板で挟まれたら

Photo by Simon Berger on Unsplash

Are you OK?

中間管理職の仕事とは板で挟まれることである、と言ったら言い過ぎだろうか?

いや、たぶんそんなことはない。

常に板挟みになり続けるのが中間管理職という仕事である。

この状態はなかなかのストレスである。

上司も部下も、その時々の感情や思いつきで話をしてくるので、それらに本気で向き合っていると、体がもたないというのが実情だろう。

あなたのメンタルは大丈夫だろうか?

今日はそんな時の対処法を書いていこうと思う。

本気で向き合うことこそ失格になる可能性が高い

結論から言うと、どちらも本気にしない、というのが対処法となる。

「いやいや、そんなの中間管理職失格じゃないですか?」

そんな声が聞こえている。

いや、失格でいいのだ。

というか、100%で向き合わないことでは失格にはならないのである。

もう少し言うと、本気で向き合うことこそ失格になる可能性が高いのだ。

意味がわからない?

もう少し詳しく書いていく。

自分の価値観を大事にする

長年中間管理職をやってきて、僕が今思うのは、自分の価値観や信念を信じることの大事さ、である。

それは中間管理職という立場でも変わらない。

何に対して自分は価値を置くのか、という軸をしっかりと認識しておけば、上下に挟まれたとしても大事故にはならないのである。

これがブレてしまうと、逆に大怪我に繋がる。

それが今回言いたいことである。

真面目な中間管理職たち

多くの中間管理職は、真面目であるが故、どちらにも良い顔をしてしまう傾向がある。

それによってどんどんと追い詰められていって、体を壊したり、病んでしまったりする。

そこまで行かなくても、八方美人的な振る舞いによって、イマイチ信頼感がなくなってしまう。

これこそが問題だと僕は思うのだ。

中間管理職に求められる能力は変わった

時代の変化と共に、中間管理職に求められるものは変わってきている、と僕は感じている。

以前であれば、上司に忠実であることは中間管理職にとっての最重要項目であったと思うのだけれど、現代はそうではない。

多様化する部下を、ある程度同じ方向に纏められる能力こそが中間管理職に求められるものなのである。

そしてその為には、ミドルマネージャーに信念が必要となるのである。

多様化する部下を纏められるマネージャーは稀有

これは自分が中間管理職の上司(上級マネージャー)になった時のことを想像してみるとすぐにわかると思う。

自分に忠実であるマネージャーと、部下から信頼されているマネージャー、自分が成果を上げたいと考えている時、あなたはどちらを重要視するだろうか?

もちろん、忠実かつ部下から信頼されているマネージャーが望ましいのは言うまでもない。

でも、どちらかしかない状態だったら、どちらを選ぶだろうか?

僕は断然後者である。

それは自分に忠実なマネージャーはたくさんいるのに対し、多様化する部下を纏めることができるマネージャーは稀有だからである。

そして多様化する部下を纏められる人というのは、自身のポリシーがしっかりしている、考え方の軸をしっかり持っている、ことが現代には必要不可欠だからである。

気づいてしまった時代

これは現代が「本音の時代」であるからである。

昭和の時代に覆っていた数々の建前が崩れ、皆本音ベースでのやり取りを求めている。

もちろん、まだまだ形式を重んじる上司(上級マネージャー)がいるのも事実である。

でも、そういう人は成果が上がらない、もしくは上がりにくくなってきているのが現代という時代である。

それはなぜか?

みんなが「気付いてしまったから」である。

多様化する価値観にリーチできる能力

僕たちはもう自分の仕事に意味がないことに気づいてしまった。

自分を騙すことに疲れてしまった。

それが現代という時代である。

そしてその意味のない仕事に、何とかして意味を付与することは途轍もない力が必要となる。

ましてや多様化の時代である。

それぞれがそれぞれに違った意味を仕事に対して求めている時代である。

そこにリーチできる人こそが、現代では成果を上げることができるのだ。

他者の代理人はいらない

冒頭の話に戻る。

もし板挟みになったとしたら、どちらも本気にしない、というのが正解である、と僕は書いた。

それはそのどちらよりも、自分の価値観に重きを置いた方が、「個」が浮き出るからである。

もちろん独りよがりになってしまってはいけない。

ただ、軸が何もないと、本気で向き合った時に、自分がなくなってしまうのである。

自分がなければ、自分がそこにいる意味がない。

他者の代理人(代弁者)はいらない。

そこに変化をもたらす、変化器であることが重要なのである。

屈折率と透過率

自分というフィルターを通すことによって、何らかの変化をもたらすことができること。

それこそが中間管理職に求められることなのである。

そこには屈折率みたいなものが不可欠なのだ。

全透過するようなミドルマネージャーは現代には不要なのである。

意味がわかるだろうか?

変化をつけられること

両者に全力で向き合う中間管理職は、一見良さそうだけれど、そこにいてもいなくても同じような存在である、と僕は思う。

それはただの代理人に過ぎないからだ。

でも、そこに何らかの変化をつけられるなら、ミドルマネージャーがそこにいる意味が生まれる。

そしてそういう人こそ、上下から一目置かれるマネージャーなのである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

今日の話は、中間管理職という仕事と対義的な概念であると僕は思っています。

個を消すことが求められる中間管理職という仕事に個を取り戻すこと。

それがひいては自分を守ることにも繋がります。

流され過ぎずに、流されなさ過ぎずに。

バランス感覚を保って仕事をしていきましょう。