自走する組織
望ましいと思っていない組織における望ましいと思っていない仕事の仕方
世界は変わっているのに、組織はそのままだ。
そんなことを感じながら日々仕事をしている。
僕たちの組織は未だに工業化時代のままで、テイラー主義とは言わないまでも、「管理」=「マネジメント」という概念から抜け出せていない。
そういう僕だってその一翼を担っている。
僕はマネージャーとしての葛藤を抱えながら仕事をしている。
望ましいとは思っていない組織における望ましいと思っていない仕事の仕方。
それを変える方法はあるのだろうか?
それが変わる日は訪れるのだろうか?
きっと来るはずだ。
今日はそんなことを書いてみようと思う。
既存の組織とそこにいる人達への違和感
僕は端境期の人間だ。
以前にもそのような趣旨のことを書いた。
僕たちの上には旧時代の人達が作った組織があって、そこにいる人達はその組織を良いものだと思っている。
それもガチで。
僕はそこに違和感を覚えている。
良いとか悪いとかではなくて、世界とのズレを感じるのだ。
もちろん旧時代の組織であっても、成果が出ているのであれば問題はないと思う。
きっとそのような組織だってあるだろうし、混在している組織だってあると思う。
でも、早晩それは不可能になる。
僕はおかしいのはわかっている
僕は入社してからずっと、「なんか腑に落ちないな…」と思って仕事をしてきた。
でもその違和感は自分がおかしいからそう感じるのだ、と言い聞かせてきた。
元々社会的に適合できる性格ではなかったから、「社会というものはこういうものなのだ」「そこからズレている自分は不良品なのだ」と自己暗示をかけながら仕事をしてきた。
そこから随分と時間が流れた。
僕はマネージャーとなり、少しだけ組織というものが見えるようになった。
そして新しく入ってくる世代、若者たちと話をすることが増えた。
彼ら(彼女ら)は口々にこう言う。
「この組織は社会とズレている」と。
僕はそれに心から賛同する。
僕がおかしい訳ではなく(いや、おかしいのは変わらないが)、組織が変容していかないのがおかしいのだ。
そんなことを思うようになった。
自走を夢想
僕は自走する組織を夢想している。
性善説で通用する組織を作りたいと思っている。
もちろん一介のミドルマネージャーに過ぎない僕にできることなんてたかが知れている。
それでも、と僕は思う。
自分のチームくらいならそれができる、と。
罵倒。罵倒。罵倒。
官僚的な組織の中での振る舞いには軋轢が生じる。
新しいことは封殺され、反抗的だと罵られる。
言い分はよくわかる。
ただ、それで本当にいいのだろうか?
パラダイムシフトとそれに適応できない組織
僕は何も「お花畑的」な組織を目指している訳ではない。
ユートピアなんてものは存在するはずもない。
ただ、単純に成果を上げたいだけである。
しかしながら、現代において成果を上げる為には、トップダウン型の組織では限界がある。
組織が鈍行で走っている間に、社会は光速で空を飛んでいるからだ。
スピード感が大きく異なるからだ。
ラン(run)とリープ(leap)。
線形と非線形(指数関数)。
僕たちは空を見上げる。
そして地平にいる自分達が如何に小さいか、その中での走り(社内的な成果と呼ぶもの)が誤差の範囲内であるか、を鳥瞰的に思い知る。
でも、その感覚は上の世代には届かないのだ。
僕の違和感の正体は、パラダイムシフトが起きていることと、それに適応できない組織との乖離である。
そんなことをよく思う。
管理したくない管理者
それは組織の一員として働いている僕のフラストレーションの源泉となっている。
僕は「管理者」という立場でありながら、「管理したくない」と思っている。
「性悪説」ではなく「性善説」が適用できるチームを作りたいと思っている。
その度に組織が邪魔をする。
「お前のやり方は間違っている」と冷や水を浴びせてくる。
その度にこう思う。
「本当にそれでいいのだろうか?」と。
数字という鎧
僕は会社に入ってから、ずっと数字だけを追ってきた。
それは何も経済的成功や組織内上昇を希求していたからではない。
それしか身を守る術がなかったからだ。
数字を持っていない人間に、反抗は許されない。
自由は与えられない。
それが僕が成果というものに縛られている理由である。
それをチームに適用させるのが僕の現在の目標である。
「やらなければならない」から「やりたい」へ
以前にも書いたことであるが、僕はマネージャーでありながら、マネージャーが存在しないチームが最善であると思っている。
それぞれがそれぞれのプロジェクトに応じてリーダーシップを取り、前のめりになりながら仕事をしていくようなイメージを持っている。
「やらなければならない」から「やりたい」へ。
そういうパラダイムシフト。
家電量販店の(オタクっぽい)お兄さんが、話したくて話したくて早口になってしまうあのイメージ。
僕はそれをとても好ましいものだと思っている。
黙らせる為のエビデンスを
「セールス」ではなくて「伝えたい」という純粋な衝動。
「面白がって欲しい」「共感して欲しい」という無垢な欲望。
僕はそういう人達が集まるチームを作りたいと思っている。
それで圧倒的な成果を上げたいと思っている。
旧来型の組織に所属しながら、彼らを黙らせる為のエビデンスを手に、僕は少しずつ組織を変えていく。
そんなことを思っている。
どこかで同じように闘っている人がいたら、僕もここに同志として存在していることを表明して、今回は話を終えようと思う。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
左派でも右派でもない、ニッチな細い道。
そこに活路があると僕は思っています。
僕は成果至上主義者でありながら理想を追い求めています。
それは何か大義がある訳ではなくて、単純にその方が面白いと思っているからです。
つまらないことに自覚がありながらつまらないことをし続けるのは、たぶん病気です。
でも、僕たちは皆その集団的病に罹患しながら、気づかないフリを続けています。
それを大人の振る舞いだと思っています。
果たしてそうなのでしょうか?
僕は手の届く範囲で、小さな戦いを続けています。
ゲリラ戦を続ける同志たちよ。
共に頑張りましょう。