個性と標準化
マネジメント=標準化?
マネジメントには個性が必要である。
今日はそんな訳が分からない出だしから文章を始めてみる。
マネジメントに個性?
対照的な語感であるように聞こえるかもしれない。
でも、違うのである。
確かにマネジメントという言葉には標準化を求めるもの、画一的に管理する手法というような響きが込められているような気がする。
でも、それは旧時代の話だ。
新時代にはオーダーメイド感が求められる。
「なんのこっちゃ?」と思われるかもしれない。
では、話を始めていこう。
個人化
「パーソナライズド(personalized)」というのは、現代を読み解く上で欠かせないキーワードである。
パーソナライズドが分かりにくければ、「オーダーメイド(made to order)」と言い換えてもいいかもしれない。
要は、「その人に合ったもの」が重要なのである。
これに対し、標準化(standardization)という言葉がある。
オーダーメイドと対比で言うのであれば、既製服みたいなイメージだと捉えると分かり易いかもしれない。
要は、「最大公約数」的な考え方である。
出来合いのものに自分を合わせる
旧時代には、成功モデルや既製服みたいなものが前提としてあって、それに如何に「自分」を合わせるか、が重要であった。
そしてこの標準モデルに上手に適応できる人をエリートと呼んだ。
その適応度合いによって、優劣が決まった。
僕はそんなイメージを持っている。
現代のマネジメントには「個性化」が必要だ
これはマネジメントにおいても同様である。
「マネージャーとはかくあるべきだ」という固定概念がまず先にあって、それに合うように自分を調整していくことが重要である、という考え方が支配的であったように思う。
僕もその陥穽に嵌っていた。
大量のマネジメント本を読めば、攻略法を身に付ければ、素晴らしいマネージャーになれる、そう思い込んでいた。
もしかしたら、過去はそうだったのかもしれない。
でも、現代ではそれは通用しない。
もっと、それぞれのキャラクターに合ったマネジメントスタイルを模索すべきである。
それを今回は「個性化」と呼ぶことにする。
「個性を大事にしましょう」という言葉自体が標準化している証拠だ
個性化、と聞くと、何というか「理想論」であるとか「お花畑的な」ものが想起されてしまうかもしれない。
でも、僕が言いたいのは、もう少し現実的な話である。
「個性を大事にしましょう」みたいな教科書的な話ではなくて、「『個性を大事にしましょう』という標準的な話を鵜呑みにしないようにしましょう」、というのが「個性化」という意味である。
キツネにつままれたみたいな感じになっている方もいるかもしれないので、もう少し詳しく書いていく。
目標に向かうのではなく、勝手に駆動されてしまう
これは「ゴールイメージを無くす」ということに近いかもしれない。
「理想を追うことをやめる」という感じかもしれない。
要は既存の出来合いのモデルを捨ててしまうのである。
「個性を大事にする」という考え方が既に標準化された考えに近いものとなる。
だから、「個性を大事にしよう」と思うのではなく、自身のやりたいこと、体温がちょっと上がることに駆動された結果、個性というものになってしまった、みたいな感じが望ましいのである。
そういう意味では「こうなりたい」みたいなイメージ自体があまり好ましいものではないのかもしれない。
本能的とまでは言えなくても、「ちょっと面白そう」と思う自分の気持ちを蔑ろにしない、ということが大事なのだろうと思っている。
やりたいことを抑制する=大人?
これは社会的規範とは対極にある概念かもしれない。
特に日本社会には同調圧力があるし、みんな同じでなければならない、という雰囲気が暗黙の了解となっている。
そこから外れたものは文字通り「村八分」になる。
僕たちは子供時代から、「やりたいこと」を抑制することが大人の態度である、ということを無意識に刷り込まれ続けてきている。
結果、何がやりたいのか、がわからなくなってしまっている。
皆さんは満足していますか?
でも、世の中は変わっていて、かつての「成功モデル」は通用しなくなってきているのだ。
いい学校に入って、いい会社に就職して、いい役職に就いて、いい給料を貰う。
ここまではマネージャーになった皆さんならある程度既に達成していると思う。
でも、それは望ましいことなのだろうか?
楽しく仕事ができているだろうか?
というのが、今回の僕の話、問題提起である。
多様性とは?
多様性、という手垢に塗れた言葉を出すまでもなく、チームには様々な社員がいる。
その人達、特に若い人達に対して、旧時代の標準化された手法はもう通用しない。
そして、そういう人達を相手にするマネージャー自身(例えば僕)も旧時代の標準化されたマネジメント手法に疑問を抱き始めている。
それが今という時代である。
体温を上げてくれる言葉を
そこで求められるのは、ありきたりの、どこかで聞いたような綺麗な言葉ではなく、もっと体重が乗った、その人の人間性が加味された言葉である。
同じ言葉であっても、それは違うように響く。
それがチームの体温を上げ、チームを駆動させる。
その為には、マネジメントにも「個性化」が必要である。
マネージャーが百人いれば、百通りのマネジメントスタイルがある。
それでいいのだと僕は思っている。
正解を求めたくなるけれど、正解なんてないのだ。
そのバラつき具合い、生物的多様性みたいなものが、チームを強くするのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
ゴールから逆算して最短距離を駆け抜ける。
その駆け抜け方が上手な人をエリートと呼ぶ。
これが標準化時代の成功の方程式です。
僕は最近その考え方に疑問を持っています。
ジョブズの有名なスピーチ(connecting the dots)ではないですが、自分でもよくわからないものに駆動される、それが後から振り返ると線に見える、その辿った線のことを個性と呼ぶ、みたいなことを考えています。
個性を「持とう」というのではなくて、「持ってしまった」というようなイメージ。
それはきっと現代のマネジメントにも求められるものです。
僕たちは製品ではありません。
人間を扱って(向き合って)いきましょう。