チームと選手

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移籍シーズンのあとに思うこと

また新しいシーズンが始まった。

ヨーロッパサッカーが好きな僕は、移籍した選手がチームにフィットするのかどうか、という最初の数試合の「こなれていない感」を見るのをいつも楽しみにしている。

そしてその度にいつもこう思う。

「選手のパフォーマンスはチームによるところが大きい」と。

どんなに優れた選手であれ、チーム(戦術)にフィットしていなければ、その能力を発揮するのは難しい。

そして、戦術というのは時代と共に移り変わっていき、そこで求められる選手のタイプも変化していく。

それはマネジメントにおいても同様である。

今日はそんなことを書いていく。

メンバーのパフォーマンスはチームの環境に左右される

仕事において、チームの環境は非常に大事である。

上司が誰か、どのような価値観を共有しているのか、それが自分の考え方や仕事の進め方に適合しているのか、そんなことがパフォーマンスに大きく影響する。

僕自身は好き勝手にやらせてもらえる環境が好きで、がんじがらめにされるのは嫌いである。

担当者時代から、チームとの相性が良いと高い成果を出せたし、そうでなければそれなりの成果に留まることが多かった僕は、前の職場で上手くいかなかったと回顧する部下と話をする度に、「それはキミだけのせいではないよ」といつも思う。

もちろん、ある程度のレンジの中で、チームに合わせる能力というのは必要である。

どのチームでも問題行動を起こす選手に貰い手が少ないように、適応の幅が広いことに越したことはない。

そうは言っても、合わないものはやっぱり合わないし、そこで無理に合わせる必要もないのでは、とも僕は思うのである。

異端を扱えないのはマネジメント力がないからでは?

ある程度の個性は、違う個性と親和的でない場合がある。

というか、そのくらいの「我」がなければ、大成しないことだってある。

でも、多くの(日本の)組織は、個性を消してチームに身を捧げることを求める。

そこに合わない者は不適合者として冷たく扱われる。

僕はそこに異を唱えたい。

「それはマネジメント能力がないだけかもしれないですよ?」と。

「そういう『じゃじゃ馬』のような選手(担当者)を扱えないマネージャーが原因かもしれないんですよ?」と。

ルールに従順だけど勝てないチームってどうなの?

僕自身も数多く経験してきたことであるが、「本業」以外の部分で意欲を削がれることが(日本)組織では当たり前のように行われている。

大事なのは「本業」で、そこでの「パフォーマンスの高さ」で、それ以外のものは付帯的なものであると僕は考えているけれど、多くの人はそうは思っていないようである。

ルールが時代適合的であろうとなかろうと、チームのルールに合わせるのが第一優先とされ、そこに身を奉じること、「従順度合い」みたいなものが第一義とされるようなイメージ。

それで勝てるなら、とやかく言う必要はない。

ただ、その戦術はもう研究し尽され、対策し尽された古代の遺物なのだ。

自分の(古臭い)戦術に固執する時代遅れの監督たち

これは戦術をアップデートしようとしない監督に似ている。

過去の成功体験を忘れられず、自分のやりかたに固執する落ち目の監督のように僕には見える。

もちろんポリシーは大事だ。

コンセプトを揺るがしてはならない。

それは確かである。

でも、時代と共に微調整は必要なのだ。

少なくとも、最先端の戦術理論を知ろうとする努力を怠ってはならないのである(それを自分のチームに適用するかどうかは、その後の話である)。

偏った能力のメンバーを活かす力

僕は硬直化したマネージャーによって「潰されてきた」担当者を数多く受け持ってきた。

彼(彼女)らの能力は、五角形で表示するなら明らかに歪で、ある程度「使い方」を考えてあげないと、その力を発揮するのは難しいと思うようなタイプの担当者ばかりである。

もしくは性格に難があるとか、調子にムラがあるとか、とにかく癖のある人が多い。

そういう担当者達は「型にはまったチーム」では扱いきれない。

でも、僕は扱うことができる。

それは僕が「勝つことを優先しているから」だと思う。

そしてその為には自分のポリシーを曲げることも厭わないことが関係しているような気がする。

能力を伸ばすのではなく、どうやって使うかにフォーカスする

僕は「再生工場」だと例えられることがある。

でもこの表現はちょっと間違っていて、「再生」している訳ではないのである。

ただ、使う場面を考えてあげているだけなのだ。

「部下育成」ということが、マネジメントの世界ではよく言われる。

でも、僕は新卒の社会人は別として、ある程度のキャリアを経た人間が成長することは殆どない(あっても稀)という考えの元にチームビルディングを行っている。

要は、能力を「伸ばす」のではなく、どうやって「使う」かに重点を置いているのである。

その人の能力を発揮させる為には、どのような環境にして、どのようなコミュニケーションを取ればいいのか、そしてチームとして「マイナス分」が許容できる範囲はどの程度なのか、ということを考える。

そしてその人にできるだけ「気持ちよく」働いてもらう。

これだけである。

育成論は言い訳めいている(と思う時がある)

僕が「育成論」に違和感を覚えるのは、育成というのは「狙ってできるものではなく、結果としてそうなっていたという事後的な状態を表す」という考え方があるのだと思う。

できない担当者に不満を言いたくなる気持ちはよくわかる。

でもまだマネージャーにできることはあるはずである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

本当のトッププレイヤーを除いて、大抵の選手は環境によってパフォーマンスが大きく左右されます。

ということは、マネージャーの役割というのは結構大きいのではないか?

というのが、今回の話です。

メンバーの能力が活かしきれていないのは、あなたのマネジメント手法に問題があるからかもしれません。

愚痴りたくなる気持ちを抑えて、まずはできることをやってみましょう。