営業スタイルから理想的なマネジメントスタイルを考察してみる
(当たり前だが)人によって営業スタイルは異なる
自分のキャラクターによって効果的なマネジメントスタイルは異なる。
これは営業をやっている時から考えていることで、借り物のスタイルはハマらないのだ。
もう少し具体的に説明しよう。
僕は自分が担当者の時から、後輩に「どうやったらもっと販売できるようになりますかね?」という相談を幾度も受けてきた。
最初の頃は自分なりの過去の成功した手法を話していたのだけれど、それが上手くいく後輩とそうでない後輩がいた。
どちらかというと、そうでない後輩の方が多かった。
「きっとやり方が悪いのだ」と思ったので、そのうまくいかない後輩に付いていって、実際の営業現場に立ち会わせてもらった。
「確かにこれではハマらない…」とその度に僕は思った。
その違いは何か?
様々なパーツを自分仕様に組み上げることでスタイルが確立する
もちろん「営業」には基本的に必要な要素がある。
これだけは外してはいけないというパーツがある。
たとえば、時間を守る、とか、期日を守る、とか、早めに回答する、とか、第一印象が大事だ、とか、たくさんある。
そして、最低限そういうことをクリアした上で、「数字が上がる人」と「数字が上がらない人」がいる。
その違いは「自分に合ったやり方をわかっているかどうか」だと思っている。
(もちろん、その上のスーパーな領域ではセンスが絶望的に必要になるのだが、ここではもう少し手前の話をする)
基本的な要素の上に、応用的な要素を組み上げる。
応用的なパーツもそれだけを取ると、何の変哲もないものだ。
それは単なるパーツに過ぎない。
でも、その組み合わせ方次第で、違う色を帯びる。
相乗効果を発揮する。
根が明るい人にはそのやり方に合った営業手法があって、論理的な人にはそのやり方に合ったもの、感覚的な人にはそのやり方に合ったものがある。
そして言葉のクセとか、所作とか、育ってきた環境とか、色々な要素によってそれが効力を発揮するかが分かれる。
そして、どれが自分に合ったパーツなのか、ということは自分で実際に使ってみるしかわからない。
もちろん「合いそう」というのはあるけれど、ある程度試行錯誤と失敗を重ねないとこれは体得できない、僕はそう考えている。
「借り物」のスタイルは長続きしない
もちろん数字を上げるだけであれば、ある種の型を身に付ければそれは難しくないと思う。
でも僕が言いたいのは、そのお仕着せのものでは「継続できない」のだ。
自分もむず痒いし、だんだんと嫌になってくる(実際に僕もそうだった)。
だから、自分のキャラクターに合っていて、無理がなくて、それでお客さんにも喜ばれるスタイルを身に付けることが大事なのだ。
一度これができるようになると、営業の仕事はぐっと楽になる。
もちろん大変なことは変わらないのだけれど、自分の中での納得性が大きく変わる。
それは心をすり減らすこの仕事ではすごく大切なことだ。
マネジメントスタイルは個別具体的なものだ
同じようにマネージャーも自分に合ったスタイルを身に付けるべきだと思う。
それは個別的で具体的で再現不可能なものだ。
僕のやり方は僕のものだ。
もちろんその部分部分はそれぞれマネすることができる。
でもなぜそれをしているか、という全体像を理解せずに借用しても、出来上がったものは奇妙なものにしかならない。
僕は色んなことをここに書きつけているけれど、取捨選択は非常に大切だ。
どれが自分に合っているか、たくさん試着してみることが大切だ。
そして「なぜそれを着ているのか」ということを考えることが重要だ。
あらゆる手法はキャラクターによりプラスにもマイナスにもなる
以前にも書いたように、僕はマネージャー本に書いてある有用だとされる手法をことごとく試してきた。
そして自分に合うものと合わないものを選んで、今のスタイルとなった。
もちろん最良ではないだろう。
でも、今のところ僕にはこれが合っているのだ。
時々鏡の前になって、もっとカッコいい自分であったら良かったのに、そういう服が似合えば良かったのに、と思うけれど、仕方がない。
僕はこの僕でしかないのだ。
部下を褒めることは良いことだ。
部分だけ見れば反論の余地はない。
でもキャラクターに合っていないとそれは効果的ではない。
というか、褒め方によっては逆効果になったりもする。
モチベートする手法だって千差万別だ。
慣れないことをすると欺瞞が生じる。
部下はそれを確実に嗅ぎ分ける。
メッキは剥がれる。確実に。
これは「マネージャーは素のままでいい」ということではない。
当然ながら人間性を高めるべく、日々の努力と精進は欠かせない。
でもその日々の努力と精進が自分に合っていないのであれば、全く意味がない。
不格好で不器用で不細工な自分で勝負するしかない
スーパーなマネージャーになりたいと今でも思っている。
諦めた訳ではないけれど、何というか、この身の丈に合ったやり方をするしかないのだ、と最近の僕はやや冷笑的に考えている。
身の程を知れ、ということなのかもしれない。
それもよくわかる。
理想の姿とは程遠いけれど、5年間の悪戦苦闘期間を経た僕は、今までもよりもマネジメント業務が楽しくなった。
無理やり楽しみを見つけているだけだ、ということもわかっているけれど、駆け出しの営業担当者時代を振り返って、「結局はキャラだよな」と僕はまた思っている。
君の性格や年齢や雰囲気や髪形や所作やその他諸々の違いによって効果的なマネジメントのやり方は違うと思う。
だからこそ世の中にはこれだけのマネージャー本が溢れていて、僕みたいな悩んでいる人がそれを買うわけだ。
でも「結局普遍的なマネジメント手法なんてないんだよ」って言ったら誰も買わないから、そこには「真理」があるように書いているだけなのだ。
たぶん「その人」には「そのやり方」がハマっただけなのだろう。
残念ながら僕にはそれはハマらなかった。
ただそれだけの話だ。
なので、自分がどういうキャラクターなのか、部下からどう思われているのか、ということはマネジメントを円滑に進める為には非常に重要な要素だ。
媚びるとかそういうことではなくて、その他者像と自己像の折衷案を、妥協点を、折り合いを付けられる場所を探すのが結構大事なのだ、と僕は考えている。
それは見栄とかプライドとかを取り払った先にあるものだ。
欠点とか恥とかそういうものを含んだものだ。
悲しいけれど、その総体としての不完全なものが君なのだ。
まずはそれを受容しよう。
そしてそれに悲観せずに、かといって投げやりになるわけでもなく、客観的に自分を分析しよう。
その中で、心地よいものを選んで組み合わせてみよう。
どうやっても不格好な自画像が完成する。
でもそれでいい。
というか、それで勝負するしかない。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
編集後記
この5年間マネージャーの「正解」をずっと探してきました。
セオリーというか基礎みたいなものはあると思うのですが、「こっちに進めば万事OK」みたいな道はないことを、だいぶ遠回りしてようやく気付きました。
成功者たちの話は読み物としてはとても興味深く面白いものですが、その背後にはたくさんの失敗者たちの屍が横たわっているわけで、その光の面だけを取り入れても上手くいかないものです。
とりあえず道を歩きながら、そこに転がっている有り合わせの材料を組み合わせて、何とかやっていくしかない、というのが最近の僕の結論です。
それが心地よいものでなければ長続きしませんし、仕事もつまらなくなってしまいます。
自分に合ったスタイルは体当たりしながら身に付けるしかありません。 僕の無様な姿が一つでも参考になれば幸いです。