三方よしと三方一両損

UnsplashAmelia Spinkが撮影した写真

Win-WinとLose-Lose

ビジネスの世界では「三方よし」が誉めそやされる。

三方よしとは、売り手よし、買い手よし、世間よし、と三者皆がハッピーになるような仕事をしようね、という近江商人の理念のことを指す。

否定はしない。

その通りだと思う。

でも、一方で、プレイヤー的な発想である、とも思うのだ。

現実のビジネスにおいて、それもマネジメントにおいては、Win-Winの場面よりは、Lose-Loseの場面に出くわすことが多い。

それをどうやって収めるか?

それがマネージャーには求められる。

そこで必要な考え方は「三方よし」ではなく「三方一両損」なのではないか?

今日はそんなことを書いていく。

Win-Winの関係性を作って場を収める

三方一両損というのは、3両のお金が入った財布を拾った江戸っ子Aが、その持ち主Bに財布を返そうとするも、江戸っ子であるBは「一度諦めたものだから受け取らない!」と意地を張り、一方のAも「絶対に返す!」と互いに譲らない状況において、大岡越前が自分の懐から1両を出して(計4両にして)、2両ずつをAとBに分ける、結果としてAもBも大岡越前も(三方)1両ずつ損をすることで諍いを収める、という話である。

ここでの大岡越前がマネージャーである。

ただ多くのマネージャーは、AとBという両者の対立があった時に、両方が得をする(そして諍いが収まればマネージャーも嬉しい)ような解を探そうとしているような気がするのだ。

Win-Winの関係性を作って、場を収めようとしているというか。

マネージャーが「持ち出す」こと

もちろんアプローチの方法としては悪くない。

でも、「三方よしというのはあまりにも出来過ぎじゃないか?」と僕は思うのである。

現実的じゃない、という感じがするのだ。

それよりも僕たちマネージャーが身に付けるべき術は、「三方一両損」である。

ここには、ある種争いには直接関係のないマネージャーの「持ち出し」がある。

そして悲しいかな現代の多くの上司というのは、この場面において「何で関係のないオレが損しなきゃいけないの?」とゴネることが多い。

決して言っていることは間違っていない。

でも、ダサいのだ。

僕が言わんとしていることがわかるだろうか?

「三方一両損」方面に進めること

「上に立つ人間には場を丸く収めるスキルが求められる」という言明は、どちらの場合においても当てはまるし、方向性としては間違っていない。

でも、それを「三方よし」方面に行くのか、「三方一両損」方面に行くのかでは、その後のマネージャーに対する信頼度が大きく異なる。

でも、「三方一両損」のような懐の深い解決方法が取れる人は(昔はいたと思うが)、今は殆どいない。

それが今日の話の概要である。

身銭を切っているという感覚が理解して貰えているか?

ここでの主題は「私に免じて許してくれないか」という言葉の中の、「私に免じて」という部分に切実なものがあるかどうか、ということである。

「私に免じて」と言うのは簡単である。

でも、そこに中身が詰まっているかどうかというのは全然違う。

これは何も諍いが生じた後に持ち出しをするということに限らない。

普段からマネージャーが持ち出しをしていること。

そうメンバーが感じていること。

それこそがチームの成果を高める上では大事な要素であるような気がしている。

進んで損をしに行く

この概念の対極にあるのは、「コスパ」という概念である。

「経済合理性」と言い換えても良いかもしれない。

「いかに効率よく場を収めるか」「できるだけマイナスを抑えながらプラスを得る」というような考え方は、現代においては「所与のもの」と見なされている(ように僕は感じている)。

関係ないのに損するなんてあり得ない。

それが現代人の当たり前の感覚だろう。

でも、ちょっと待てよ、と僕は思うのだ。

様々な人間同士がいる状況において、全員が得をするような事態というのはなかなか生じ得ない。

もちろん理想ではあると思う。

でも、現実的には、最初に「私が損をする」という言明を出せる人、ある種の勇気や覚悟みたいなものを持っている人、が共同体を立ち上げることができるのではないか?

僕はそんなことを思っている。

損得って個人だけのものなのか?

利得だけを考えている人に、部下は付いて来ない。

でも、誰しも損はしたくない。

もう少し言うなら、その損って何なのだろうか、ということになる。

多種多様な利害関係者がいる中で、共通の「場」を立ち上げられれば、それは個人にとっては損かもしれないけれど、全員にとっては得にもなり得るのでは?

僕はそんなことを思う時がある。

「場を立ち上げる作業」を進んでやる人をマネージャーと呼びたい

もちろん、それは普段から意識されるものではないだろう。

少なくとも、有難がられるような種類のものではない、きっと(場というのはそこにあって当たり前のものだから)。

でもその「場を立ち上げる作業」を進んでやる人がマネージャーと名乗る資格があるのだと僕は思っている。

部外者にはきっとわからない。

いや、内部にいるメンバーだってわからないだろう。

でも、その人が去った時、その重要性が事後的にわかる。

「割を食う」人間がいなくなった瞬間に、共同体は崩壊する。

僕はそんな風に考えている。

大っぴらに言うようなことではないけれど、この「三方一両損」という振る舞いができた時、マネジメントは1つレベルが上がるのだ、きっと。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

Win-Winの世界観に疲れる時があります。

もちろん「勝っていく」ことは大事です。

でも、それだけでは持続性がない。

Lose-Loseに直面した時に、フリーズしてしまうから。

僕が思うのは、後手に回る前に、先手を打ってLose-Lose-Loseにしてしまうことで、フリーズしてしまう事態を回避すること、それができる人への静かな賛辞が必要だよね、ということです。

「大人」が損することばかり多い社会ですが、それにきちんと謝意を示せることが大事というか。

もっと言うと、それは必ずしもLoseではない、というか。

個人勘定だけでなく、共同体勘定を考えた場合、それは必ずしもマイナスではない、という感覚。

そんなものをイメージしながら、僕はこれからもマネジメントをしていこうと思っています。

変わらずお付き合い頂けたら幸いです。