ルールではなくモラルを
「広い牧場の例え」のきちんとVer.
以前「クセしかない部下のマネジメント」という記事の中で、「広い牧場」の例えを書いた。
それをもう少しきちんとした表現で書いてみるとどうなるのだろうかと思ったのが、今回の話である。
「ルールで縛るのではなく、モラルに任せる」
それが僕のマネジメント手法である。
僕は昔から何かに縛られるのが嫌いで、仕事においてもできるだけそのような運用をしたくないと考えて仕事をしている。
そしてやってみると、存外人間というのはきちんとしているものなのだということがわかったので、今日はそんなことを書いていこうと思う。
悪事をなす人達を見張るのが管理職の仕事という時代錯誤なイメージ
性善説と性悪説。
多くの職場においては性悪説に基づいて仕事が行われている、と僕は思っている。
社員が何か悪いことをするのではないか、自由を与えると怠けるのではないか。
そんな意識が根底にあるような気がしている。
その意識の延長線に、マネージャーの仕事がある。
マネージャーの仕事は、そのような「悪事をなす人達を見張る」ことである、そんな風に捉えられているような気がする(「管理職」という言葉自体が既にそうだ)。
僕たちマネージャーは、「会社の手先」であって、労働者を管理する「役人」である。
そんなイメージ。
だからこそ、勘違いした一部のマネージャーは、特権意識みたいなものを持つのだろう。
マネージャーは上、部下は下。
そんな時代錯誤な、封建制みたいなことを未だに抱えながら仕事をしている人はとても多いのである。
朝牧場に送り出して、夕方迎えに行くだけの簡単なお仕事
僕はここに異議を唱えたい(というか、ずっと唱えている)。
マネジメントという仕事は性善説に基づいて行われるべきで、社員には自由を与えるべきである、と。
マネージャーの仕事は、朝部下を牧場に送り出して、夕方迎えに行くだけの簡単なものである、と。
そして実際にそのような運営を行っている(僕の職場では本当に下らない話が飛び交っていて、職場に視察に来た本社の偉い人に「ここは居酒屋か?」と嫌味を言われたくらいである)。
マネージャーは「支援職」である
マネージャーは「役人」ではないし、「看守」でもない。
彼(彼女)らが最大限のパフォーマンスをするような環境を整える「支援職」である。
僕はそんな風に仕事を行っている。
行儀よく真面目なんてできやしなかった
「でも、そんな風に運営したら、学級崩壊みたいな状態になりませんかね?」
別のチームでマネジメントをしている人に、そう言われることがある。
言いたいことはよくわかる。
そして、見方によっては実際に僕のチームは学級崩壊しているとさえ言えるのかもしれない。
表現が適切かはわからないけれど、机に座って行儀よく教師の話を聞き続けることが「学び」において最大限のパフォーマンスを引き出す、とは僕は思っていない。
むしろある種の虐待に近いものですらあると考えている。
ましてや経験上、ロクな教師になんて会ったことがないし。
ルールを守ることが目的ではなく、学びを起動させることが目的
もちろん社会生活を送る上で、ある程度の調和というものは必要だろう。
でも、たぶんアプローチの方法が異なるのだ。
大事なのは、パフォーマンスを引き出すことであって、黙って聞いているというその状態ではない。
ルールを守ることが目的ではなく、学びを起動させることが目的なのである。
大抵のルールは守るべき水準に達してすらいない
これは会社においても同様である。
大事なのはルールを守ることではない。
ルールというものがなぜそこに存在するのか、その「目的性」みたいなものをきちんと理解して、問題のない範囲であれば、それを曖昧に適用する、というのはアリであると僕は思っている。
そして(こんなことを言うと非難されそうではあるけれど)、大抵のルールは守るべき水準に達していない、「その程度」のものであることが殆どなのである。
実力のない「管理者」が、管理しやすくする為だけに作られた、空っぽのルール。
そんなものは無くしてしまえばいいのだ。
(ここまで読んで頂いている方ならお分かりいただけるかもしれないが、僕はややアナキズム的な思想を持っていると言えるのかもしれない。ただアナキズムを無政府主義を訳すのは違う気がするし、そこまで過激な考えは持っていない。もう少し権威主義的なものが薄まればいい、それくらいのノリである)
モラルで何とかなる
僕は部下を信じている。
というか、たぶん人間を信じている。
最低限のルールは必要であると思うけれど、大抵のことはモラルで何とかなる。
それが僕の基本スタンスである。
不機嫌のエスカレート
多くの人は、(僕からすれば)人間を信じていない。
自由を与えれば放蕩する、そんなイメージを持って働いているような気がする。
そこには尊厳なんてないし、敬意もない。
囚人と看守ごっこ。
お互いに粗を探し合って、どんどん不機嫌になっていくだけ。
それではパフォーマンスは上がらない。
成果は出せない。
大人とは?
モラルは誰かに規定されるものではない。
そこにいるメンバー達が越えてはいけないラインを緩やかに想定し、その中で仕事をしていく。
そしてそれを誰かに強制する訳でもない。
齟齬が生じれば、対話によって摺り合わせを行う。
それが大人の作法だ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「管理者は管理して然るべきだ」と思っている管理者とその上司はとても多いです。
「でも、管理しなくて済むような状態にしておくのが真の管理者なのでは?」と僕は思っています。
これは「未病」みたいなイメージとも繋がってくるのですが、多くのマネージャーは病気になってから騒いでいる、もっと言うと、マッチポンプっぽくすらある、というのが現状であるような気がしています。
管理しなければ収束しないような状態というのは、やっぱり異常です。
自分達で自分達の働く環境を良くするという「自治」の精神で運営を行っていきましょう