批判だけでは何も変わらないぜ?(共犯者的思考論)
自分も悪事の片棒を担いでいるかもしれないと考えること
今日はマインドの話をする。
自己成長や部下育成、組織変革など、ビジネスを行う際に必要な心構えとして、僕は「共犯者的思考」が大事だと考えている。
共犯者的思考というのは、「自分もその悪に(既に)含まれていて、その片棒を担いでいる(かもしれない)」という考えることである。
世の中にはたくさんの課題がある。
それに対して批判的な考えを持つことは、生きているとよく起こる事象であると思う。
大体の人達は、それを「自分とは別の何か」というように分けて考えてしまうようだけれど(もちろん僕だってそうだ)、それでは何も変えることができないのである。
というのは、口を開けて待っている雛鳥と何も変わらないからである。
自分もその悪事の片棒を担いでいるかもしれない、というところから議論を始めなければ何も生まれない。
今日はそんな話をしていく。
世界は今日も望み通りの姿で、そこに僕も含まれている
世界は望み通りの形を保っている。
皆が望んだ結果が現状の世界である。
僕はこんな風な世界観を持っている。
もちろんこれはスタティック(静的)な話ではなくて、動的に変わっていくものではある。
ただ、ある一点を切り取った際、時間を止めて写真を撮った時、そこに映るのは僕たちが望んだことが実現した結果出来ている社会である、と僕は思っている。
その世界には当然ながら僕が含まれている。
僕は傍観者としていられるわけではない。
宇宙から見下ろしている宇宙人のように、完全な他者として存在することはあり得ない。
もう一度言う。
僕はそこに含まれているのだ。
批判の対象であるその組織に、あなたも含まれている
これは組織内においても同様である。
僕たちは何かにつけて組織の問題点を批判する。
「あれがなっていない」「この制度が良くない」「あの上司がいけ好かない」
本当に様々なことが言われる。
もちろん、きっとそれは事実であって、それらを変えなければならないということも妥当な話なのだろう。
でも、その組織には「あなたも」含まれているのだ。
そしてあなたが望む変革は、「誰か」がやってくれるわけではないのだ。
それを心に留めておいた方が良いと思う。
では、誰がやるのか?
僕は現場のマネージャーとして、部下や同僚から様々な相談を受ける。
その相談は、組織を良くしたいという真摯な情熱から生まれていると思うし、それはとても素晴らしいことだと思う。
内容の大半について、僕は賛成である。
でも、「それを誰が実行するのか?」について、彼ら(彼女ら)がコミットすることは殆どない。
ここに僕はいつも疑問を感じる。
無力感はわかるけど…
もちろん、大きな組織において、一個人ができることなどたかが知れている。
選挙の投票率の低さみたいに、自分の意見が何になろうか、という気持ち(無力感)も僕には痛いほどわかる。
でもさ、と僕は思うのである。
「では、あなたは具体的にそれに対して何をするのですか?」と。
僕もそれに加担している
ここには自分自身に対する戒めも含まれている。
僕だって、簡単に他者を批判してしまう。
安全地帯から、自分には関係ないこととして、安易に物事を語ってしまったりする。
でも、きっとそれではダメなのだと思う。
僕もそれに加担しているのだから。
僕たちは(きっと)(手の届く範囲で)組織を変えることができる(はずだ)
典型的な日本型組織であるわが社では、「誰かが何かをしてくれる」と思っている人が多すぎるように感じている。
そしてその現状を嘆くことはしていても、そこに対する共犯者意識を持っている人は殆どいない。
ましてや、それを変える為に何事かをしている人は皆無に等しい。
上記したように、僕もそれに含まれているので、あまり偉そうなことは言えない。
それでも、彼ら(彼女ら)とは違うのだ、という変な自尊心みたいなものがあるから、今回はこんな話を書いているのである。
僕たちは僕たちの手の届く範囲で組織を変えることができる。
僕はそう信じている。
無敵状態の議論が自分達の首を絞めている
それは祈り(信仰)に近いものかもしれない。
もちろん、僕だって、心から信じ切っているかと問われれば、若干の怪しさは残る。
でも、たぶんそこから話を始めなければならないのだと思っている。
改革の旗印を掲げて、勇ましく先導することはできない。
マーティ・ルーサー・キングみたいに素晴らしい演説も不可能だ。
でももしかしたらローザ・パークスのような行動は取れるかもしれない。
僕たちはこの世界が間違っていると思っていて、でもそれに加担しているのも事実であって、だからと言って何もしなければその現状を肯定していることと同義であって、でもそこに異議を唱えるのは怖くて、というグルグルと回る状態に囚われ続けている。
いや、そんな意識すらない人ばかりである。
安全地帯から無敵状態で他者を攻撃する論考が世の中には溢れている。
その充満する大気で僕たちはどんどん息苦しくなっている。
気持ちはわかる。
僕だってそうだから。
機嫌よく働く為に
でもさ、というのが今日の話である。
そんな状態でもできることはあるのではないか?
僕はそんな風に考えている。
革命や変革みたいな勇壮な言葉は重すぎる。
でも、僕たちが身の回りにいる人達と、もう少し機嫌よく働く為にできることはあるはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
今回は僕の価値観みたいなものが前面に出た話だったので、多くの方に共感頂けるものではないかもしれません(いつもそうか…)。
でも、僕はこんな風に考えながら仕事をしています。
日々できないことへの苛立ちと無力感を覚えながら、でもそれだって僕も加担した結果なんだよなという諦念を抱えながら、僕は今日もグルグルと思考の渦の中を漂っています。
でももしかしたら世の中にはそんな風に考えている人がいて、その人達がそれぞれの持ち場で意識を変えることができたなら、僕たちのいるこの世界はもう少し面白いものになるかもしれない、という寝ぼけたことを考えて、今回は文章にしてみました。
呆れずにこれからもお付き合い頂けたら幸いです。