コンサルの横文字をマネジメントと呼ぶなかれ

UnsplashMark Fletcher-Brownが撮影した写真

僕たちはマネジメントというものを理解していない

日本人は横文字が好きだよなあ。

折に触れてそう思う。

新しいものを導入して、日本流にアレンジを施し、上手に社会に溶け込ませていく。

それは僕たちのお家芸とも言えるものである。

だから必ずしもネガティブであるとは言い切れない。

ただ、ことマネジメントに関して言うなら、それが上手くいっているとは思えないのである。

どうやら僕たちはマネジメントというものを理解していないようだ。

今日はそんなことについて書いていこうと思う。

カタカナ英語

英語をカタカナに置き換える。

その音韻のまま、その言葉を使う。

世の中にはそのようなカタカナ英語が溢れている(見ろ、僕だってここまでの文章で既にたくさん使っている)。

元々も概念自体は素晴らしいものであるのだろう。

でも、その言葉が乱発されるたび、僕は困惑するのである。

パーパス? ビジョン?

最近僕が困惑している言葉の1つにパーパスというものがある。

社会に対する存在意義を考え、どのように社会に貢献するのか」を掲げること。

そのような経営方針をパーパス経営と言うそうである。

そしてこれはビジョンとは違うとのことである。

ビジョンというのは、曰く、パーパスの過程その実現のプロセスにおいて目指す姿のことを言うそうだ。

違いがわかりますか?

というか、意味の違いを改めて策定する必要があるのだろうか?

僕からすれば、企業理念という言葉で遊んでいるようにしか見えないのだけれど、多くの人は大真面目にこの違いについて話している感じがする。

結構、結構。

そうやって、またコンサルに金が流れていくのだろう。

新商品としての横文字

新しい横文字は、いわば新商品である

企業に売り込むために、きっとコンサル内部では様々な会議が行われているのだろう。

キャッチ―な商品開発戦略。

それに乗せられるウブな日本企業たち。

そうやって僕たちはどんどん本質から外れていくのだ。

天を仰ぐ

マネージャーとして長く仕事をする中で、幸か不幸か、このような概念クリエイターたちと仕事をすることが時にある。

彼(彼女)らはその概念をさも素晴らしいものであるように、一瞬にして世界を変えてしまうかのようなイメージを喚起させるように、話を展開する。

僕にはその概念たちが空中に浮かんで飛び交っているだけに見える。

でも、多くの大人たちは、それを仰ぎ見、神の宣託のように有難く受け取っているようなのだ。

ジーザス・クライスト。

もっと考えなければならないこと、やらなければならないことはたくさんあるぜ?

僕もかつてその片棒を担いでいた

空中戦が行われている会議から抜けて、僕は現実世界に帰還する。

現実のチームでは、そのような会議で行われた概念なんてものは何一つ適用できない。

もっと泥臭い世界だ。

もしかしたら、感化されて、そのような取ってつけたような概念を振り回すマネージャーもいるのかもしれない。

いや、白状しよう。

僕だって、最初の頃はその傾向があったのだ。

受け売りをそのまま適用とした過去の自分がそこに立って、僕を嘲笑っているのだ。

何を偉そうに、と。

うん。

でも、もう、オレ、そういうの、やめたんだ。

現場は何もわかっていない。I know.

頭の良い人達は、頭の良い言葉を話す。

ただ、多くの人達はそれを理解できない。

というか、むしろそれを馬鹿にしている。

衒学的に披露されたたくさんの言葉(概念)は、僕の周りの地面に落ちて、そのまま朽ち果てようとしている。

それは「現場は何もわかっていない」という言葉で一蹴される類のものなのだろう。

「だから現場はダメなんだ」と。

その気持ちもわかる。

でも、きっと「接続」しなきゃ何の意味もないのだ。

価値観や立場の違いを接続することをマネジメントと呼びたい

世の中には様々な立場がある。

価値観の違いがある。

マネージャーはその場面によく直面する。

その度に、僕は両者を「接続」する。

それを僕はマネジメントと呼びたいと思う。

マネージャーを名乗る資格とは?

これは「翻訳」とか「通訳」とかとはちょっと違うニュアンスだ。

言葉を置き換えたり、意訳したりするだけでは、伝わらないものがある。

それだけでは、耳までしか行かない言葉がある。

僕たちマネージャーの仕事は、それらの言葉を腹まで持っていく(「腹落ち」させる)ことである。

現場の言葉を使い、地の文で表現することで、両者を「接続」するのだ。

その仕事ができる者がマネージャーを名乗る資格がある。

僕はそんな風に考えている。

同じ日本語でも重力に対する感度が違う

舶来品、それも結構。

でも、そこには重みがない

リスクを取らない言葉には、重みは生じない。

コンサルの言葉はその程度だ。

それは我々マネージャーも同様である。

あなたがリスクを取らなければ、あなたが発する言葉に重みは生じない。

同じ言語。

同じ日本語。

でも、重力に対する感度が違うのだ。

ウェルカム・トゥ・リアル・ワールド

たくさんの言葉が浮いた会議室。

バルーンたちの競演。

その中で、僕は宙を仰ぎ見、時に吹矢を飛ばす。

怪訝な顔をする大人たち。

僕はそれをせせら笑っている。

理解できないものを理解した顔するなよ。

でも、たぶん一生お前たちにはこの感覚はわからないんだろうな。

叩き上げの僕はそんなことを思いながら、吹矢を咥えて、にんまりしている。

地面に落ちた言葉たちを踏みつけながら、僕は会議室を出る。

リアル・ワールド。

血の匂いのする現実世界。

それが僕の仕事場だ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

空中戦地上戦

どちらもマネジメントには必要です。

でも、時に空中戦に偏り過ぎていることがあるのではないか?

今日の話はそういう意味です。

決してコンサルをディスっている訳ではありません

コンサルにお勤めの方の中には、それを理解し、きちんと地の文を使うことができる人もいます。

でも、そうでない人もいる。

そんな人に出会った時に、安易にそれに乗らないことは大事です。

血みどろの現実世界を駆け抜けていきましょう。