考える能力
個性や意見の欠如
次期マネージャー候補の部下と話をしていて、「自分なりの考え方」みたいなものがないな、と思うことが増えてきた。
もちろんそれは僕の経験値が上がって、次期マネージャー候補たちの年齢層との開きが生まれていることが1つの要因なのかもしれない。
でも。
それにしても、だ。
以前にも書いたことかもしれないけれど、マネージャーはもちろんスキル面も重要ではあるけれど、どちらかというと、「人間力」や「考える能力」みたいなものが勝敗を分ける、と僕は考えている。
これは「論理的思考力」がビジネスパーソンにとって大事である、みたいなものとはちょっと違う。
僕が思う「考える能力」というのは、「自分の意見」や「個性」みたいなものだ。
それがなければ、ただの伝書鳩に成り下がってしまう。
今日はそんな話だ。
What do you think?
次期マネージャー候補に限らず、僕はよく部下に対して「あなたはどう思うのか?」ということを尋ねる。
そして「やりたいのか? やりたくないのか?」ということを問う。
この繰り返しが「考える能力」を養っていく。
これは「リスクを取る」ということでもある。
「ポジションを表明する」と言い換えてもいい。
限られた時間と情報の中での判断が重要
マネジメント業務においては、「判断」が重要である。
それも限られた情報で、限られた時間内に、100点とは言えないまでも80点くらいの判断を行わなければ、仕事が進んでいかない。
何かコトが起こるたびに、「いや、それは私では判断しかねるので、一旦持ち帰らせていただいて…」というようなマネージャーでは部下も付いてくることはないのだ。
そして当然ながら、判断を行うとリスクが生じる。
そのリスクを勘案しながら、現時点における最適解は何か、ということを示していくことがマネジメント業務においてはとても大事なのである。
リスクを取らないことへの虚しさと苛立ち
ここで冒頭の次期マネージャー候補たちとの話に戻る。
僕は彼ら(彼女ら)の能力については何も言うことがない。
そのようなポジションにいるということは、様々な過去の上司から「お墨付き」を与えられたからそこにいるのであって、それについてどうこう言うつもりはない。
でも、マネージャーとプレイヤーは異なる。
マネージャーには(繰り返しになるが)判断が必要だ。
だからこそ僕はしつこくその点を尋ねる。
でも年々そのレスポンスはイマイチになってきている気がする。
何というか、リスクを取っていない、ポジションを表明していない、ということへの自覚自体が欠落している、ような感じである。
「逃げていること自体に気付いていない」というか。
僕はそこに虚しさを感じる。
そしてそれをどのように伝えたら理解してもらえるのか、悩んでいる。
無個性は敵を生まないけれど、味方も生まない
自分のことを振り返る。
立場が人を作る、ということもある。
でも、手前味噌ではあるけれど、僕は自分が駆け出しのマネージャーであった時にも、どのように考え、判断を下すか、リスクを取るか、ということについては現在のマネージャー候補生たちよりも数段上だったような気がしている。
むしろその自分の考えが強すぎたくらいに思っている。
世代論はあまり好きではないけれど、僕は若い人達が周りの人との軋轢をできるだけ避けるように生きてきて、それが無個性(没個性)というものに繋がっているのではないか、という仮説を立てている。
デジタルネイティブな彼らにとって、「評判」というものは何にも代えがたいものであるのだろう。
それは功罪両面あって、残念ながら、マネジメント業務においては欠点となり得るものだと僕は思っている。
みんなと仲良くすることはできない。
自分の意見がないマネージャーでは人は付いて来ない。
でも自分の意見を表明すると、敵対する者が出てくる。
そのバランスや調整こそがマネジメント能力なのだと思う。
無味無臭では戦えない
没個性的な仕事のスタイルは、プレイヤーとして周囲に敵を作らない、という観点からもとても重要な要素であるだろう。
だからこそ、彼ら(彼女ら)は順調に現在の位置まで上がってきたのだろう。
でも、マネジメントというのは、「その人」を常に問われる仕事である。
「あなたは何物であるのか?」「どんなことを考えているのか?」「どのようにチームを運営していくのか?」「判断はどのような根拠や理路に基づいて行われるのか?」ということを常に問い続けられるのだ。
没個性ではいられない。
無味無臭では戦えない。
僕はそんな風に思っている。
振り返れば誰も付いてきていない?
チームマネジメントは、スキルでカバーできる部分と、そうでない部分がある。
そしてそうでない部分の方が、成果の持続性を確保する為には重要である。
残念ながら、そうでない部分というのは、マネージャー自身の本性(人間性)みたいなところに拠るところが大きくて、一朝一夕でどうにかなるものではない。
何もない荒野に向かおうとする時に、きちんとメンバーが後ろから付いてきてくれるかどうか。
「Follow me!」と大声を上げた時に、一丸となって先に向かえるかどうか。
好きも嫌いも、清も濁も、毒も薬も、全て併せ飲んだ上で、メンバーへ自分の考えを伝え、その気持ちを奮い立たせることができるかどうか。
僕だって人に言えた義理ではない。
それでも、寂しさは感じるのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
周囲とうまくやれないと自分を責めることが多かった僕ですが、それはマネージャーとしては長所となり得るのかもしれないと最近は思うようになってきました。
それが今回の話です。
自分の意見というものは、時に対立を生じさせますが、同時に熱量も生じさせます。
そしてその熱量こそが、チームをチームたらしめるもの、ただの足し算ではなく、それ以上の力を出す為の推進力になったりするのです。
恐れずに自分の意見を言っていきましょう。