結局は人間性

なぜこんなどうしようもない人間がマネージャーなのか

以前、「キャラクターに合ったマネージャー像」ということを書いたけれど、今回はそれを一歩進めようと思う。

今日のテーマは「結局は人間性」だ。

「日頃の行い」と言い換えてもいいかもしれない。

マネージャーになって強く思うのが、「自分は人としてどうしようもない」ということだ。

些細なことでイライラするし、それを口に出してしまうし、感情に左右されてしまうし、論理も一貫していないし、とにかく未熟なところばかりだ。

そしてそれを自覚するたびにどんどんと嫌になってくる。自信もなくなってくる。

大した経験も実績もないし、「指導する」ほどの才能の持ち合わせもない。

偉そうなことを言う割に実態に即していない。

発言した瞬間に、第三者の自分が「何を偉そうに」とツッコミを入れてくる。

それを日々痛感する。

たぶんもっと僕がきちんとした人間であれば、マネジメント業はもっと円滑に進むのだろう。

部下からも上司からも信頼されて、素晴らしいパフォーマンスで邁進することができるのだろう。

いつもそう思う。

「なぜ僕がマネージャーなのか?」と。

それは今も続いている。

そんな自分でもマネージャーを続けられている奇跡

こんな偉そうなことを綴っているけれど、僕は今でも色んなことに迷っている。

手応えがあったと思ったことも、実はそうじゃなかったとか、違っていた、ということもザラにある。

3歩進んで4歩下がる、そんな感じだ。

というか、そんな僕でも何とかマネージャー業を続けられていますよ、とどこかで僕と同じように悩んでいる人を励ますためにこれを始めたのだ。

もちろん、自分でもノウハウというか経験を言語化することで、棚卸しをすることで、今後の仕事に繋げていきたいという想いもあるのだけれど、それよりは後輩へアドバイスしたいという要素の方が大きい。

アドバイスというとおこがましいので、失敗談の披露に近いかもしれない。

そんな風に考えながら、今日のテーマに戻る。

マネージャーの人間性がチームを形作る

テクニカル的なものはマネジメント業にはもちろん必要だ。

でも5年経って思うのは、それらはあくまでも「小手先」のものであって、本当に重要な事柄には、生身でぶつかるしかない、ということだ。

その時に持ち合わせている生来の自分の力量で事に当たるしかないのだ。

裏を返せば、そこさえしっかりしていれば、何とかなるということだ。

失敗も、作戦のミスも、失言も緩和される。

部下から根幹の部分での信頼を得られていれば、無理も利く。土壇場でも力が出てくる。

人間性が試される場面は日々何度も訪れる。

判断する度毎にそこにはマネージャーの人間性が付帯していく

その総体が君のチームの判断の指針となる。

発言内容が同じであっても、ある人であればすっと浸透するし、他の人では反発を招く。

別にマネジメントでなくともそうだけれど、結局はそういうことなのだと思う。

身の丈に合ったマネジメントをするしかないという残酷な現実

普段からきちんと仕事をしているマネージャーに「きちんと仕事をしろよ」と言われても何とも思わないけれど、そうでないマネージャーに言われたら「お前がな」と思う。

これは当然のことだ。

毎日聖人君子でいるのは不可能だし、全能の神のように素晴らしい決断も未来予測もできない。

自分の不完全さが嫌でも目に付く。

かといって、「いや人間性なんて生来のものなのだから、今更どうあがいたって変わりようがないし、仕方ないじゃないか」と開き直っているわけではない。

その等身大の自分を受け入れて、その身の丈に合ったマネジメントをするしかない、ということを言いたいだけだ。

もちろん日々成長したいと努力することは重要だ。

でも人間性がみるみる良くなるなんてことは起こらないので、日々自分のどうしようもなさに苛まれることになる。

そういったうじうじした悩みみたいなものを抱えて、今でも僕は仕事をしている。

そしてそういう卑小な自分を慰める為に、「そのままで勝負するしかない」というような弱者の戦略を説いているだけなのかもしれない、とも思う。

結局同じところに戻ってくるだけだ。

どうにもならない現実を受け止めて

5年の経験とは何だったのか。

色んなテクニックは身に付いたけれど、根本は何も変わっていない。

そしてその変わらない自分でマネジメントの力量や成果は決まってしまう、ということに気付いてしまった。

僕は自分のマネージャーとしての能力もわかったし、その限界もわかった。

「大体このくらい」ということがわかった。

それは人間としての器がその程度だからだ。

別に悲観している訳でも達観している訳でもなく、自然にそれを受け入れられるようになってきた。

そんなある種の開き直りを経た僕ですら、慕ってくれる部下もいる。

不思議だし、ありがたいことだ。

それに何とか応えたいと思う。

それが僕の現在位置だ。

残酷な結論だし、今マネジメント業務が上手くいっていない人には死刑宣告に近いものかもしれないけれど、最近はそんなことを考えている。

もちろんこれは極論なので、その表現の仕方とか、伝え方とか、日々のマネジメントを効果的にやる方法はたくさんあるのだけれど、これ以上素晴らしいマネージャーになるためには、僕にはそこが絶対的に不足していることが実感としてわかる。

ある種何とかなるし、ある種どうにもならない。

そう言ったらうまく伝わるだろうか。

だからこそやりがいもあるし、残酷さもある。

そう言ったらうまく伝わるだろうか。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


編集後記

「組織はリーダーの器以上にならない」という言葉があります。

マネージャーになる前は上司達を見て、「確かにそうだよな」とある種嘲笑・傍観していたのですが、いざ自分がその立場となるとその現実の厳しさを痛感させられます。

本文のトーンはいささか暗めですが、別に絶望している訳ではありません。

そういった厳しい現実はあるけれど、この有り合わせの自分で、少しでもいい仕事ができるように日々努力するしかないよな、というのが現在の心境です。

乾いた諦めというか、ポジティブな達観というか、そんな感じです。

限られた手持ちの札で、できるだけ良い手を出す。

そんなことを最近は考えています。