「やってる感」は不要

やってる! やってる!
「やってる感」と「やってる」は違う。
こんな当たり前のことが通らないのがマネジメントという世界だ。
いや、マネジメントに限ったことではないのかもしれない。
ここ最近、仕事において「実際にやっている人」よりも「上手にやってる感を演出できる人」の方が評価が高いような気がしている。
そんなのは昔から言われていることなのかもしれない。
でも、何というか、その「程度」が悪化しているような気がするのだ。
その悪化というのは、「自分すらも騙しているか否か」というところに論点があるように思っている。
今日はそんな話だ。
「やってる感」の方が王道では?
真面目に仕事をしていることが馬鹿らしくなることがある。
ことがある、というか、日常茶飯事とも言えるくらいの頻度になってきている、のが最近の僕の状況である。
これはなかなかフラストレーションが溜まる事態だ。
以前であれば、そのような「ニセモノの仕事」をしている人に対して、それを見抜ける人が相応にいたような気がする(それによって僕も溜飲を下げることができた)のだけれど、その人達は絶滅に瀕しているようである。
何というか、「やってる感」の方が王道、「やってる」が邪道、そんな感じになってしまっているような気がしている。
人の暗部に踏み込むと、血が流れる。
マネジメントという仕事は、人の「暗部」に踏み込まざるを得ない仕事である、と僕は思っている。
そして人の「暗部」に踏み込むと、様々な軋轢が生じる。
軋轢が生じると、双方に相応の血が流れる。
それはできれば避けたいことである。
僕だって仕事でなければ、そんなことはしたくない(元々スーパードライな性格なのだ、僕は)。
でも、成果を出す為には、出し続ける為には、避けて通れないから仕方なくやっているのである。
勇ましいが空虚な言葉
一方、これを回避しているマネージャーもいる。
たぶん無自覚なのだとは思うが、できるだけ面倒なことには関わらないようにしながら、結果が出た時だけ自分の手柄であるかのように吹聴する人。
もっともらしいことを言うけれど、その中身は空洞である人。
勇ましいが空虚な言葉の羅列。
そういう人達が増えているのだ。
自分すらも騙していることに無自覚
上記したように、以前だってその手の人はいた。
たくさんいた。
でも、最近の特徴は、「自分すらも騙している」というところにある、と僕は思っている。
もう少し正確に言うと、「自分すらも騙しているという意識すらない」という点がその特徴である。
そう、無自覚なのだ。
彼(彼女)らは、自分が「やってる感」を出していること、「やってる感」しか出していないことに、自覚がない。
実際に「やってる」ことと、「やってる感」に違いがあることに気づかない。
僕にはそのように見える。
混ぜるな危険!
マネージャーとして仕事を続けていると、「自分の言葉」と「組織の言葉」の境界線が曖昧になる感覚に陥ることはある。
それは僕だってそうだ。
ただ、それは「混ぜるな危険!」なのである。
「組織の言葉」を「自分の言葉」と混ぜて使うと、聞き手はもちろん、自分ですらその言葉の真意がわからなくなってしまう。
もっと言うと、「自分の言葉」には責任が伴うので、できるだけ「自分の言葉」を使わずに、「組織の言葉」を「自分の言葉っぽく」言う、というのが常態化するようになる。
これが「やってる感」と「やってる」の違いである。
主語をはっきりさせる重要性
いつも言うように、言葉に責任を持たせる、主体者(主語)をはっきりさせる、ことが日本のマネジメント改革には必要である、と僕は思っている。
それはこの種の「やってる感」と「やってる」を明確に区分させる為でもある。
評価すべきは「実際にやってるマネージャー」であり、「やってる感マネージャー」ではない。
そんなの当たり前のことである。
実力がないんだよな?
でも、右肩下がりの日本経済において、「実際にやる」ことは途轍もなく難しいことでもある。
様々な意見や価値観を持つ、多様な人材を纏めることは、想像を絶するくらい大変なことである。
だから、お手軽な「やってる感」を演出する。
それでお茶を濁す。
それがきっと当世流なのだろう。
ヒロイズムなのか?
メディアから流れてくる世の中の状況(他社含む)がその字面通りだとは流石に僕も思わないけれど、「面倒事には関わらない」「自分の任期だけを考える」「責任は部下に、手柄は自分に」というタイプの人達が、相応の役職にいるのが現代の特徴であるような気がする。
その人達には「傷がない」。
上手に世の中を渡ってきたように見える。
そして僕のような働き方は古臭く、時代遅れのようにも思える。
何というか、「ヒロイズムに陥った甘い人間」みたいに思える時があるのだ。
成果を出そうぜ?
上手に他者を蹴落としながら、自分には火の粉が降りかからないように働いていくこと。
スマートな演出。
この辺の話は、価値観の問題に置き換えられるのだろう。
でも、もう少し言わせてもらうなら、僕みたいな働き方をして、彼(彼女)らよりも成果を出す人が増えれば、この状況は変えられるのではないか、と戯言みたいなことを僕は思っている。
大事なのは成果だ。
演出じゃない。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
ソクラテスとソフィスト。
民主主義は不調に陥ると、衆愚政治になりがちで、そんな時にはニセモノであるソフィストが跋扈する。
それは人間の性みたいなものなのでしょう。
詭弁を弄するのではなく、本質的な対話をしていきましょう。