テキトーが適当
我々は単純労働者なのか?
テイラー主義にうんざりしている。
テイラー主義というのは、科学的管理法を是とする考え方で、作業というのは標準化でき、各要素を分解した動作を短時間化することによって生産性は向上させることができる、という考え方である。
要は、単純労働者のように従業員を扱う、ということである。
我々のアウトプットは工業製品のように均一であり(均一であるべきで)、そのアウトプットを生じさせる動作というのは標準化が可能であり、マネージャーはそのような管理をすべきである、という思想。
旧時代ではきっと汎用性があったのだろう。
でも令和には通用しない。
今日はそんなことを書いていく。
人間という概念の欠如
僕はマイクロマネジメントが嫌いである。
でも、時代はマイクロマネジメント方向に動いている。
そんなことを感じることがある。
前回の「数値化の罠」にも書いたことであるが、メンバーの動きを数値化(可視化)して、効率化を図り、生産性を上げたい、その気持ちはよくわかる。
でも、残念ながら、そこには「人間」という概念が欠如している。
働いている人達は感情を持った人間であり、アウトプットを受け取る顧客もまた人間である。
均一な工業製品を作る、その中でも、例えば単純作業であれば、テイラー主義は役に立つだろう(というか、元々はそういう考え方なのだ)。
でも、それを他の仕事にまで当てはめようとするのは、やや行き過ぎではないだろうか?
サイエンスとアートとエモーション
これはサイエンスとアートのバランスが崩れているとも言える。
日本においては、そもそもサイエンスでもアートでもなく、エモーション(ガッツ?)が優位であったので、それに比べれば、テイラー主義はまだマシであると言える。
非構造化データを構造化したい、その気持ちはよくわかる。
でも、それが金科玉条みたいになってしまうのは違うと思うのだ。
営業は数値化しやすいが…
僕は営業マネージャーをやっている。
確かに営業という仕事は数値化がしやすい職種である。
商談数やアプローチ数などを数値化して、営業成績と照らし合わせる。
全てを可視化する。
そうやって生産性を上げようとする。
方向性は間違っていない。
でも、やり過ぎは厳禁である。
「マイクロマネジメントこそがマネジメントである」 本当に?
マイクロマネジメント型マネージャーが持て囃されるようになってから結構な時間が経つ。
部下の行動を全て管理しないと気が済まないこの種の人達は、数値化も大好きである。
事前の行動管理から、事後の数値化まで、彼ら(彼女ら)はメンバーを単純労働者のように扱う。
それこそがマネジメントである、と彼ら(彼女ら)は言う。
会社もそれを称賛する。
でも、果たして、本当にそうなのだろうか?
僕はそうは思わない。
というか、もう、時代は変わっているのだ。
昭和の成功体験から抜け切れないだけでは?
工業製品のようなモノを尊ぶ時代は終わった。
金太郎飴みたいなアウトプットを出す人間はAIに淘汰される。
僕にとってはこれらは当たり前の話で、それに抗うべくアート的要素が必要になると考えているのだけれど、どうやらそっちの方向には進んでいないようである。
自らをマシン化することで、社会を工場化し、生産性を上げようとする思想。
きっと僕たちはそうやって昭和の時代に成功してきたのだ。
でも、そろそろそれを終わりにしないか?
データに意味を持たせるのがマネジメント
データサイエンスみたいなものが一般化しつつある現代において、あらゆる行動をデータ化したい、それによって合理的かつ論理的に事態を把握し、打開策を練りたい、その気持ちはよくわかる。
今までの時代にあまりにもそのような考え方を適用してこなかった分、その反動によって、それらを求めたい気持ちには僕も大きく共感する。
でも、(何度も言うようであるが)数値は数値でしかないのである。
データはあくまでもデータなのだ。
そこに意味を帯びさせるのは僕たち人間である。
そしてそのバランス感をきちんと保つのがマネジメントという仕事なのだ。
線形でないものを生むために
僕はテキトーだとよく言われる。
でも、それが現代においては適当なのだと僕は思っている。
仕事と遊びのバランスを保つこと、あまりにも生真面目になり過ぎないこと、数値という妖怪に囚われないこと、それが現代には必要なのである。
アウトプットは線形ではない。
そして線形ではないものを生むためには、ある種の跳躍が必要なのだ。
全てが「想定内」であって欲しい
昨日の次に今日があって、今日の次に明日がある、そのような単線的な未来像を描くことで、生活設計は安定化する。
僕たちはできるだけ不慮の事態を避けようとする脳の仕組みが備わっている。
全てが既知であって欲しい。
キャリアプランも人生設計もすべてがオーガナイズされている。
それは仕事においても同様であって欲しい。
気持ちはよくわかる。
でもそれでは現代では戦えないのだ。
緊張と緩和
グーグルの20%ルールなんてものを持ち出すまでもなく、創発性を生むためには脳の別の部位を使う必要がある。
緊張と緩和が必要である。
そのバランス感がとても大事なのだ。
テキトー過ぎても、適当過ぎてもいけない。
高いテンションを保ちつつ、弛緩させる時間も持たせる。
その絶妙な感覚こそがアウトプットを最大化するのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
多様化の時代だと言われているはずなのに、原理主義者が増えていると感じる場面が多くなってきました。
自分のやり方が最善であり、それ以外の手法は認められない人達。
そして排撃しようとする人達。
僕はそれにうんざりしています。
いつも言うことですが、大事なのは成果です。
カッコいい言葉も、大上段に構えた美辞麗句も、成果が伴わなければ何の価値もありません。
成果で勝負しましょう。