言語化能力を鍛える
自分の言葉とテンプレの言葉
ある若手マネージャーから、「伸びる社員というのはどのような人ですか?」ということを聞かれた。
その時僕が答えたのは、「フワッとした抽象的な概念を、自分の言葉に置き換えられる人(テンプレじゃなく)」というものである。
自分の言葉とテンプレの言葉は大きく違う。
でも、これを理解している人はそんなに多くないし、それに気づける人もそんなに多くない。
もちろんどちらも同じ言語(日本語)である。
でも、その語順やリズム、使う単語などによって、その人らしい言葉になる。
その人らしい言葉遣いができるということは、その人なりの思考体系がその裏にある訳で、その人なりの思考体系があるということは、その人なりに色々なことを考えているということである。
「主体がある」というか。
今日はそんなことを書いていく。
無味無臭の言葉
若手社員と飲んでいると、「ウエノさんのワードセンスって面白いですよね」と言われることがある。
ワードセンスと言われると何だか奇をてらったことを言っているみたいだけれど、そんなことはなくて、ただ僕なりの表現形態を取ると、ちょっと変な言葉遣いになるのである。
これは現代日本(社会)へのアンチテーゼと言えなくもない。
僕は最近言葉が整えられ過ぎていると思っていて、そのような無味無臭の言葉は何の意味も持たないという、ややラディカルな考え方を持っている。
ただの応答というか、毛繕いというか、(まあもちろんそれも大事なのだけれど)そのような軽いやり取りが主流であるような気がしているのである。
そして現代の特徴は、ここに「コンプライアンス的要素」が含まれていることである。
リスクフリーは単純に面白くない
言語警察が蔓延る現代においては、迂闊なことを言えば、すぐに密告され、退場となってしまう。
だから当たり障りのないことを言う。
リスク・リターンを天秤にかけるなら、この戦略は妥当ですらある。
でも、つまらない。
そう、面白くないのである。
言語運用能力がその人の力量だ
僕は営業という仕事をしているので、相手の言語運用方法で大体の力量が分かる。
というか、その人がどの程度の能力なのかということを、言語運用によって判断している、という方が表現としては正確かもしれない。
その人がテンプレ的な話し方をするのであれば、どんなに素晴らしい肩書を持っていたとしても、僕は「つまらない人」という烙印を押す。
逆に、独特な言い回しを持つ人は、例えその人が閑職に追いやられていたとしても「面白い人」という評価をする。
独特の言語運用を理解させられること・理解できること
コミュニケーション能力というのは、「独自の言語運用をしながらも相手にその言語を理解してもらえること、そして逆も然り(相手が独特な言語運用をしてきてもきちんと聞ける)ということである」と僕は思っているのだけれど、どうやらそんなことを思っているのは少数派であるようだ。
そして、結論めいた話にはなるけれど、それができる人が冒頭の質問の答え(伸びる社員の特徴)となる。
バズワードをそのまま使うのはNG
近頃は「言語化」という言葉が割と流行っているように感じている。
これは大事なことで、僕もその通りだと思うのだけれど、この「言語化」というある種のバズワードをバズワードのまま使うというのはちょっと違う、と僕は思っている。
それは「流行りの言葉」「テンプレ」に過ぎない。
表現が難しいのだけれど、その言葉を血肉化させないと、あまり意味がないのである。
フィジカルに感じる、というか。
言葉を地面に叩きつけ、拾い上げる行為
例えば、言語化というのが大事だと自分でも思ったとして、「では、言語化ってどうやったらできるのだろうか?」というところまで論を進めること。
これが血肉化への第1歩となる。
「言語化って大事だよねー」という言葉とはちょっと違うニュアンスがお分かりいただけるだろうか?
言葉を地面に叩き落とすこと。
それを拾い上げて、使うこと。
この感覚が大事なのである。
文語:本を読む
では、言語化能力というのはどうやって鍛えたらいいのだろうか?
僕は文語と口語で分けて考えている。
文語については、ありきたりだけれど、「本を読む」これに尽きる。
できれば、「リズムが好きな書き手の文章を、リズムに気をつけながら読む」ことを意識すると良いと思う。
多くの人は、文章にリズムがあることに気づけない。
そこに意識を向けることで、自分の文語にもリズムが必要であることがわかるはずである。
口語:ラジオを聞く
口語については、「ラジオを聞く」ことをお勧めする。
それもFMじゃなくて、AMっぽい感じというか。
例えば「好きな芸人さんのラジオを聞く」なんていうのがいいかもしれない。
そこで意識すべきは、「ワードチョイス」である。
話の流れの中で、独特なワードが出てきて、それが良いなと思ったら、それを実生活でも使ってみる。
適切な場面で、適切に使えるようにしておく。
言葉への感覚を
これは「フワッとした概念を、自分の言葉に置き換える」ことに繋がる。
もちろん最初は自分だけでは完結しないので、誰かの真似をする。
芸人さんというのはその感覚がとても鋭敏であり、かつ多くの人にも理解できるような言葉を選んでいる。
そうやって意識して聞き、実践してみると、自分の言葉も鍛えられていくはずである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
サッカーW杯で、本田圭佑選手のアベマでの解説を聞いて、「そう、複雑系の世界においては、こういう言葉遣いが必要なんだよな」と思いました。
世間的にはどちらかというとネタっぽく捉えられていた印象ですが、サッカーを少しでも齧ったことがある人なら、あの言語運用が如何にサッカーを「そのままの状態」で伝えているかが感じられたのではないかと僕は思っています。
言葉はラフなんですが、サッカーという抽象物を感覚や手触りも含めて的確に表現している感じ。
少なくも地上波で聞こえる、「それっぽい(だけの)解説」とは段違いで、見ている場所や選手の特徴の捉え方、ゲームの流れを読む力など、やっぱりプロは違うということを改めて実感しました。
言葉を整え過ぎることなく、「そのままの状況」を伝えられるよう、日々意識していきましょう。