ルールと矜持

ルールでしか価値判断ができない人達

ルール警察に取り囲まれてうんざりしている。

何かにつけてルールを参照し、「そこに書いているからこうだ」であるとか、「書いていないからこうじゃない」とか、価値判断基準をルールに置くことしかできない人達が増えている(激増している?)ように感じている。

「AIか?」と僕は思う。

彼ら(彼女ら)は、条文にないこと、プログラミングされていないことに対しては思考停止(フリーズ)してしまう。

この種の人は、メンバーならまだしも、マネージャークラスにもたくさんいる(むしろ多い?)から、何だか本当に嫌になってしまうのである。

リスクフリーでリターンだけを享受しようとする人にあなたもなっていないだろうか?

今日はそんな話だ。

交渉? 児戯だろう?

「大人になる」と損をする時代である。

僕はそんなことを感じている。

「中を取る」とか、「妥協点を見出す」とか、「落としどころを探る」とか、そのような技法はもうこの世からなくなってしまったようである。

子供のように自身の利益を頑なに主張すること、そして一歩も譲らないこと、それが現代流のようである。

彼ら(彼女ら)はそれを「交渉」だと思っている。

僕はそれを「児戯」だと思う。

でも、そのように思う僕の方がきっとおかしいのだろう。

まあまあ手打ちにしましょうや

マネージャーにとって大事な要素の一つに「大人度」がある、と僕は思っている。

ここで言う「大人度」というのは、「それぞれ言いたいことはあるだろうけれど、まあここはこんな形で手打ちにしましょうや」とその場を纏められる能力、のことを指す(ことにする)。

チームには色々な考え方があり、価値観がある。

そして判断軸もそれぞれ異なる。

そんな時に、いちいちルールに基づかなければ判断ができないのでは、マネージャー失格なのだ。

ルール上OKでも人としてNGというものは存在する

これは以前に書いた「ダサさ」をどう考えるか、にも繋がってくる。

ダサい、というのは主観であって、それぞれの考え方によって異なるものではあるだろう。

でも、「それをやっちゃあおしまいよ」的なこと、ある程度の合意が得られる共通のダサいことというのは存在する。

仮にルール上は正しくても、そこに踏み込んだら人として終わりだよね、ということは起こりうる。

その時にルール通りに判断するか否か。

そこにマネージャーとしての矜持が現れるのだと僕は思う。

判断と常識

これは「判断」というものをどのように考えるか、ということに繋がってくる。

僕は判断というのは、「常識」に近いものだと考えている。

もう少し日本人的に言うと、「お天道様に顔向けできないことはやらない」ということになるのかもしれない。

それが仮にルール上OKであっても。

それを「判断」と呼ぶのである。

逸脱する人への執拗な攻撃

これはリスクの概念とも結びついてくる。

昨今ルールベースの判断を行う人が増えてきたのは、リスクを取りたがらない人が増えていることと関係していると僕は思っている。

それは社会的な考え方にも関係している。

何かの過失があると、それに対して寄ってたかって批難するというような風潮が、リスクテイクへの恐怖心を生んでいるのである。

何かの参照点を持ちたい、という気持ちはよくわかる。

でも、それがルール至上主義になってはいけないのである。

本気? 冗談だろ?

同僚のマネージャーにも、部下にも、気色ばんで「ルールを逸脱している!」と言ってくる人がいる。

彼ら(彼女ら)にとっては死活問題なのだろう。

でも僕には冗談のように思える。

でも彼ら(彼女ら)はあくまでも本気なのである。

僕はこの種の人の相手をすることに疲れてしまっている。

ルールは大事だ。

それは僕もそう思う。

でも、それが金科玉条になってしまうのはちょっと違うと思うのだ。

ルールは目的じゃなく、手段である

「そんなんだからダメなんですよ! ルールはルールなんですから!」と彼ら(彼女ら)は言う。

でも、ルールというのは、「コトを円滑にする」という目的に基づいた「手段」であると僕は思うのである。

もう一度言う。

ルールは「目的」ではなく、あくまでも「手段」なのである。

これを履き違えている人が本当に多いように感じる。

知的負荷を減らす為にルールが存在する

あらゆる事象に対して、いちいち判断を行うのは煩わしいから、ルールを定めることによって、その判断負荷を減らす、というのがルールを定める効用である。

法律、という概念もそうだろう。

ただ、そのルールをどのように解釈するか、そのルールが生まれた背景はどのようなものだったのか、は考える必要があるのだ。

それが裁判であり、それに基づいた判例というものだろう。

そして価値観というのは、社会の変化に基づいて、時々刻々と変わっていくものである。

それを補正したり修正したりする必要がある。

硬直化したものではなく、「あそび」がそこには必要なのだ。

ルールはツール

「ルール」というのは「ツール」に過ぎなくて、大事なことは「人間社会を円滑に回す」という目的の方なのである。

それをあべこべにしてはいけない。

そしてだからといって、アナーキーな状態が望ましい、ということではないのだ。

2項対立でしか物事を考えられないマネージャーは、たぶんマネジメントに向いていない。

速やかに退場された方が良いと思う。

その淡いの部分グレーの部分にこそ、マネージャーの存在意義があるのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

「シリアスなバカ」が世の中には存在します。

というか、そちらの方が多数派です。

僕はそれをシュールなコメディだと思っているのですが、彼ら(彼女ら)は大真面目なので、いつもうんざりしてしまいます。

むしろ退場すべきは僕の方なのでしょう。

同じような気分の方がいたら、友達になれそうです。

どこかで乾杯できることを楽しみにしています。