非意識高い系マネジメント

UnsplashJames Healyが撮影した写真

意識の高さとその空虚さ

意識の高い人に疲れている。

マネージャーとして経験を重ねるにつれ、若手マネージャーの指導なども頼まれるようになって、否が応でもこのような人達と関わる機会が増えてしまった。

いや、別に意欲があること自体は悪くないのだ。

向上しようとすること、それ自体は素晴らしいことですらある。

僕が感じるのはその「空虚さ」なのである。

空虚さ、なんて書いてしまったけれど、僕だって人のことをとやかく言えるような分際ではないことは重々承知している、

いや、それでもさ、というのが今日の話である。

わかるようなわからないような話になりそうだけれど(いつもそうか)、取り敢えず始めてみる。

マネージャーとしての自信なんてなかった

まず自分語りから。

僕はマネージャーとしての自信がずっとなかった。

マネージャーになる前から、マネージャーになるなんてキャリアプランを考えたこともなかったし、それというのも向いているとは全く思わなかったからである。

サイコパスかつ一匹狼な僕は、プロフェッショナル職として、自分のペースで淡々と仕事をしていくのだと思っていた。

もちろんその性質は今も変わらない。

何となく合っていないスーツを着ているような、そんな気分のままずっとマネージャーという仕事を続けている。

それが今ようやく少しずつ自信が出てきたのだ。

何とかやっていけそうという自信

このブログを書き始めた頃に半信半疑だったものが、今は確信に近くなってきている。

「僕はマネージャーとしてそこそこやっていける」

もちろんこれからも感情の波は訪れるだろうし、その度に落ち込んだり悩んだりすることもあると思う。

ただ、何というか、自分を信じられるようになってきたのである。

そして、それを他人に話した時、「いや、ずっと前からバリバリだったでしょ。あなたに自信がないなら、自信があるマネージャーなんていないでしょ」と言われたので、こうもまあ他人というのはテキトーな評価をしているものなのだな、と改めて思ったところである。

地の力

さて。

ようやく話が戻ってきた。

今日は意識高い系マネジメントに対するアンチテーゼについての話であった。

意識の高さはマネジメントにはいらない。

というか、「地の力」があれば、意識の高さなんて不要なのだ。

いや、むしろ障害にすらなるというか。

もう少し詳しく書いていく。

自分が自分に囚われていく

前向きな意欲と演出、それに伴わない中身。

これが意識高い系の正体だ。

皆薄々感じているように、大事なのは中身である。

でも、中身を良くするのは難しい。

苦労も伴う。

だから、「ガワ」を取り繕う。

これは最初は意識的にやり始めるのだろうけれど、だんだんと自分もその自分に酔って、洗脳されていく(自らを洗脳していく)。

言葉が自分を縛り始める。

そうでなければならない、という自己像。

それに囚われてしまうのだ。

虚勢を張らないと舐められると思っていた

僕だってその傾向はあった。

というか、そうしないと、虚勢を張っていないと、部下や周りの人に舐められると思っていたのだ。

若かったこともあって、必要以上に自分を大きく見せようとして、結果として中身との乖離が大きくなってしまっていた。

それ自体は「若者あるある」ではある。

でも、大事なのは俯瞰する目だ。

そして「地の力」を上げるトレーニングである。

積んでるエンジンが違うぜ

僕はある時から、「積んでるエンジンが違うな」ということを思うようになった。

今までの僕は、エンジン全開でなければレースには勝てないと思っていた。

一生懸命アクセルを踏み、大きな音を出しながら(もしかしたらタイヤから煙すら出ていたかもしれない)、走ることが必要だと考えていた。

でも、一定の経験を重ねた時、「いや、そんな必要ないな」と思うことになった。

別にそれ程アクセルを踏まなくても、軽く踏むだけで明らかに速く進むな、と。

速そうに見えることと実際に速いことは違う

これは意識高い系にも当てはまる比喩であると思う。

大きな音を出すと速そうに見える。

だから皆一生懸命アクセルを踏む。

でも、大事なのはエンジンで、その性能が良ければ、アクセルなんて殆ど踏まなくていいのである。

「でも、そのエンジンを良くするのが難しいんですよ」

そういう声が聞こえてくる。

確かに。

エンジンを良くすることは時間がかかる。

ただ、効率(回転数)を上げることはそんなに難しくはないでは、と僕は思うのである。

スピードを出す為にできることはあるはず

意識高い系は、力(トルク)を上げることで出力を出そうとしているように僕には見える(もちろんその力すらも張りぼて感はあるが)。

でも、当然ながら経験がないと、力を上げることは難しい。

だから、エンジンはただデカい音だけ立てて、前には進まない。

それなら、力を上げる作業は地道に進めながら、回転数を上げるような方向に意識を向けてみてはどうだろうか、というのが僕の提案である。

回転数というのが分かりにくければ、車のスピードを上げる方法はエンジンだけではないのでは、ということをイメージしてもらうと良いような気がする。

タイヤやホイール、マフラーやサスペンションなど、変えられる箇所があるかもしれない。

ある種のチート作業

そうやって、まず速く走ってみるのだ。

早晩、「やっぱりエンジン良くしないとダメだよな」ということに気づくだろう。

そういう順番で良いのだと思う。

順番が大事

速く走っているその速度を体感しないと、いくら速さをイメージしたところで、速さはわからない。

意識高い系はそれが先走り過ぎているように思うのだ。

ならば、まずはできるところから変えて、速いスピードを体感してみる。

そのスピードに合った、良いエンジンをイメージする。

その順番が大事なのだ。

もちろん、経験を重ねれば、小細工なしで速く走れるようになる。

それはもう少し先の話だ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

本文中では上手く書けませんでしたが、若手マネージャーの中に意識高い系マネージャーが増えてきな、という印象があって、それによって周りが困惑している、それはたぶん習得する順番が違うからなのではないか、ということを最近は思っています。

自信を持つことは大事ですが、それが現実と乖離していることはあまり望ましいことではありません。

もちろん、人間である以上、一定の乖離はやむを得ないのですが、それがあまりにも大きくなってしまっているのが最近の傾向ではないかと僕は思っています。

これは的確に厳しいことを言ってあげる人がいなくなったこと(少なくなったこと)が関係していると僕は思っているのですが(それについてはまたどこかできちんと書くつもりです)、それによってある種勘違いをしてしまった人がマネージャーになり過ぎるのも困りものです。

虚勢を張るのをやめて、腕を磨いていきましょう。