モテるマネジメント

UnsplashArhihou Anasが撮影した写真

「結局は人間性」は重すぎる

マネージャーはモテたら勝ち。

そんなことをぼんやりと思った。

普段から、マネジメントというのは「結局は人間性」である、と思っている僕がもう少し深刻にならないように考えているのがこの「モテ」の概念である。

マネジメントが上手くできるかどうかは人間性に左右される、というのは究極的で、それを言っちゃあおしまいよ的な響きがあるのだけれど、「モテようぜ!」というのはポップでキャッチーな感じがするので、今回はそんなことを書いていく。

と言っても、着地点は同じような気もするけれど。

それでは始めていこう。

モテる奴はモテる

恋愛にもテクニックがたくさんあるように、マネジメントにテクニックがたくさんある。

でも、それを駆使したからといって上手くいく訳じゃない。

天性のものには勝てない。

モテる奴はモテる。

今日の結論はそのようなことである。

モテると好かれる

僕のチームには老若男女本当に様々なメンバーがいるのだけれど、その全方位にモテるというのは結構重要なことであるような気がしている。

これは好かれるとはちょっと違う概念であると僕は思っている。

好意はいらない。

モテる必要があるのだ。

「いや、同じじゃねえか!」というツッコミを自分でも思ったので、もう少し掘り下げて書いていく。

タイプではないが、モテそう

「私はタイプではないが、あの人がモテるのはわかる」

僕が言いたいのはそういうことなのかもしれない。

「恋愛対象ではないけれど、恋愛対象として見られなくはない」

そういう感じかもしれない。

これは「異性からモテなさい」ということを言いたい訳ではない。

同性でも、年上でも年下でも、「人として魅力的である」ことが重要である、ということを言いたいのだ。

努力しても無駄だけど、余白もあるのでは?

これは換言すると「結局は人間性」ということになるのかもしれない。

人間性が良ければ、人として魅力的になる。

結果、モテる。

そうなのだ。

でも、それだと「努力しても無駄」となってしまう人もいるかもしれないので、もう少しだけ余白があるということを書いてみようと思ったのである。

「モテたい」のと「モテる」のと

これは以前に書いた「メンヘラ上司」へのアンチテーゼと言えるかもしれない。

モテたいのがメンヘラ上司。

モテるのが良いマネージャー。

モテたいと思わなくてもモテてしまうのが、僕が理想とするマネージャーなのだ。

ギャップが大事

これは無駄口を叩かれるかどうか、で測ることができる。

雑談、相談、イジリ、言葉は何でもいいのだけれど、とにかくカジュアルに話しかけられることが重要であるような気がしている。

でも、時に、シリアスになる局面がある。

真面目なことを言って、うっとりとさせる時がある。

そのような緩急(ギャップ)みたいなものがモテる為には重要なのだ。

(僕のブログを普段から読んで頂いている方であればお気づきだと思うが、この辺の書き方はちょっと悪ふざけが過ぎるような気がする。半分くらいは冗談だと思って読んで頂きたい)

テクニックに頼ると見透かされる

多くのマネージャーはモテたいと思って行動している。

様々なアピールをして、テクニックを駆使して、マネジメントを行っている。

でも、そのようなアピールやテクニックというのは、見透かされるリスクがある。

部下はそこまで馬鹿じゃない。

ただ、本人はそれに気づいていない。

それが僕から見える多くのモテないマネージャー達である。

モテる人は自分語りをしない

彼(彼女)らは得意げに「モテますアピール」をする。

過去の武勇伝を織り交ぜながら、自分が如何に人望があるかを高らかに述べる。

でも、本当にモテる人はそんなことを言わない。

勝手にモテるからである。

恋愛指南なんていらない

では、モテるマネージャーになる為にはどうしたらいいのだろうか?

恋愛と同じなのではないか、というのが僕の今時点での回答である。

僕が後輩のマネージャーから相談される内容の殆どは、「モテたいんですけれど、どうしたらいいんですか?」という質問に置き換えることができるような気さえしているくらいである。

モテる為にはどうしたらいいのかは、恋愛指南をしている方の本を読むなり、動画を見るなりしてもらえばいいと思う。

でも、たぶん、そんなの関係なく、モテる人はモテるのである。

断崖絶壁から突き落とすようなことを言うけれど、もうこれはそうなのである。

生物として魅力的であること

もちろん努力は必要だ。

ただそれだけでは越えられない壁がある。

その要因が、色気なのか、清潔感なのか、ユーモアなのか、容姿なのか、僕にはわからない。

総体として、複合物として、魅力的なのが重要なのだろうと僕は思う。

そして人間性の議論と同じように、最終的にはそうなれなくてもそうなりたいと思うこと自体に価値がある、ということを書いてこの文章を終えようと思う。

旗を掲げよう

僕はそれを志向性と呼んでいる。

志向性がある人はきっとモテる。

これは「何かに向かって頑張っている人がモテる」のに近いイメージである。

それは目の前の人達に迎合することとはちょっと違う。

青臭い大義や理想、そういうものを呼び起こさせてくれる人がきっとモテる人なのだ。

その旗の下に人は集まる。

素晴らしい演説はいらない。

勇ましい掛け声も不要。

ただ、そっちの方向に向かって進んでいけばいいのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

今日の話はキャッチーにしようとして、結局また出発点に戻ってしまった、そんな感じであるような気がしています。

マネジメントを何年もやることで僕がわかったのは、「きちんと生きることの大切さ」です。

それができていれば、他のものは何もいりません。

ただ淡々といい仕事を続けること。

そうすれば、共感する仲間が勝手に集まってきます。

無理にモテようとせず、いい仕事を続けていきましょう。