笑顔の仮面は怖い

UnsplashÉrik González Guerreroが撮影した写真

本心ならいいけど

ハラスメントがうるさく言われるようになってから、「1日中ずっと笑顔」というタイプのマネージャーが出現してきたように思う。

何があってもとにかく笑顔。

親しみやすさと気さくさの演出。

本心からそうなら別に構わない。

でも、大抵の人は「演出」なのだ。

もちろん、職場である以上、ある程度の「仮面」は必要である。

生身のままの自分を曝け出すのは好ましいことではない。

ただ、あまりにも本心が見えないのもそれはそれで問題なのだ。

今日はそんな話をしていく。

ハラスメント・ハラスメント(ハラ・ハラ)

ちょっとでも強い口調で話したり、咎めたりすると、すぐにハラスメントだと言われる。

これはある程度のマネジメント経験者であれば、よく感じることだろう。

もちろん本当のハラスメントは論外である。

ただ、何でもかんでもハラスメントだと糾弾する風潮もどうかと思うのだ。

理想の上司?

それを防ぐために生まれてきたのが、「とにかく笑顔」型のマネージャーである。

この種の人達は怒らない。

何があっても「いいよ、いいよ。次頑張ろうね!」と言う。

とても素晴らしい。

理想の上司だ。

本心ならね。

そいつはニセモノの可能性が高いぜ?

確かに、心からこのように思える人がいないとは言えない。

実際に「本当に良い人」というのはこの世に存在するし、僕も会ったことがある。

でも、残念ながら、そのような人はあまり偉くなれない。

というか、ずば抜けて良い人はめちゃくちゃ偉くなるけれど、そうでない多くの人は組織的にあまり評価されない

だから、(経験上)マネージャー以上の人で「本当に良い人」に会う確率というのは物凄く低い。

その確率と、「笑顔の仮面の人」と出会う確率は釣り合っていない。

そう考えると、大抵の人はニセモノである。

僕はそんな風に考えている。

感情を出した方が楽な場合もある

自分で書いた上記の説明に漏れず、僕は明らかに良い人ではない。

だから、良い人を演じようとはしない。

そういう意味では、喜怒哀楽がとても分かりやすいタイプのマネージャーである言えると思う。

最初の頃はそれをできるだけ隠そうとしていたのだけれど、ある部下から「課長は分かり易くていいです」と言われてから、「まあそんなものかな」と思って、そのままの状態でこの数年仕事をしている。

それで支障はない。

というか、その方が僕には合っているのだと思う。

「笑顔戦略」は有効性の検証を

この辺はよく考えて頂きたいのだけれど、「笑顔」が自分のマネジメントという仕事において有効なのであれば、上手に活用すればいいと僕は思っている。

でも、自分では有効だと思ってはいるけれど、実際はそうでもない、というのであれば(乖離があるのであれば)、「笑顔戦略」は考え直した方がいい。

そして、多くの「笑顔型」のマネージャーにはこのギャップがあるのである。

目が笑ってない笑顔型マネージャー

僕自身も経験があるけれど、この種のマネージャーに対しては「ちょっと踏み込んだこと」が言いづらいのである。

組織やチームにとっては良いことなのだけれど、そのマネージャーの意に沿わないこと、というのは結構存在するもので、その類のことがこの種の人には言いづらいのだ。

「なんで? 気軽に言ってよ?」とこの人達は言う。

でも、言いづらいのだ。

それはなぜか?

目が笑っていないからである。

踏み込むと人間の深淵が見える

笑顔型マネージャーの特徴は、本心は別にある、という点である。

上記したように、「本当は良い人ではないけれど、仕事上そのように演じている人」というのは、自分の考えは別にあることが大半である。

でも、部下の手前、それを出すことはない。

多くの人達はこれに気づかないし、通常の仕事をしている分にはそれはあまり大きな問題にはならない。

問題になるのは、先ほど書いたように「ちょっと踏み込んだ時」である。

この時に「真の人間性」が顔を出す。

顔は笑っているけれど、目が笑っていない。

そういうことがよくあるのである。

空気の読み合いは生産性を下げる

先程書いた部下が僕のことを「分かり易くていい」と言ってくれたのは、たぶんこの辺のことが関係しているのだ。

本音と建前、というのは仕事において重要なことである。

でも、そこがあまりにも乖離していると、人間というのは戸惑うのである。

もちろんどこかで「あれは建前である」ということが理解してもらえれば、そんなに大きな問題にはならないのだけれど、そうではない場合は、この発言は本音なのか建前なのかがわからなくて、真意を探ることに体力が削がれることになるのだ。

これが日本的な忖度(空気の読み合い)に繋がってくる。

この頻度が多くなければいいのだけれど、高頻度となると明らかに業務にも支障が出てくる。

更に言えば、「上司はああ言っているけれど、真意はこうである」というような自称解説者も出てくるので、余計に無駄である。

人間らしさを

僕は機嫌はよくすべきだと思うけれど、それが演技過ぎるのもどうかと思うのである。

マネジメントという仕事は、「結局は人間性」であると僕は思っているのはこういうところにある。

根本のところで良い人でないと、人はなかなか付いて来ないのである。

それなら、負の感情ですらわかり易く出してしまうのもいいのではないか?

そんなことを最近思うのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

部下と真の人間関係を構築する、というのは不可能だし、欺瞞です。

でも、それに近づくことはできると僕は思っています。

チームマネジメントの面白い所は、人間は可塑的で、自分が信頼されていると思える環境、自分がそのままの状態でいられる環境においては、思いもかけない力を発揮する、それが組み合わさると等比級数的になる、ということだと思います。

心理的安全性というのは、空気を読み合う風習が強い(そして意地悪な)日本においては実現が難しい概念だとは思いますが、少しでもその方向に向かえると、職場の雰囲気はガラッと変わりますし、成果も凄いことになります。

欠点もあなたの大事な人間性の一部です。

自己開示をしていきましょう。