自己評価の高い部下との付き合い方

現実歪曲フィールド!

自信は大事。

でも客観性も大事。

自己評価の高い部下と接していると、そんなことを思う。

あまりにもネガティブというか、自己肯定感が低い部下もしんどいけれど、逆に自己評価が高過ぎる部下もそれはそれでしんどい、というのが今日の話である。

このような評価の高い部下と話していると、スティーブ・ジョブズの話ではないけれど、現実歪曲フィールドの中に迷い込んだ住人のような気分になる。

「オレの方がおかしいのだろうか?」と思うことがある。

でも、それは間違いだ。

その高い自己評価は、明らかに客観性を欠いている。

でも、そういう部下は確実にいるし(たぶんこれからも増えていくし)、そういう部下とも付き合いながら、高い成果を上げていかなければならないのがマネージャーという仕事である。

ういう部下とどのように付き合えばいいのか?

今日はそういうテーマで話をしてみようと思う。

主観ではなく、客観的なデータを

結論から言うと、客観的なデータを示し続けるしかない、と僕は思っている。

この種の部下は、自信があって、プライドも高く、他人を見下しがち、という傾向がある。

そして自分のミスは小さく見積もり、他人のミスは大きく見積もる傾向がある。

こういう人と話をする時に大事なことは、主観をできるだけ取り除くということである。

ただ妬んでいるだけ、機嫌が悪いだけ、に変換されてしまう

人の評価というのは、(当たり前の話であるけれど)人間がすることなので、バイアスがかかるし、そのブレ方も人それぞれである。

好みの問題もあるし、相性の問題もある。

でも、この種の自己評価の高い部下と接する時には、この主観的なものをできるだけ排除することが必要となる。

それはなぜか?

都合よく解釈されてしまうから、である。

ネガティブな評価は「妬んでいるから」に置き換えられ、叱責は「虫の居所が悪い」に変換される。

要は、その評価が自分に直接向いているとは捉えないのである。

実績値を突きつけ続けるしかない、というつまらない結論

僕が観察するに、それは意識的ではなく無意識的に行われているし、自己防衛を図ろうとしている訳でなく、本心からそう思っているように見受けられる。

僕はそれをある種の「サイコパス傾向」だと思っているけれど、別に珍しいというわけでもなく、若手を中心としてそのような傾向を持つ人達は増えてきているので、こちらはこちらで何らかの対策を備えておかなければならない。

そして、彼ら(彼女ら)にその自信に見合うだけの能力があれば多少の尊大さみたいなものは許容できるのだけれど、往々にしてそのような人というのは「張りぼて感」が凄いので、実力は推して知るべし、いや、本当に「どうしてそんなに自信が持てるのだろうか?」と思える程度であることが多いのだ。

なので、短期的にどうにかできる訳ではないのだけれど、ある期間を経た実績値を適宜示していく、そしてそれにマネージャー(私)は満足していない、ということを伝え続ける、というのが今回の(つまらない)話となる。

戦闘力開放!

僕は1on1を定例的にやっているので、その機会を通じてこれを伝えている。

当然ながら、プライドの高い彼ら(彼女ら)はそれを聞いて面白くなく思う。

時にへそを曲げたりする。

ここで重要なのが、僕は彼ら(彼女ら)よりも実力がある、ということである。

以前にも書いたことかもしれないけれど、営業の世界というのは弱肉強食的な要素があって、数字を持っている者が強い、というシンプルな(少年ジャンプ的な)世界観がある。

僕の経歴はそれを端的に表わしてくれる。

漫画の中で、現在は温和になった師匠が時折物凄い殺気を開放する、みたいな場面があると思うけれど、そんな感じである。

「表に出ろよ」ではないけれど、別に殴り合ってもいいですよ、というようなオーラはこの種の自己評価の高い部下と接する時には必要な要素であると僕は思っている。

これは同職種のマネジメントをやっているから為せる業であるかもしれない。

もし違う畑のマネジメントを行うのであれば、これは通用しないかもしれない。

でも、数値やエビデンスみたいなものを基に示し続けることは有効であるはずだ。

自身をAI化させる

先程も書いた通り、人の評価には主観性がどうしても紛れ込んでしまう。

それは彼ら(彼女ら)に解釈の余白(自分に都合の良い解釈の仕方)を与えてしまう。

でも、数字はそうではない。

ただの事実としてそこに存在するからである。

AIのように、ただ数字を並べて、基準値に達していなければ評価しない、それだけの話である。

すると(実力のない)彼ら(彼女ら)は、滔々と「言い訳」を始めるのだけれど、それに聞く耳を持つ必要はない

情状酌量の余地があれば別であるが、ゲームというのはそういうものであるし、ビジネスというのはそういうものであるのだ。

あるターム内(決算期間内)において、高い成果を出すという簡単なゲーム。

それがビジネスである。

それができない者には高い評価を付けることはできない。

それだけの話である。

変わるかどうかは彼ら(彼女ら)の話

それを淡々と説く。

理解してもらう必要はない。

事実として伝えるだけだ。

それによって変わる者もいるし、そうでない者もいる。

でもそれは僕の話ではなく、彼ら(彼女ら)の話である。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

「ゆとり教育の弊害」という手垢に塗れた話をしたい訳ではないのですが、自分の力を客観視する経験が少ない若者が増えている、という印象は僕は思っています。

学校教育における重要なことの1つに、己の立ち位置を知る、ということがあると思うのですが、それが曖昧なまま残存された結果、自分の相対的な立ち位置を知らないまま社会人になってしまう人が増えていると感じています。

それはそれで彼ら(彼女ら)の人生なので、僕がとやかく言う話ではないのですが、「世の中にはもっと強い奴がいる」ということは知らしめておく必要があるとは思っています。

それもできるだけ早いうちに。

そうでないと、彼ら(彼女ら)はそれに気づく機会すらなくなってしまうからです。

僕は主人公が物語の序盤に出会う圧倒的に強い敵として立ちはだかり、彼ら(彼女ら)に「今の実力ではダメだ。もっと修行しなくてはいけないな」と思わせるような立ち回りをイメージしながら彼ら(彼女ら)と対峙しています。

その後の話は僕には関係ないことです。

低い鼻をへし折っていきましょう。