ポジショントーク

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自分の立ち位置を明確にする

ポジショントークとは、自分の立場を利用して、(そうではないように見せかけながら実は)自分に有利な展開になるように話すことを指す。

今回の話はそういうことではない。

「ポジションを取って話しましょう」ということを言いたいだけである。

それをこの文章の中では「ポジショントーク」と名付けることにする。

そしてここで言う「ポジショントーク」には、上記したような「含み」はなくて、単純に自分の立ち位置を明確にすることを意識して話す、ということを指す。

これはマネージャーという仕事をする上で、必須のスキルである。

いや、必須だと言いながら、これができる人は殆どいない。

でも、だからこそ、もしあなたがマネージャーとして一皮むけたいなら、これを意識するだけで、「その他大勢」から抜け出すことができる。

それでは始めていこう。

平時は余裕。でも有事は?

何度かこのブログの中でもポジションを取ることの重要性は話してきていると思う。

それでも繰り返し書くのは、これができるマネージャーは本当に少ないと感じるからである。

「いやいや、私は常にきちんとポジションを取っていますよ」

そういう人もいるかもしれない。

でも、胸に手を当てて聞いてみて欲しい。

平時はともかく、有事にそれができているだろうか?

あなたが明らかに割を食う場面で、それができているだろうか?

BETしない(身銭を切らない)人達

僕が知るマネージャーの殆どは、平時にはメンバーの味方ですよ、みたいな顔をしながら、有事になると真っ先に責任を擦り付けようとする人達である。

そして自分は安全圏に避難している。

これはBETせずに賭け事をする、みたいな感じである。

本当は掛け金を積んでいないのに、さも積んでいるみたいな顔をして、ゲームの行方を見守っている人達。

風向きが良ければ自分の手柄に、そうでなければメンバーの責任に。

そうやってどちらにでも動けるように、体重をかけないで仕事をする手法

いかにも現代風である。

受験エリートは連戦連勝だ

これは「正解至上主義」みたいなものにも繋がっているような気がしている。

受験エリートたちは、失敗を極端に恐れる。

そして「正解」を常に探している。

先が見えない現代において、ポジションを取るということは、失敗する可能性を残すということと同義であって、それを彼ら(彼女ら)は極端に恐れるのである。

だから、時間切れになってもBETすることはない。

その後、結果が出る直前になって(いや、結果が出てから)、死角から掛け金を(成功しそうであれば自分の金を、失敗しそうであれば部下の金を)そっと置く。

その結果儲かった金は自分のポケットへ入れる。

常に連戦連勝である。

とても素晴らしい。

でもそれでは人が付いてくることはない。

正解か不正解か。それが問題だ(嘘)。

僕は思うのだけれど、正解か不正解か(成功か失敗か)というのはあまり重要ではない。

それよりも、締め切り時間の前に「判断をする」ことの方がよっぽど重要である。

先が見えず、メンバーが不安になっている中で、限られた情報の中から決断をすること。

一歩足を踏み出して、体重をかけること。

それがマネージャーの仕事である。

「私はこう思う」ということを混ぜ込むこと

別に断言する必要はないし、自信がなくたっていい。

でも「私はこう思う」ということをきちんと混ぜ込むことができること。

これがマネージャーの第一条件である。

どんなに仕事ができようと、これができなければマネジメントという職務を果たすことはできない。

それくらいポジションを取ること、それを説明することは重要なのである。

これには知識もスキルも経験もいらない。

少しの勇気があれば誰だってできる。

でも、誰もできない。

だからこそ意味がある。

It’s easy, right?

ポジショントークとは、「I」をつける作業である、と以前書いた(と思う)。

「私は」を主語にして、「こう思う」を結語にする。

それだけである。

口語でも文語でも変わらない。

特に有事にはこのような話し方・伝え方を意識する。

ポジショントークをすれば、そこに責任が生じる。

自分の言葉に体重が乗っかり、重みが生じる。

それこそが重要なのだ。

合っているか間違っているかは二の次で、一歩踏み出すこと。

立場を表明すること。

風見鶏にならないこと。

表現は何だっていい。

ただやるだけ。

ポジションを取るだけ。

レアキャラとして生きていこう

僕は明らかにマネージャーに向いていない人間であると自覚している。

そもそも他人に興味がないし、サイコパス的かつ狂人的である。

でもまがいなりにもマネージャーを続けられているのは、これができるからであると思っている。

僕は自分の立場を明確にして話をすることができる。

そんなことは僕にとっては当たり前のことであるけれど、どうやらそれすらもできない人というのは多数存在していて、そういう人に対してメンバーの多くはうんざりしていることが、僕に希少性を与えてくれているのだと思う。

あなたがマネージャーとして、それなりに上手くやりたいと思うのであれば、まず身に付けるべき資質はこれである。

無理やりでも演技でもいい

とにかく「自分はこう思う」と言う癖をつけること。

それができれば、メンバーからの信頼を失うことはない。

いや、本当に。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

「正しさ」を担保にマネジメントしようとしている人は多いですが、「真正性」を大事にしている人は少ない、僕はそう思っています。

マネージャーに大事なことは、正しさではなくて信頼できるかどうか、です。

上手く言えないのですが、戦場に立っている時に、銃声が鳴っている時に、上官が言う平板な正しさは何の役にも立ちません。

もう少し正確に言うと、正しさも大事なのですが、それよりも正しいと信じられることが重要なのだと僕は思っています。

上手く言えないのですが、仮にそれが正しくなくても、「上官がそういうなら信じましょう」と思って貰えることが、その分隊の力を増幅し、生死を分けることになるのではないか、と僕は考えています。

僕がポジションを明らかにし、言行一致させることを何よりも重視しているのは、こういう考え方が根底にあるからです。

ニセモノを排除し、ホンモノでいきましょう。

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