネージャーをやっていて思うのは、メンバーというのは、僕ほど仕事に重きを置いていないということである(というか、たぶん僕がワーカホリック的でオカシイのだろう)。
そういう人達と仕事をしていると、「なぜ自分はこんなにもシャカリキになっているのだろうか」とふと我に返ることがある。
彼ら(彼女ら)には、(当たり前であるが)「生活」があって、そっちの「生活」の諸々の出来事が仕事にも影響を与える。
別に「分人(by平野啓一郎)」という難しい概念を取る必要もない。
ただ事実としてそうなのだと僕は思うのである。
その時に、メンバーの価値観や価値判断軸、振る舞いなどを認めること、その人そのものを受容しようとすること、それは褒めるよりも大事なことなのではないか、そんな風に考えることが増えてきた。
ズバリ言うわよ
「課長は色々なところを見ていますね」
「占い師みたいですね」
そういうことをメンバーから言われることがある。
僕は営業経験が長いからか、そもそもの出自がそうなのか、それはわからないけれど、人の本質みたいなものを見抜くのが比較的得意な方なのだと思う(もちろん自惚れも込みで)。
それをタイミングを見計らいながら、1on1などでズバッと言ったりする。
すると、彼らは一様に驚くのだ。
「ああ、この人はよく見ているのだ」と。
公における振る舞いとその人の本性は別
職場において、大勢の前での振る舞いと、1on1での振る舞いは異なるものである、と僕は考えている。
誰しもメンツがあるし、公的な演技は必要であるし、それはそれとして別にどうこう言う必要はない(僕だってそうだから)。
でも、その演技や振る舞いが、その人のそのままの本質であるかどうか、というのはまた別の話である。
性格や自己評価などによってもそれは変わってくる。
でも、マネージャーは本質は知っておくべきだと僕は思っている。
そして、その本質を認めるべきだと僕は思っている。
その人をそのまま理解する
それは褒めるという「評価」ではない。
ただ、「そういう人なのだ」ということを理解し、受け入れること(受容)が大事なのである。
この部分の理解がマネージャーにあれば、そしてメンバーがマネージャーが理解があると思っていれば、職場の人間関係というのはある程度維持することができるのだ。
それはまた好き嫌いとは別次元の話である。
僕だって合わないタイプはいる。
でも合わないからといって、その立ち振る舞いが認められないかどうかというのはまた異なる話なのだ。
彼ら(彼女ら)の行動が、どのような「生活」から生じているものなのか、その背景を少しでも理解しようと努めると、その少しの分だけ彼ら(彼女ら)も歩み寄ってくれる。
だから何だということはない。
ただ、それができていると、底流に流れるある程度の相互理解と信頼関係があると、単純に仕事がし易いということである。
部下を褒めるのって難しいですよね?
マネジメントに関する本には「部下を褒めなさい」みたいなことがよく書いてある。
それが上手に出来る人は大いに褒めたら良いと思う。
でも僕のように、他者に厳しく、褒めるまでもないよね、無理して褒めるのは違うよね、と感じる人も一定数いると思っている。
そんな人は、その人の行動を「認めればいい」のだ。
できることをできる範囲で
人それぞれ成果の絶対値は異なる。
それをこちらの眼鏡で相対的に評価するから無理が生じる。
僕はある程度のメンバーの人となりと、その人が出来るであろうパフォーマンスを見比べて、少しでも背伸びをしようと努力しているのであれば、その人を認めることにしている。
それが例え大きな成果とは言えなくても。
皆の前で褒めたり認めたりするのは照れが生じる。
意気込んでやろうとするとそれは上手くいかないことも多い。
だから1on1の場で、メンバーが認めて欲しそうな顔をしていたり、そのような方向に話を振ってきたりした時には、それに応えてあげればいい(メンバーというのは、分かり易くこのような「褒めてくれ」「認めてくれ」というサインを出してくるものである)。
偉ぶることなく、敬意を持って。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「生活」ということを最近よく考えます。
「暮らし」と言い換えてもいいかもしれません。
というのは、仕事というのはあくまでも「生活」や「暮らし」の一部であって、それが双方に影響を与え合うものだと思っているからです。
彼ら(彼女ら)には、「生活」におけるそれぞれの役割(父親・母親・夫・妻・息子・娘・PTA会長・キャプテンなどなど)があって、それを知ることで仕事というものは相対化されていきます。
僕にできるのは「ああそうなんだ。それは大変だね」という共感だけなのではないか。
そんなことを考えています。
モラール向上だとか、モチベーション維持だとか、そういう綺麗な言葉を言うのは簡単ですが、そこで働いているのは生臭く感情を持った人間達であって、それを実現するのはそんなに簡単なものではありません。
ありのまま、そのまま、を認めながら、仕事をしていきましょう。