無駄無駄無駄無駄無駄ァーっ!
昭和の残骸
無駄なものが多い。
組織の中で働いていると、「そりゃ生産性なんて上がらないよな」と思うことばかりである。
コロナウイルスがもたらした混乱によって、社会の仕組みが変わるのかなという予感が一瞬あったけれど、落ち着いてきた昨今では、また元通りというような雰囲気である。
とにかく無駄なことばかりやっているような気がする。
こうやって昭和を抱えたまま、僕たちは(更に)沈んでいくのだろうか?
今日はそんなことを書いていく。
リアルかリモートか、それが問題だ?
リモート会議ではコミュニケーションが取れない(取りづらい)。
それは一理あると思う。
でも、リアル(対面)会議でコミュニケーションが取れているか(取れていたか)というとそれもまた疑問である。
これは開催方式の問題(リアルかリモートか)ということではなくて、会議体そのものに問題があると僕は思っているのだけれど、どうやら多くの人達はこの2項対立で物事を考えているようである。
「リアルとリモートなら、リアルが良いよね」というように。
リモート会議に集まって参加するという不思議な光景
コロナウイルスがやや沈静化して、人が集まることに対する警戒感が以前よりは薄れてきた。
その結果出現したのが、「リモート会議に集まって参加する」という何とも珍妙な事態である。
これはきっと当社だけの光景だと思うのだけれど(そう信じたい)、チームの全員が会議室に集まって、みんなでリモートの画面を見る、という不思議な光景が最近では増えてきているのである。
「それぞれのデスクで、イヤホン繋いで、各々参加すれば良くない?」と僕は思う。
「その為のリモートツールじゃない?」と。
リアル会議の復活
僕の感覚がおかしいのかと思って、若手社員にその旨を尋ねると、「そうですよね」という声が返ってくる。「ずっと、そう思っていました」と。
ただ、当社の場合、トップがそれが望ましいと考えていると、おかしいと思っていても誰も言い出せず、結果是正されない、という状況に陥ってしまうのだ。
リモート会議にみんなで参加することでコミュニケーションが良化する?
僕にはそうは思えない。
トップもきっとそう思ったのだろう。
「じゃあリアル会議だ!」ということで、対面での会議が復活することになった。
無駄な時間と無駄な言葉
これは各支社全員が一堂に会することで、コミュニケーションが良化、成果が向上する、ということらしい。
確かに、全く無駄であるとは言い切れない。
そういう側面もあるだろう。
ただ、当然ながら負の側面もある。
回数が多ければ、移動時間も含めた無駄がかなり増加してしまうのだ。
そして人数が多い会議というのは、「何も決まらない会議」になりがちである。
それぞれのスピーカーがそれぞれの主張をただがなり立てるだけ。
言いっ放しの言葉が空中に舞うだけ。
無為な時間が流れ、疲労だけが募る。
「でもコミュニケーションが向上しているはずだ!」
そうだろうか?
僕にはそうは思えない。
素晴らしき日本社会
この種の無駄は、何も会議に限ったことではない。
日々の業務の中で、「何でこんなことやっているのだろう?」というようなものはたくさんある。
画面上で完結するようなシステムが導入されても、わざわざプリントアウトして、上司に見せたり、ハンコを貰う為だけに出社したり、自分が仕事をしていることをアピールする為だけの書類が氾濫したり、もうしっちゃかめっちゃかである。
でも、みな「そういうルールだから」と言って、その業務を続けている。
素晴らしき日本社会。
素晴らしき昭和。
慣れろ? 正気ですか?
ITだDXだということが当社でも叫ばれている。
でも、僕が考えるDXと、会社が行っているDXにはだいぶ差がある。
彼ら(彼女ら)は得意げに、「当社もDX化した。これで生産性は向上する!」ということをのたまう。
「どの辺がDXなの?」と僕は思う。
それはただのIT化である。
それも日常業務を画面上で展開できるように無理やり詰め込んだシロモノに過ぎない。
明らかにユーザーフレンドリーではないし、インターフェースも良くない。
なので、改善を求め、提言を行う。
彼ら(彼女ら)の返答はこうだ。
「慣れろ!」と。
「正気か?」と僕は思う。
それを顧客にも言うのだろうか?
ガラパゴス・ガラパゴス
UXの思想が全くなく、「折角作ったんだから、使えよ!」「良いもんだろ!」という押し付けのIT化。
操作方法を調べる為の、分厚い紙の説明書。
その度に感じるストレス。
そういったものがない状態、通常業務が効率化される状態、のことをDXと呼ぶのではないだろうか?
外部脳化は夢のまた夢
僕のイメージでは、サブシステム、外部脳、パーソナルアシスタントみたいなものを装着することがDXだと思うのだけれど、どうやらそんなことは夢物語であるようである。
無駄だと思っている業務、手作業でやっている業務、を如何にして効率化するか。
効率化しようと意識せずとも、先回りしてバックグラウンドで処理しているような状態。
その結果もたらされた情報を基に決断を行う。
それはそんなに難しいことなのだろうか?
僕にはよくわからない。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
会社における仕事の殆どはやらなくてもいいのでは?
ふとそんなことを思う時があります。
そしてそれを実現する為にDXがあるのでは?
人口減少が続いていく日本社会において、必要なのはDXです。
無駄を無駄と諦めず、排除していきましょう。