完璧な人なんているのか?
お前はどうなんだ?
ボーナスの季節など、上司からフィードバックを貰う機会がある。
曰く、「お前は全然ダメだ」とのことである。
こんなのは今に始まったことではない。
ずっとダメ出しばかりである。
その度にいつも思うことがある。
「そう言っているお前はどうなんだ?」と。
もちろん僕も多少は大人になったので、流石に面と向かってそう言うことはないけれど、何となく釈然としない気持ちになるのである。
あなたは本当にあなたの言うその基準をクリアして偉くなったのか?
僕にはそうは思えないのだが…。
今日はそんな愚痴っぽいことを書いていく。
開き直り? I know.
人事評価には様々なものがある。
一般的には上司からの評価があり、管理職になればそこに360度評価が加わったりする。
そして年に数回そのフィードバックの機会がある。
褒められることはまずない。
ここが悪い、あそこが悪い、そんなことばかりである。
そしてそれは悲しいかな当たっている。
僕は自分自身でその欠点を理解している。
何とか改善しようと取り組んでもいる。
でも、できない。
だから余計惨めな気持ちになるのだ。
そして結果としてこう開き直ることになる。
「お前はどうなんだ?」と。
日本の現状って成功しているのか?
これは何も目の前の上司に対してだけの気持ちではない。
もう少し大きな話がそこに含まれている。
僕は日本という国が30年以上停滞していると思っている。
望ましくない状態が続いていると思っている。
そしてそこにいるのが(ある種体制側にいるのが)目の前の上司のようなタイプの人物なのである。
彼(彼女)らがこの国のマジョリティである。
その人達がこの国を今のような形にしている。
やや誇張のきらいはあるけれど、僕はそう思うのである。
「彼(彼女)らの言う成功、組織内での評価、というのは、客観的な基準において成功と言えるのだろうか?」というのが僕の疑問なのである。
こんなに停滞しているのに?
井の中の蛙なのでは?
僕はそう思うのである。
中二病がいつまでも治らない
彼(彼女)らのフィードバックの中に、僕は「従う人とそうでない人の差が激しい」というものがある。
要は「ムラがある」とのことである。
確かに僕はそのような傾向がある。
というか、自分でもそこをもう少し上手くやれるようにならなきゃな、と思っている。
でも、できないのである。
それは上記したような考え方が僕にはあるからである。
クソみたいな上司のクソみたいな言うことを聞くことが正しいことなのだろうか?
それがいつまでも中二病から抜け出せない僕の欠点である。
劣化する必要なんてある?
上手く表現できないのだけれど、彼(彼女)らの言うやり方で、この国のパフォーマンスが素晴らしいものになっているのであれば、僕には何も言うことがない。
ただの負け犬として、細々とすみっコぐらしをしていこうと思う。
でも、そうではないと僕は思っている。
この国は間違いなく停滞している。
むしろ悪い方向に進み続けている。
それは政治的な意味だけでなく、経済的にも劣化している。
そして経済的に劣化しているというのは、個々の企業が劣化しているということで、その中で働いている人が劣化しているということなのではないか?
その人達が僕に「劣化しろ!」と言ってくる。
「いつまでも青臭いこと言ってねえで、体制に染まれよ!」と言ってくる。
でも本当にそうなのだろうか?
僕はそれがずっとわからないでいる。
彼らの言う完璧な人に僕は出会ったことがない
彼の言う、完璧な組織人は、僕が勤めている会社には存在しない。
本当に神(仏?)のような存在である。
人格者で仕事もできて、組織にも順応して、人望もある。
そんな奴いるか?
少なくとも僕は出会ったことがない。
それを求めるのって酷じゃないか?
だから僕は偉くなれないのだろう。
ダサい。ダサすぎるwww
というか、こんなことを未だに言っているのは、やっぱり僕に昇進への未練が残っているからなのかもしれない。
そんなもの無意味だと言いながら、それを切望しているのかもしれない。
果てしなくダサい。
わかっている。
でも、それも含めて僕なのである。
オレには無理っす…
僕は数多くの部下から「偉くなってください!」と言われる。
「この組織を変えて下さい!」と言われる。
そして、その度にその真っすぐな瞳にたじろぐ。
「いや、オレはそんな器じゃないんだよ…」
いつもそう思う。
僕は小物で好き嫌いが激しく、とても頑固な性格である。
それが嫌でたまらない。
グラデーションの中に解はあるはず
でも、それがあるからこそ、僕がここにいる意味もあるような気もするのだ。
言いたいことを言わなくなった僕に、きっと存在価値はない。
もちろん、バランスは大事だ。
グラデーションの中に、解はあるはずだ。
それが今でも見つからないけれど、何とか見つけたいと思っている。
歪で偏った僕が、完璧さを志向する過程で、何か良いものが生まれてくることを切望している。
それを応援してくれる人もいる。
僕はその狭間で、今日も絶賛自己嫌悪の真っ最中だ。
ナルシシズム? I know.
僕はこの僕であることが嫌でたまらない。
そしてそこにナルシシズムがあるのも自覚している。
僕はこの僕がたまらなく好きなのだ。
それも含めて、一周回ってとても嫌なのである。
今日は暗い話になった。
次はもう少し有益なことを書こうと思う。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
自分がダサいと思う人にダサいと言われると、何だか嬉しくなってしまうのは、確実に頭がおかしい証拠でしょう。
僕は昔からアウトサイダーのままです。
そしてそこにナルシシズムがあることも十分に理解しています。
「嫌われる権利」という言葉の意味を理解できた時、人生はもう少し楽しくなります(生きづらさは変わりませんが)。
嫌いなものを嫌って嫌われていきましょう。