既成事実への屈伏
日本組織あるある
久しぶりに丸山眞男の言葉を借りる。
「既成事実への屈伏」とは、自分の行動を正当化する為に既成事実を利用し、「既に決まっていたことだから仕方がなかった」「個人的には反対だと思っていたが、成り行き上仕方がなかった」というような態度を指す。
以前に「ミルグラム実験(ミルグラム効果とシステム論)」について書いたけれど、それの日本版と言ってもいいかもしれない。
日本の組織で働いている人にはよくわかる感覚であると思う。
今まで「我こそが正義」みたいに偉そうにしていた人が、ひとたび状況が悪くなると「それは私の意思ではなく、組織がそのような方向に動いていたから仕方なかったのだ」と言い逃れをするのを僕は幾度となく見てきた。
そしてこれは実際にそのような側面があることも事実ではあるけれど、それを逆手にとって、「既成事実を作ってしまえばこちらのものである」というような使われ方をすることも多い。
気の滅入る話ではあるけれど、組織で働いているマネージャーには参考になるかもしれないので、今日はそういう話をしてみようと思う。
責任者がいない組織
「上司が良いと言ったことを自分はしただけである」「だから免責される」という理路が、上から下まで浸透している組織におけるミドルマネージャーの基本的な立ち振る舞いは、下位者には威張り散らし、上司にはへこへこする、というものになる。
「上位者からの圧力や圧迫を下位者へ下ろしていくことは、別におかしなことでも何でもなくて自然な振る舞いである」
「というか、組織というものはそういうものだろう?」
というような、意識や雰囲気が蔓延することになる。
中間にいる自分は、上位者からの圧力をそのまま下位者に下ろすことで、自身の尊厳を守ろうとする。
一方で、その責任は自分にはなく、「上司がそのように命じたからやっている」という構造を取ることで、自身を正当化していく。
これが上から下まで順番に起こっていく。
結果として、組織の最下位者にしわ寄せが全ていく。
下位者もその上の上位者と同じように振舞っているだけなのだけれど、何かコトが起きた時には、上司は安全地帯へ退避し、「いや、そんなことは言っていない」「お前が勝手にそのように思って行動しただけである」という理路が今度は下から上へ逆流していく。
結果として、責任を取る主体者が不在となる。
これが日本の組織の構造である。
「自分を責めるということは…」という恫喝
そして、慣例・慣行というものが非常に重要視される。
これは裏を返せば、新しいことを言う者は毛嫌いされるということである。
過去に行われていることがあれば、その時の事例に基づいて現在も行動することができる。
それは何か問題が起きた時に、「過去にもそのように行っていて、自分も同じようにやっただけである」「もし私に責任があると言うのであれば、過去の事例の責任者についても追及すべきである」というようなエクスキューズができるからである。
もう少し言うと、その過去の行為者が現在における権力者であると尚都合がいい。
虎の威を借りる狐のように、「私のせいにするということは、その人のせいにするのと同義であるが、それでも構わないか?」というような恫喝が成り立つからである。
これを何度も繰り返していく。
そうやって既成事実を積み重ねていく。
手を伸ばしても何もない
僕たちは実態を探ろうと手を伸ばすのだけれど、そこには実態はない。
既成事実を基にした、「空気」があるだけである。
手を伸ばした瞬間に、それは文字通り雲散霧消する。
狐につままれたような気持ち。
釈然としない思い。
そうやって僕たちはずっと停滞し続けている。
流れは止められないかもしれないけれど
このような大きな流れを変えることは難しい。
一介のマネージャー、それもミドルマネージャーにできることは限られている。
でも、少しだけなら抗うことは可能である、と僕は思っている。
以前にも書いたことではあるが、上から降りてくる流れを堰き止めることはできないけれど、その流れを弱めることは可能である。
そのような志を持つ人が組織内に多くなればなるほど、その流れは徐々に弱まっていく。
いつしか、流れの基が何だったのか、そのような形状をしていたのか、すらわからなくなる。
そんな事態を僕は夢想している。
極東の島国のローカルルール
僕たちは谷間の世代である。
旧世代と新世代の狭間にいる。
かつての「当たり前の」価値観は、現代には通用しなくなっている。
それは日本の地位の相対的な低下と、グローバルな市場の拡大、その同時並行によるものである。
僕たちのような極東の島国に住んでいるドメスティックな価値観はもう通用しないのだ。
それをきちんと受け止めるべきだと思う。
あなたの存在意義とは?
グローバルスタンダードが正しいとか間違っているとかそういう範疇の話ではない。
好きとか嫌いとか、そのような好みの問題でもない。
ただ事実として、ファクトとして、時代は変わっているということを、「そのままの状態」で受け入れること。
ウェットな企業内論理などというものには、誰も耳を貸してくれない、という単純な事実を正面から受け止めること。
その中でどうするか?
あなたはマネージャーとして何を為すのか?
責任転嫁をやめて、ポジションを取ろう。
言ったことはやろう。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
前例踏襲主義にうんざりしています。
というか、前例踏襲は別にいいのですが、新しいことをやることに対する抵抗感が余りにも大きすぎることに呆れてしまいます。
そんなにみんな責任を取りたくないものなのだろうか?
僕には正直よくわかりません。
もう少し言うと、責任を取りたくないのは構わないから、どうか邪魔だけはしないでくれ、そんな風に思います。
極東の島国にいる未開の民族である僕たちのよくわからないローカルルール。
それに縛られて僕たちはこれからも沈み続けていくのでしょう。
僕はリスクがあったとしても、船を出て、海に飛び込みたいと思っています。
ご賛同頂けたら幸いです。