Do you know the meaning of trade-off?
「何でもやる」のは不可能
皆さんはトレードオフという言葉をご存知でしょうか?
トレードオフとは、「何かを得れば、何かを失う」「彼方立てれば此方が立たぬ」ということを意味する。
要は、「『何でもやる』のは不可能」ということである。
でもこれを理解しているマネージャーはとても少ない。
マネジメントというのは(というかたぶん人生全般において)、常にトレードオフとの戦いである。
ヒト・モノ・カネは有限である(当たり前だ)。
でも、(日本だけなのかもしれないけれど)それを理解し、戦略なり戦術を立てられる人はびっくりするくらい少ない。
太平洋戦争も、原発事故も、コロナ対応も、この辺の理解(と実践)が欠如していることの現われであると僕は思っている。
それでは始めていこう。
マネージャー・ガチャ
皆さんは作戦を立てることができるマネージャーですか?
そしてその作戦を具体策にブレイクダウンできるマネージャーでしょうか?
この2つの疑問文を繰り返し心に問いかけることがマネージャーのレベルアップには不可欠である。
僕がマネジメントを経験してきて思うのは、これができるマネージャーというのは本当にレア(SSR)である、ということである(でも、だからと言って、こういう人が組織内で尊重されたり、敬意を表されたりしているとは限らないのが日本組織の不思議なところだ)。
作戦を立て、それを具体策に落とし込む作業ができれば、成果を上げることは難しいことではない。
もちろん作戦の精度や具体策の練度みたいなものは重要ではあるけれど、それはレンジ内での話に過ぎなくて、大体の方向性が合っていれば、現状よりは確実に成果が上がるのである。
でも、残念ながら、多くのマネージャーはこれができない。
「とにかくやれ!」という、僕からしたら指示でも何でもないことを平気でのたまうのが一般的なマネージャー像である。
指示を纏った無意味
彼ら(彼女ら)が致命的なのは、それを「指示」だと自分では思っていることである。
この種の「指示を纏った無意味」が日本組織には溢れかえっている。
そしてそれに疑問を呈すると、「生意気である」とか「反抗的である」という烙印を押される。
日本社会の生産性が低いことに対する論調の多くは、僕からしたら的外れで、単純に作戦立案をする層が無能である、ということだけのような気がしている。
それは何もトップマネジメント層に限らず、ミドルマネジメント層にも大量発生している。
僕はそれに抗う為にこのブログを書いているわけだけれど、そんな数少ない読者の方にご理解頂きたいのは、「全方位外交」はできない、という単純な事実である。
弱者の兵法
皆さんが率いているチームのレベルがめちゃくちゃ高くて、資金も潤沢にあって、というのであれば、今回の話は全て忘れて頂きたい。
でも、大抵の人は「そうではない」チームを率いているはずである。
その将であるあなたが、「とにかくやれ!」「何でもやれ!」ともし言っているのであれば、ぜひとも反省をして頂きたい。
弱小チームが勝つためには、兵力を集中させるしかないのだ。
そして兵力を集中させる為には、「やらないことを明確にする」しかないのである。
何かを言っているようで何も言っていない言葉をこの国では指示と呼ぶ
僕はミドルの立場として、トップからの指示をたくさん受ける。
そしてその指示の内容は「全部やれ!」というものが殆どである。
「KPIを全てやり切れ!」というのは、何かを言っているようで何も言っていない。
これを理解していない人とは話が合いそうにない。
空語をガチで信じたら終わり
何かを言っているようで何も言っていない言葉のことを空語と言う。
日本社会には空語が溢れている。
それは別に構わない。
社会というのはそういうものであるからだ。
でも、空語を使う時は、せめてそれが空語であることを理解しておくべきである、と僕は思っている。
建前というのは、本音があるから成立する概念である。
空語も同様である。
ガチでそれを信じたら終わりだ。
でもそれをガチで信じている人が多すぎる。
だから僕は組織で浮くのだろう。
でもだからこそ僕のチームは高い成果を出せるのだろう。
できる限界値と夢物語は違う
マネジメントというのは単純な作業だ。
トレードオフを理解するだけで、チームは必ず成果を出せるからだ。
もちろん、その成果の水準にはバラツキがあるし、望まれているだけの成果に至らないこともよくあることである。
ただ、少なくとも現状より改善しないことはない。
僕がトップマネジメント層と話をしていて、本当にセンスがないな、と思うのは、現状からの進捗率(進捗度合い)がとても重要であり、それには現況の戦力を冷徹に分析した上での「できる限界値」というものが必ずあるにも関わらず、夢物語の目標を本気で達成できると心から(盲目的に)信じているからだ。
でも、だからと言って、具体的に何をするか、ということは示すことができない。
祈りと信仰からの離脱を
これは、僕からすれば、ただの「祈り」である。
強く願っていれば、思いが強ければ強いほど必ず叶うはずである、という「信仰」に過ぎない。
神風は吹かないし、神は顕現しない。
それが現実だ。
僕は皆さんに「捨てる覚悟」を持ってもらいたい。
それには確かに勇気がいる。
「何でもやっています!」という方が簡単であるし、ウケもいいだろう。
でも、それだけでは、そこにいる意味がない。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
今日の話は「日本文化論」みたいなテイストを帯びていると自分では思っています。
組織の中で働いていると、否が応でも、「日本社会の構造とその限界」という論文のタイトルみたいなことを感じてしまいますし、たぶんそれが日本から活力を削いでいる原因なのでしょう。
残念ながら、この国では「現実を見る」ということは、「空気が読めない」ということと同義であるようです。
「リアルベースで考えること」と、「やる気がある」ことは共存可能です。
空想を排し、リアルに戦っていきましょう。