ポジションとタスク(とジョブ型雇用)

ゲームプランによって担う役割が変わる

現代サッカーの進歩の変遷を考えると、マネジメントに通じるところがたくさんあるなあ、と思う。

その中でも、ポジションという概念がなくなりつつあること、代わりにタスクという概念に移り変わりつつあること、がマネジメントにも役に立つ考え方であるように感じている。

サッカーにおいて、ポジションというものは絶対的なものであった。

ポジション名を挙げれば、そこにいる選手がどこを主戦場とし、何を期待されているのか、がわかったものである。

また、そのポジションにいる人達というのは皆似たような特徴を持っていた。

だが、現代サッカーは違う。

ポジションがなくなり、タスクがその位置を占めた。

同じような位置取りをしていても、チームによって、ゲームプランによって、担う役割(タスク)がそれぞれ異なる。

今日はそんな話をしていく。

過渡期の言葉

ちょっと前までのサッカーでは、背番号10はトップ下、背番号9はCF、みたいな考え方があって、それぞれの背番号に求められる資質のようなものがあった。

例えば、10番であればフィニッシュの局面を作るようなラストパスができるスキルを、9番はそれをフィニッシュできるようなフィジカルの強さを、兼ね備えていることが前提としてあったと思う。

そして背番号毎に配置されるポジションも大体は決まっていた。

でも、時代は変わり、偽9番や偽SBという概念が生まれてきた。

これらの用語も、タスクが変わってきたことを何とかポジションの概念に当てはめて説明しようとする為のものである。

偽9番は以前の9番のように、ゴール前に陣取ってフィニッシュするだけの役回りではなく、前線から下がってきてスペースを供給し、チャンスメイクする役割を、偽SBはタッチライン際を上下動するだけでなく、時にCMF的な位置取りを行うことによってゲームメイクも行う(守備時にはセンター線を塞ぐ)役割を意味する。

これが「過渡期の言葉」である。

そこで行っているタスクは、従来のポジションで行っていたものとは明らかに異なるのに、従来の言葉を用いて説明しようとしているからである。

現代サッカーはそれすらも変わってきている。

ポジションというものでは説明がつかなくなってきているのである。

ポジション通りに動く人=有能?

これはマネジメントにおいても同様であると思う。

工業化時代においては、求められる仕事に上手に適合する人材を有能と呼んだ。

逆に言えば、そこに嵌らない人は悪い評価を付けられることとなったわけである。

だが、本当にそうなのだろうか?

ポジションをポジション通りにこなす人は確かにチームには必要である。

ただ、ビジネスには流れがあって、状況の変化も生じる訳で、その際にポジション通りに動く人ばかりであれば、組織は硬直していってしまう(集団化すればそれはセクショナリズムとなる)。

そこでポジションから離れて動く人材が求められるようになる。

部署横断的な、グレー領域をカバーするような人材が重宝されるようになる。

かくして仕事の領域が拡がっていき、従来のポジションという概念では説明がつかないような動きをする人達が出てくる。

仕事の範囲を予め規定することは良いことなのだろうか?

ただ、現状においては、そのような人達が評価されることは少ない

あくまでも、従来の仕事の延長線上として、ある種の善意、ボランティアワークとして捉えられてしまう。

型に嵌った人達というのは、御しやすいのでマネージャーとしてはありがたい反面、アウトプットも想定の範囲に収まることが殆どなので、現状のようなアイディアやアートの時代にはなかなか成果が出しづらくなってくる。

マネージャー側も、仕事の範囲を先に規定してしまうことで、「それは私の仕事ではない」と言える権利を与えてしまっているような気もする。

そういう意味では、ジョブ型雇用というものが昨今もてはやされているけれど、本当にいいのだろうかという疑問が湧いてくる。

スペシャリストはいなくなった

ジョブ型雇用というのはジョブが先にあって、そこに適合する人材を引っ張ってくる、という思想に基づいている。

ジョブと人が1対1で適合している。

それはスペシャリスト的な考え方であると言える。

ただ、サッカーの文脈に置き換えて考えると、それは現代の流れとは逆行しているような気がするのだ。

サッカーにおいて、スペシャリスト(例えばファンタジスタと呼ばれるような人達)たちはその使命を終えた。

1芸に秀でている選手は、現代サッカーにおいては使いづらくなってしまった。

それよりもオールラウンダー(もちろん全ての水準が高いレベルが必要ではあるが)が求められるようになってきている。

ということを考えると、ゼネラリスト的な考え方というのは必ずしも悪くはないのではないか、というのが今回の話の締めとなる。

ゼネラリストが実は最先端なのでは?

リベラルアーツ的な素養を身に付け、多方面において活躍できるような汎用性の高いビジネスパーソンが現代には求められているのではないか?

ビジネスの文脈が変化していく中で、ゲームプランに合わせて役割を変化できるような人物。

現在ボロクソに言われているゼネラリストたち。

そういう人達が実は求められているのでは?

そんな時代逆行的なことを書いて今回は話を終えたいと思う。

纏まりのない話になってしまった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

今日の話は「ジョブ型雇用ってもてはやされているけれど、それってセクショナリズム(もしくは官僚型仕事)助長することになりかねないのでは?」という考えから生まれたものです。

少なくとも現代サッカーの世界では、ジョブ(ポジション)に選手を当てはめるようなことは行われていません。

むしろ試合毎に様々に変わるタスクに対応できる選手が求められています。

僕はビジネスというのは野球よりもサッカーに似ていると考えていて、流動的に局面が変わっていくことに対応しやすいのは、実はゼネラリストなのではないか、ということを最近は考えています。

時代と逆行するような話ではありますが、何かを考える一助になれば幸いです。